第四部 第四章 8 ーー 緊張感の差 ーー
二百三十九話目。
何かが終わった気がするんだけど、不安しかないわね。
8
己の未熟さに苛まれていたとき、重苦しい空気には似合わない明るい口調が病室に響いた。
訝しげに眉をひそめると、二人が横になっている前に、悠然と立つ男がいた。
雰囲気は先ほどの子供に似ていた男。
けれど、悠然と腰に手を当てる姿から、別人だと気づいた。
イシヅチである。
この者も面識は少なかったけれど、酷く癖のある人物。
動くことができなくても、やはり警戒を強めてしまう。
「何しに来た?」
警戒を強めるツルギ。こいつもイシヅチを完全に信じていないのか。
「敗北者の顔を見に来た。って言えば、どうだい?」
まったく緊張感のない明るい声が、鼓膜をざわつかせる。
今の状況を考えれば、本当に癇に障るものだ。
ツルギを伺うと、また天井を眺めている。本来のこいつなら、すぐさま拳を飛ばしていただろうけれど、そこまで気持ちは傾いていないらしい。
それだけ滅入っているのか。
「そんなことより、今になってなぜここに来た?」
いや、ただ動けないだけで、権威は溜まっていた。口調からすると、動けない分、より苛立っているようで声に棘があった。
大丈夫なようだ。
体が動かないだけで、気持ちは折れていないらしい。
それでもイシヅチは嘲笑するように、首筋を擦り、聞く耳を持とうとしなかった。
ツルギの問いに、しばらくして手を止めたイシヅチ。
憎らしげに口角を上げた。
「だから、無様な姿を見に来たって言っただろ。なにせ、“蒼”のなかで最強と呼ばれるツルギが負けたって聞くと、僕なんかでも驚きだからねぇ」
こいつは本当に何をしに来たのだ? これではケンカを売っているだけではないか。
ツルギは大きく溜め息を吐き、目蓋を閉じた。
こいつなりに気持ちを鎮めているのだろう。
「皮肉はそれでいい。それよりも何をしていた。今ここは大変な事態に陥っていたのに」
「ま、僕だってそれなりに忙しいからね。それに僕だけを怒るのはお門違いじゃないの。アカギの奴だっていないんだし。それとも何? アカギは遊んでよくて、僕はダメなわけ?」
「嫌味はそれぐらいでいいんじゃないのか。こいつの言う通り、今はそんなことで揉めている場合じゃないだろ」
このままでは、ツルギが限界を迎えそうだ。負傷した体に負担を与えるわけにもいかず、割って入った。
すると、イシヅチは矛先をこちらに向け、睨んでくる。
「そんな場合じゃない? それって帝の死が関わっているということかな」
平然と話すイシヅチに、息を呑んでしまう。
すでに死は広がってしまっているのか。
ならばそれこそ、兵の間で動揺が広がり、規律が乱れてしまうのも時間の問題だというのか。
帝の死を知っているのならば、事態を把握しているのだろう。
ならなぜ、そんな余裕でいられる。平然としすぎている。
帝の死を受け入れているのか。
私と目が合うと、憎らしく目を細めた。
違う。
まさか、楽しんでいるのか。
「そうだ。今はここで寝ている暇はない。早く立て直さなければいけない」
私の疑念が高まっていると、ツルギが息を荒げながら肘を突き、上体を起こそうとしていた。
「無理をするな。ツルギ」
包帯の間から見える黒い肌が歪んでいる。見るからに痛みを堪えているのは明白。
声を荒げて制止するのだが、気にせずツルギは体を起こそうとする。
もう一度、声を荒げようとすると、ツルギは動きを止めた。
よかった、と安堵するけれど、どうも違う。
不快に思っていると、イシヅチの変化が目に止まった。
イシヅチは相変わらず憎らしげに笑い、左手を出してツルギを制していた。
そこでツルギはイシヅチを睨んでいる。
「別にそんなに急がなくったっていいよ」
「何を言っている。帝が亡くなったのだぞ。早くーー」
「もうあんなお飾りはいらないでしょ」
「なんだとっ」
「だって、そうでしょ。帝といって統制しようとしたって、実質動いているのは僕ら兵士だよ。そして、その僕らに指示しているのはあんた。違う? ツルギ隊長様」
制していた手をクルリと回して、イシヅチはツルギを指差す。
相変わらず気持ちを逆撫でするように、皮肉めいた喋り方で目を細める。
「もう帝なんて必要ないんじゃない」
「……何が言いたい……」
ほんとだな。
早く安心できればいいんだけど。




