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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第四部  第三章  3  ーー  ハクガンとワシュウ  ーー

 二百二十七話目。

    苛立つわね、この状況も。

            3



 ワシュウが現れ、反射的に発狂したした瞬間、全身が悲鳴を挙げた。

 雷が落ちて痛みを喰らったみたいに。

 痛みで胸を掴み、身を屈めてしまう。

 海に沈められたみたいに、息が詰まってしまう。

 痛みが疼くたびに、ツルギの顔が何度も霞んでいき、気を散らされる。

 何度も切られ、命を奪われるみたいに。

 本当に腹が立つ。

 なんで、今こいつが現れるんだ。


「今はまだ安静にしておくべきですよ。あなたはツルギ殿と本気で争ったらしいのでね。私としては、彼に真っ向勝負すること自体、驚きですがね」


 なんだよ、これ。

 見間違いでもなかった。

 ワシュウが整然と扉の付近に立ち、軽く会釈した。

 顔を上げたワシュウの目に敵意や鋭さはなく、穏やかな眼差しをこちらに向けていた。

 それでも僕は変わらずワシュウを睨んだ。


 なんでここに“蒼”が?


 なんでもいいから、武器に成り得る物を……。

 手探りでベッドを探っていると、不意にミントはワシュウのそばに寄る。

 右手を大きく横に伸ばした。

 まるでワシュウを庇うように。


「ミント放れてっ。危ないから早くっ」

 

 咄嗟に声を荒げるけれど、ミントはかぶりを振って拒否する。

 しかも僕を憎むように、睨んできた。


「無駄よ。どれだけ反抗しても、ここの村の人らはこの人を庇うわ」


 啞然とする僕に、リナが半ば諦めた様子で手を小さく振る。


「だって、こいつがハクガンらしいからね」

「………ーーはっ?」


 ほんの数秒の間でしかなかったけれど、僕にしてはとても長く黙った後、目を点にして返事してしまう。


 冗談にしては酷すぎる。


「嘘だって言いたいけれど、本当らしいわよ」

「本当なのか?」


 念を押してみると、リナは訝しげに頷き、ミントは黙ったまま僕をじっと睨んでいた。


「疑われても仕方がありませんね。私が“蒼”にいることも、できる限り知らせてはいませんでしたから」

「私も何も知りませんでした」


 あくまで冷静に話すワシュウに、ミントは同調した。


「別に私を軽蔑することに問題はありません。あなたが回復してくれれば」


 警戒心を高めるミントの肩を叩き宥めるワシュウ。

 様子からして、やはり敵意を出さないのがかえって気味悪くも見えた。

 何を考えてんだ、こいつは。


「ーーで、ちゃんと話してくれるんでしょうね。あんたの正体や目的を」


 ワシュウに飛びかかりたくても、体の痛みが邪魔をして動いてくれない。

 リナの指摘に、ワシュウは改めて頷き、自分を庇うミントを退かし、一歩前に踏み出した。


「こうして話をするのは二度目ですね。改めて申し上げます。私の名前は「ハクガン」と申します。あなた方はすでにご存知のことでしょうが、“ワタリドリ”の一人です」


 あくまで紳士的に話すワシュウだけど、だからって警戒を解くわけにもいかない。


「でもあんたはベクルにいた。それってどういうこと?」


 重苦しい空気が漂うなか、困り果てたワシュウは恥ずかしそうに額を擦る。


「確かに“蒼”にもいます。「ワシュウ」として。ですが、それも本来の目的のため、身を委ねているのです。これだけは信じていただきたいのですが、私はあなた方に対して敵意を持つことはありません。ですので、しっかりと体を休めてください」


 やっぱりわからない。

 なぜ、こいつはここまで紳士的に接してくるんだ……。


「じゃぁ、私らはあんたをどう呼べばいいの? ハクガン? それともワシュウ? ここで大見得を切って“蒼”のワシュウと呼んでもいいけど。それって都合はよくないと私は感じてしまうんだけど」


 どうにも棘のある喋り方で聞くリナ。

 それでも極度に強い皮肉を込めた喋り方で。

 しかも、肘かけに肘をかけ、面倒そうに窓の外を眺めて。

 かなり憎らしく口角を上げて。


「それはあなた方にお任せします。この村で私が疎外されるのであれば、去る覚悟はしておりますので」


 動揺を誘おうとしていたのだろうけれど、上手くかわされていた。

 表情を見ても、変化はない。

 ただ珍しく、ミントが眉間にシワを寄せ、リナを睨んでいた。僕の視線に気づいたのか、顔を伏せてしまう。

 彼に対しての侮辱は、やはり止めておくべきか。

 でも、核心を突くことを聞かなければいけない。

 軋む体を擦りながら、体勢を直してベッドの上で座り直した。


「あなたは本当に「ハクガン」なんですか?」

「だから、この人はーー」


 抵抗しようとするミントを制し、


「でも、話に聞く「ハクガン」は、ずいぶん昔の人物。それも十年、二十年じゃない。あなたの年齢とはかけ離れていると思うのですが」


 目の前の男はどう考えても二十代半ば。

 本人と考えるには、歳がかけ離れている気がしてしまう。


「それは私なりに事情があると、察していただきたいのですが」


 気のせいか、平静を保ちながらも、口調に力がこもっている気がする。

 こちらを見る目も違う。

 ふと横を見てしまう。

 リナを見ると、不機嫌そうに目を細めていた。

 ……いや、ちょっと待て。アイナにしろ、ハクガンにしろ、いざこざがあったのはいつのことなんだ?

 以前、ここのトゥルスに長老から話を聞いたときは気にすることはなかったけれど、明確にはいつなんだ?

 騒動が起きたのは……。


 同一人物?


「それなりの事情があるってことですか?」


 額に手を当てて考えてしまう。ワシュウは何も答えてはくれない。


「……そうですね。ここまで言って黙っておくのも卑怯ですね。えぇ、あなたの疑念もごもっともです。そうですね、私はあなた方が想像する「ハクガン」と捉えていただいてかまいません」


 ワシュウの断言に僕は衝撃を受け、目を見開いた。

 リナは依然、三つ編みを擦って時間を弄んでいる。

 ……この事実にまだ気づいていないのか。


「それって以前、アイナと袂を絶った「ハクガン」ってことなんですが?」

「ーーえぇ。そう受け取ってもらってかまいません」

「ーーっ」


 どこか否定してほしかったけれど、ワシュウは即答する。

 そこで事実に気づいたリナも手が止まり、目を剥いた。


「それって確か戦争が起きたとき……」


 一気に部屋の空気が冷たきなった気がした。

 やばい。また意識が薄れていきそうである。


「……アネモネと同じってことなの」


 このまま意識が飛んでしまいそうなとき、ふとリナが呟いた。

 ハッとした。

 確かアネモネはアイナの生まれ変わりと言っていた。

 こいつはそれと同じってことなのか?

 メガネを外し、両手をギュッと握り締めてこっちを見詰めるリナ。

 眼差しの強さから察すると、彼女もそれに気づいたのか。

 事情ってのは、そういうことか……。

 なんかリナ、ずっと怒ってないか。

   まぁ、わからなくはないけれど。

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