第四部 第二章 3 ーー 目覚めたとき ーー
二百十九話目。
なんか私たちって、忘れられたみたいで寂しいわね。
3
ミサゴ以外に誰かいただろうか。
と疑念が深まる直前にハッとして視線を横に移す。
……嘘でしょ?
石柱に凭れて眠っていたエリカが、首筋を擦りながら、こちらを不思議そうに眺めていた。
なんだろう。胸が熱くなっていく。
落ち着いて、落ち着かないとね。
これまでずっと眠っていたこともあり、安堵より驚きが強かった。
お早う。
目、覚めた?
ちょっとは茶化したことを言ってみようかな、と迷っていたけれど、上手く話すことはできない。
なぜなら、髪を撫でている姿は、以前に見たエリカとはどこか雰囲気が違うから。
なんだろう、不思議な落ち着きを払っている。
「ようやくお目覚め?」
戸惑いが邪魔をしてしまい、茶化すつもりが多少皮肉っぽく言ってしまった。
「まぁね。確かにちょっと寝すぎていたかしら」
なんだろ。変な感じがどうしても拭えない。どうも、私が知っているエリカとは違う気がしてしまう。
今もエリカは堂々としている。やはり臆さない姿には違和感がある。
それとも、私が緊張してるの?
「未来は見えた?」
エリカの影に見える違和感を探っていると、髪を押さえながら唐突に問いかけてきた。
まっすぐな眼差しを私に向けて。
嘘……。
……でも……。
「……まさか、姉さん?」
疑いが消えたわけではなく、声が上擦りそうになる。
すると寂しげに目を細める。
本当に?
「不思議なものね。まさか、こんな形であなたと出会うなんて」
エリカは懐かしむように笑う。
信じないといけないの?
こんなこと……。
でも……。
でも、心が痛んでしまう。きっとエリカ、いや姉さんは、私にアイナを見ているんだと。
包み込むような眼差しに罪悪感が生まれ、目を逸らしてしまう。
「……ごめんなさい。今の私は明確に言えば、“アイナ”ではないわ。彼女の記憶、思想なんかはすべてわかる。けど意識は私、“アネモネ”なのよ」
改めて言葉にしてみると、不思議である。
自分のなかにもう一人の自分がいる。
そんな感じ。
きっと、多重人格とはこれに似ているのだろうけれど、“アイナ”の意識は私のなかにいない。
「……ごめんなさい」
変な罪悪感は拭えない。
どこか、自分を否定しているようで。
特に、姉さんがアイナを求めているのならば。
「でも、本当に姉さん…… レイナなの?」
エリカにない雰囲気なのだけど、つい疑ってしまう。
すると唇を噛んで深く頷いた。
「私の場合は、本当に私だけどね」
と自分の胸に手を当てる。
姉さんの意識がある。
「じゃぁ、エリカは? 彼女の意識は? 共存しているの?」
当然の疑問。
私とは多少の立場が違う。それでも気がかりになった。
「……まさか……」
「大丈夫。彼女は生きているわ。ここに」
と胸に手を当てた。
「……私は表に出るつもりはなかったわ。できればその方が彼女にとってもいいはずだから。でも、彼女にとって支えであった人から離れることになって、それで心が保たなくなったのね。それで私が」
「じゃぁ、エリカは?」
「今の彼女は心の奥底に眠っている。そうね、心のなかに花の蕾があるの。そこに彼女は包まれ眠っているの。今はまだ目を覚ましそうにないわね」
「ーーそう」
安心していいのよ、ね。
複雑な思いに襲われ、髪を乱してしまう。
「じゃぁ、今のあなたはやっぱり姉さん、なのね……」
「戸惑うことはあるでしょうね。でも実際はね」
思わず頭を抱えてしまった。セリンから多少の事情は聞いていたけれど、目の前で伝えられると、胸をすくうものは違う。
エリカ……。
いえ、レイナは事情を話し終えると、落ちていた様子で髪を撫でていた。
私のなかにあるアイナの記憶がざわついている。眼前の彼女は、“レイナ”であると訴えるように。
だからなのか、私も悪い気分にはならなかった。
「ねぇ、髪留めってある?」
「あ、うん。あるけど……」
反射的に持っていた髪留めを渡した。すると、レイナは慣れた様子で髪を束ねた。
レイナの額を見ると、そういえばエリカが髪を束ねていたところを見ていなかったので、新鮮であった。
何より、これでエリカと区別できそうだ。
別に忘れられたわけじゃないだろ。
でないと、ここの出番もないって。




