第四部 第二章 2 ーー 不安は積もるばかり ーー
二百十八話目。
ふ~ん。これじゃ、私の出番は当分休みね。
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アネモネ……。
動くはずのない遺体の口元が私の名前を呼んだ気がした。
……私の名前……。
一瞬の戸惑いが恐怖を掻き立てた。
自分はアイナ。
アイナの生まれ変わりじゃないのか。アネモネでいいのか?
これまで考えたとこもなかった恐怖が不意に訪れ、足元から崩れて倒れそうになった。
きっと願っていた。
こんな未来があってなんかほしくないんだと。
横たわるリナから目を背けたとき、視界は暗闇に覆われた。
リナの幻影を見るぐらいならまだ暗闇の方がいい。
と目蓋を閉じると、今度は遠くから雷鳴らしき音が轟いた。
胸を震撼させる重い音が次第に近づき、その激しさを増していく。
逃れることのできない音が頭上に達したとき、恐怖に耐えきれず、目蓋を開いた。
視界が最初に捉えたのは、地面に突き刺さった大剣。
状況は先ほどに似ていたけれど、アイナの姿はなかった。
ゆっくりと視線を横に移すと、静寂した草原に、大きな岩が転がっていた。
どこかの忘街傷であり、大剣は鍵穴に刺さっている。
ここが現実であるのだと理解したとき、不思議と安堵してしまう。
……リナは死んでいない。
でもーー。
「……あれは先見の力だったの……」
弱々しくこぼしてしまう。
やはりまだ信じたくはない。どこか否定したくて頭を抱えてしまう。
パチパチパチッ。
変な不安に押し潰されそうになっていると、渡しの気持ちとは不釣り合いな拍手が起きた。
「鍵を開けて、何か感じることはあった?」
直前に起きたことを茶化すような問いかけに、唇を噛んでしまう。
人の気持ちを嘲笑う喋り方をするのはミサゴ。
彼はさっきの光景を見ていない。悪気はないのだろうけれど、頭痛は酷くなりそう。
普段から彼はこんな接し方をしてくる。もう慣れなければ。
振り返ると、そばにミサゴが立ち、何かの成果を期待するように胸の前で手を合わせていた。
マントで顔は隠れているけれど、傾かせている様子から、目を輝かせているに違いないだろう。
まるで子供みたいに、さっきの直球的な言動も無邪気さからであるから、気にしてはいけない。
「ゴメン。これといって、感じることはなかったわ」
嘘。
でも、さっきの光景はどうしても黙っておきたくて、かぶりを振った。
笑ってごまかしはしても、自信はないんだけど。
「そっか。残念」
ミサゴは疑うことなくあっけらかんと、手を伸ばした。
どうもミサゴは人を茶化したりするけれど、この明るさ助けられるのも事実。
ちょっと気持ちは晴れてくれた。
「悪いわね。期待に添えるーー」
だから私も明るく振り舞おうとするのだけど、不意に声を詰まらせてしまう。
ミサゴの後ろには石柱が倒れている。
その石柱に凭れて眠るエリカを捉えて。
彼女を連れて来たセリンは言っていた。彼女はレイナ。アイナの姉の生まれ変わりである、と。
本当に?
正直、まだ信じることはできない。
アイナの記憶が戻り、リナと別れる間際、そんな雰囲気は察した。
ーー 姉さん。
だからあのとき、咄嗟に口走っていたけれど。
本当なの?
今は疑いが強まっている。
私がエリカと旅を共にした時間はほとんどない。だからか、彼女のイメージはさほどない。
ずっとキョウの後ろでモジモジしている人見知りの激しい子。
時折突発的なことをするけれど、自己主張のない子だと思っていた。
「しかし、本当なのかな。この子がレイナの生まれ変わりだなんてさ」
私の疑問を代弁するように、ミサゴが唇を尖らせた。
「セリンが言うのだから、本当なんでしょ。私も彼女の存在には気づいていたし」
「でも、そのセリンはいないよ。この子を置いてまたどこかに行っちゃったし、この子も全然目覚めないしさ」
それは心配事の一つである。
エリカはセリンが連れて来てから一度も目を覚ましていない。
ずっと眠ったままである。
「でも、そのセリンはいない。まったくどこに行ったんだろうね」
「彼には彼なりの心配事があるんでしょうね」
エリカを連れて来たことは、感情的になったんだと驚かされた。
けれど、無計画に動く人物じゃないはず。
セリンをかばうと、「そぉ?」と不満げに首をすぼめるミサゴ。
「で、アネモネはどうなの?」
何気ない一言は、私の胸をグッと掴むほどの衝撃となって受けた。
「どうして?」
平静を装いながら首を傾げると、ミサゴはマント越しにこちらを見詰めているのはわかった。
腰に手を当てる姿から、ごまかしは通用しそうになく、何度も頷くしかない。
でも、さっきの幻のことは話したくない。
「……そうね。やっぱり私にしても心配事は多いわね。やっぱり……」
嘘をつけば、そこを強く要求されそうな雰囲気を、静かななかにミサゴに漂っている。
ここは下手にごまかすことを諦めた。
すると、「ーーそ」と意外にもミサゴは素っ気なく答え、背を向けた。
「大丈夫だよ。アネモネ」
どうも素っ気ないのね、と拍子抜けに目を丸くしていると、静かにミサゴは呟く。
それでもどこか強い口調に尾を引いてしまう。
「……やっぱり、アイナ様の障害になるものが多いってことだよね。でも大丈夫。アイナ様の邪魔をする奴は絶対に許さない。前みたいなことは絶対に……」
「ーーミサゴ?」
急に口調が重くなるミサゴ。自分で悩みをまとめるような言葉をこぼすと、
「ーー大丈夫だよ」
振り向き呟いたとき、スッとミサゴは姿を消した。
どうも不穏な雰囲気に苛まれ、引き留めようとしたが、風が舞うだけであった。
「……何が起きたの?」
気持ち悪さがこぼれた。
「……彼は大丈夫なの?」
不安が積もるなか、どこかからか女の声が届いた。
なんか怖いな。
頼むから何かを含んだ言い方は止めてくれ。




