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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第四部  第一章  4  ーー  強まる焦りに痛み  (2)  ーー

 二百十話目。

    見下されてるわね、私ら。


 それは一つの挑発、警告でもあったのだろうか。


 ワシュウ。


 突如、鉄格子越しに現れた男は自らの名を告げた。

 あくまで穏便で丁寧な口調で告げると、穏やかに頬を緩め、笑みを浮かべた。


 何を企んでいる?


 どうも敵対する素振りは見せてこないけれど、一気に詰め寄ろうとする姿勢が受け入れられず、警戒を強め、奥歯を噛んでしまう。


「あなた方にお目にかかるのは初めてですね。少しお話がしたく、お伺いしました」


 こいつは僕らをバカにしていりのか、あくまで敬語を崩さない態度は逆に僕らを見下しているようで、憎らしい。


「別に僕はあなたに話すことなんてない。話す暇があるなら、ここを早く出してほしいです」


 こちらが感情的になってしまうのは、それが狙いなのかもしれず、怒りは隠した。

 それでも語尾はどうしても強くなってしまう。


「悪いわね。生憎、私らはあんたに面識もなければ、聞かれるようなことはないと思うんどけど。私らが話したいのは先生、ヒダカよ」


 リナも事を荒げるのを危惧したのか、静かに口を開いた。

 いくぶん、僕よりも口調は荒いけど。

 鉄格子越しに睨んでいなければいいけれどな。

 いや、わざとこのワシュウという人物の出方を伺っているのかもしれない。

 できるだけ穏便にしてほしいのだけど。

 僕の心配をよそに、ワシュウは表情を崩さず、胸の前で腕を組み直した。


「……ヒダカ殿か。あの方は博識で聡明であると伺っています。ただあの方もお忙しい方。もしかすれば、あなた方がここにいることをまだ知らされていないのかもしれません」

「よく言うわよ。あんたがわざとそうしているんじゃないの。それとも先生の指図?」


 リナの口調に怒りがこもるのを聞き逃さなかった。

 それでもワシュウは臆せずかぶりを振る。


「残念ながら、私はヒダカ殿にお会いしたことはまだありません。ここに来たのは私の独断です。先ほども言った通り、私はあなた方に聞きたいことがあり、ここに参った次第です」

「……何が聞きたいんだ?」


 別に警戒心がなくなったわけではない。それでも嘘をついている様子もなく、つい一歩踏み込んでしまっていた。


「あなた方の目的です」

「ーー目的?」

「そう。あなた方は、どうも我々“蒼”の障害になるような動きをしているように見える。特にリナリア殿。あなたは屋敷から大剣を盗み逃走した。それは“蒼”だけにあらず、世界に影響を与える愚行であったかもしれないのですよ」


 ワシュウの視線がリナの牢屋へと傾く。穏便でありながらも、叱責しているのは明白である。


「……理由も何も、私たちは知りたかったのよ。“アンクルス”を探すためよ。それが私たち姉妹の本当の故郷であるかもしれない。それを私たち知りたかった。だから探そうとしたのよ」

「……アンクルス。その名をどこで?」

「はぁ? そんなの教える必要ないでしょ」


 そうだった。

 確かにリナとアネモネに初めて会った当初、それが姉妹の目的だと言っていた。

 ずいぶんと目的はズレているようで、少なからず責任を感じてしまう。


「……アンクルスを求める…… ずいぶんと浅はかな考えです」


 それは独り言のように小さく呟くワシュウ。

 何を言っているのかはっきり聞こえなかったけれど、酷くぞんざいに吐き捨てた。

 平静を保っていたワシュウが初めて感情的に見えた瞬間でもあった。

 現に、ワシュウは急に黙り込み、目を瞑ってしまう。こちらの声を拒むように。


「では、あなたは?」


 そのまま黙っているのかと気を抜いていると、急にワシュウは矛先をこちらに向けてきた。

 急に話を振られた驚きもあったけれど、先ほどよりも細い目がより険しくなっていた。

 問いかけというより、尋問に似た雰囲気があり、逆らえない恐怖がワシュウに漂っていた。


「そんなの決まってる。エリカを助けに行きたいんだ」

「……エリカ?」


 そうだ。そのためにここにいるわけにはいかない。


「そうだ。エリカを探しに行かなければいけないんだっ」

 迷いはなかった。

 だからこそ、強く言い切るけれど、ワシュウはどこか冷たい眼差しで見据えてくる。

 怯まず睨み返すけど、ワシュウには効かない。

 しばらく睨み合っていると、根負けしたのか、ワシュウは溜め息をこぼし、


「なるほど。それだけ大切な人物ということですか。ならば、そのような軽率な行動は控えるべきだと思いますが?」

「……軽率?」

「そうではないかな。そのように無謀な行動によって、自身を傷つけてしまえば、助けたい者も助けられず、成し得たいこともできなくなると私は思うのです」

「何? それって説教? あんたになんでそんなことをされないといけないの?」


 いきがって反論するリナに、ワシュウはふと表情を緩めた。


「どう捉えるかはあなた方に委ねることにします。ですが、感情のみで突き動くことは、時として己の信念を折られる結果を招きかねないと言いたいのですよ。正直、私もどこか失望しました。我々を脅かす行動をするならば、それなりの信念を胸に動いていましたが、残念ですよ。まぉ、こうして話せたことはよかったですが」

「……勝手なこと言うなよ……」


 口調は柔らかい。

 どこか諭されているような間隔に陥った。それでも柔らかさの後ろに隠れた、傲慢さで頭を押し潰されているみたいで、耐えられなかった。

 胸に垂れ込んだしこりを吐き出すべく呟くと、ワシュウに詰め寄った。

 人と争うのは正直苦手。

 でも耐えられなくなり、睨んでしまう。

 縄で縛られながらも、鉄格子を握る。力任せに揺らしてみるが、鉄格子はビクともしないのが腹立たしい。

 また、ワシュウも臆することない姿がより感情を逆撫でした。


「……僕らの気持ちも知らないくせに」

「それはあなた方次第ですよ。私の言葉をどう受け止めるのかは。そのまま感情的に挑発と撥ね除けるか、助言として受け留めておくかは。私もあなた方がどのような方か見極めることができましたので」


 やはり挑発にしか聞こえず、睨み続けていると、ワシュウは一歩下がって頭を下げた。

 あくまでお辞儀をするように。

 そして背を向けた。

 もう話をすることはない、と言いたげに。


「あんた、何がしたかったの?」


 再び床を蹴る甲高い音を立てて去るワシュウに、リナが吐き捨てる。

 あたかも負け惜しみを残すように。

 すると、ワシュウは足を止めた。


「そうだ。リナリア殿、一つ忠告が」

「ーー何?」

「アンクルスを探すのは止めなさい」

「何? あんた何か知っているの?」

「アンクルスなんてありません」


 頼むから、暴れようなんて考えるなよ。

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