第三部 第八章 5 ーー 宣告 ーー
二百二話目。
自分の出番がないのも退屈ね。
エリカが怒るのもわかりそうな気がするわ。
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洞窟には何も残っていなかった。
そこに存在するものはただ一人、タカクマだけ。
それこそ、タカクマ一人がここに居座っていただけだと、勘違いさせるほどに、痕跡は何も残っていなかった。
運び出されたのも、彼の遺体だけに留まった。
「……どうする? 逃げる?」
困惑を隠せず、アカギらが喋っているところからジリリと距離を取ると、リナは辺りを警戒しつつ声をひそめた。
「……どうだろ。そう上手くいきそうにないかな」
遠きに立ち、こちらを睨んでいる一人の兵士に気づき、横目で伺いながら、顎を擦ってしまう。
なるほど。こんなときにも、統制はできているようだ。
「見張りの目はしっかりしているようだけどね……」
茶化してぼやくと、リナは拗ねて顔を背けた。
「だからって、素直に捕まるのも癪だと思わない?」
「まぁね。でも、考え方を変えれば、連中の元だったら、新たな情報も得られるかもしれないし」
「信用なんかできるの?」
「あいつらは信用してないさ。けど、先生は信じたいだろ」
リナの表情が一段と暗くなった。
「それは当然だけーー」
顎を引き、頷こうとしたとき、閑散とした通路に強風が吹き抜けた。
ゴォォッ、と轟音を連れて来る風は、地面に落ちていた瓦礫なんかを奪い去るように地を走った。
普段の風とは違うに、つい手で顔を覆った。
通り抜けた風は草を揺らしていた。
乱暴な風が収まった後、ふと空を見上げてしまう。
何事もない穏やかな空が流れているだけで、変わりはない。
それなのに、つい胸に手を当ててしまう。
なんだろう、この胸騒ぎは……。
胸のしこりがなくならないまま、不意に振り返ったとき、目を見開いてしまう。
閑散とした通路に、一人の男が忽然と姿を現した。
赤みがかった髪で背が高く、鼻筋が整った顔立ちの男。
初めて見る男であったけれど、容姿にざわついてしまう。
黒マントに身を包んでいた。
それはあのときの……。
「……彼女を保護している」
「……この声……」
忘れるはずがない。
全身に震えが走る。
記憶が叫びそうになる。
「……あんた、セリン?」
先に声を発したのはリナ。
驚愕からかメガネを外している。
二人にも面識があるってことか。ってか……。
「……変な言い方をするのね。元からアネモネと一緒にいたでしょ」
「アネモネ殿ではない」
セリンはかぶりを振ると、ふとこちらを向いた。
無言のまま投げかけてくる。
「まさか、エリカッ」
不穏な予感がしてしまい、声を張り上げてしまう。
ずっと見据えるセリンの眼差しが物語っていた。
「彼女を保護している」
言い直すセリン。
「なんで? なんでエリカを……」
「彼女はここで命を落とすわけにはいかない」
「そんなことより、なんでお前がエリカを」
「彼女を死なせたくなかった。だから以前、エルナで命を奪われようとしたとき、助けることにした」
そこでセリンの目つきがより鋭くなった。
「俺は君に彼女を託すことにした。そして、穏便に暮らしてくれることを願っていた」
気のせいか、僕を憎んでいるようにさえ見える。
「なんで? あんたはエリカにそんなに固執するの?」
素朴な疑問がリナからこぼれる。
「お前たちに警告をしに来た」
「警告? 私たちは別にあなたに反抗した覚えはないわ。むしろ、妹をさらわれた被害者なのよ。私があんたを恨みたいぐらいよ」
「お前たちに、あの姉妹を守ることはできない」
セリンは強い口調で言い切ると、腰に下げていた剣の鞘に手を添えた。
一歩でも動けば、切りつけられそうな緊張が走る。
「姉妹ってどういうことだよ」
でも引き下がるわけにもいたない。
「アイナ様には、一人の姉がいた。名を“レイナ”。そして、彼女はレイナの転生された姿だ」
「……転生?」
それって……。
本当は反論し、できるならばエリカの居場所を問い詰めたい。
それなのに、体が言うことを利かない。
セリンから放たれる威圧感に負け、黙るしかない。
「……だからって、エリカまで奪うつもり?」
それでもリナは怯まず、セリンを睨んだ。
「すべては星のために。それを君らに伝えに来た。君らのそばにいれば、危険が及ぶ」
そこでセリンは話し終わり、と言いたげにフードを被り、顔を隠した。
踵を返し、背中を向ける。
消えるーー
そんな予感が走る。
なんで?
エリカは?
なんで?
なんでエリカがいないんだ?
なんだろう。急激に襲ってきたのは、憤り。
急に現れたセリンに、一方的に話を進められたことに、怒りが抑えられなくなる。
両手をギュッと握ってしまう。
「なんだよ、それっ。そんなの関係ないだろっ、そんなの知るかっ」
セリンの足が止まる。
「レイナ? 知るかっ。あいつはエリカだ。エリカを返せっ」
怒りがすべて吐き出してしまう。
「お前は退くべきだ。きっと苦しむことになる」
振り返らないまま、セリンは冷静に言い切った。
でも、そんなのは関係ない。
相手が誰であろうと、逃げるわけにはいかない。
爪がめり込むほどに拳を握り締め、地面を蹴った。
「……さらばだ」
刹那、セリンは忽然と消えた。
……ごめん。
今はちょっと考えられないかも……。




