第三部 第八章 4 ーー 安堵と狂気 (2) ーー
二百一話目。
なんか、私らのいない場所で、大変なことが起きている気がするんだけど。
大丈夫?
……ダメッ。
「ーー残念」
満足げに発したのはローズの声と、心のなかで弾けた叫びが重なると、背筋が凍った。
無表情のままローズを睨みつけるセリン。
一度瞬きをしたとき、左頬にスッと赤い筋が走った。
目を見開いてしまう。
心臓を握り潰される痛みに呼応し、不意にキョウの姿が重なっていく。
急激に汗をかき、突然倒れたキョウ。
その後、意識を失い、まったく起き上がらなかったのを。
ローズに受けた毒によって。
「さっきのナイフにはそれなりの毒が塗ってあるの。さぁ、どれぐらいの時間耐えられるかしらね」
もう終わり、と言いたげに髪を掻き上げるローズ。
……ダメ……。
「さぁて。どれだけ耐えてもらえるかな? あなた、体力がありそうだから、五分? 三分? それとも?」
何かプレゼントをもらい、楽しむように両手を叩くと、目を細めるローズ。
それまでの狡猾な声ではなく、猫撫で声で。
「別に問題はない」
憎らしく首を傾げるローズに、平然とセリンは吐き捨てる。
動揺も何もなく。
私の心臓は確実に動揺を受け、息が詰まっていく。
毒を受けた?
どうなるの? キョウはあのとき……。
だったら、あの人は……。
キョウの姿が脳裏を掠めたとき、目の前のセリンが揺らいで見えてしまう。
倒れるの?
毒で?
そんなの……。
ーー止めてっ。
急に聞こえたのは、悲痛な叫び。
心臓を締めつける声だけれど、セリンとローズは互いに牽制し合ったまま。
声に気づいていない。
ーー このままじゃダメ……。
空耳だとごまかそうとするなか、また聞こえる。
それは私のすぐ後ろで訴えているような、頭のなかで直接訴えているよいな、不思議な感覚に陥ってしまう。
けれど、どこかで聞いたことのある声。
誰? と聞きたいのに、悲鳴に応えなければいけない気がしてしまう。
それは使命感みたいに。
どうしたらいい?
胸にうずくまる不安に問いかけてしまう。
ーー 助けてっ。
助ける……。
途絶えることのない悲鳴によぎる光景。
それがどうなのか理解しようとしたとき、自然と右手を天に伸ばした。
なんで?
どうしてこんな動きを?
わからないまま勝手に体が動いてしまっていた。
体がそう訴えていた。
「さて、もうどれぐらいの時間が経っているのかな?」
「言ったはずだ。俺にそんなものは通用しない」
助けなければいけない。
胸で訴える声が誰であったのか、わかりかけたとき、強く願ってしまう。
「ーー早くっ」
途切れ途切れ聞こえた声を理解した。
それはあのとき、閉じ込められていた牢屋で、隣から聞こえた奇妙な女性の声。
焦りが叫びになっていた。
張り詰めていた空気が一瞬歪んだ。
戸惑いに揺れたセリンとローズの顔がこちらに向いた。
怪訝に眉をひそめるローズに、セリンは驚愕に頬が歪んでいる。
初めて見るセリンの感情を表に出した仰々しい表情。
「ーー止めろっ」
セリンの発狂が轟いたとき、右手に触れるものがあった。
咄嗟に力強く握った。
ゆっくりと視線を上げる。
右手には大剣を握っている。
アネモネが持って行ったはずの大剣。
……助けなきゃ。
「ーー助けないと」
「ーー止めるんだっ」
強く願ったとき、けたたましい光が大剣から放たれ、その場を包んでいく。
「止めるんだ、レイナッ」
うん。なんか、嫌な胸騒ぎがする……。




