第三部 第七章 4 ーー 時間はない ーー
百九十三話目。
ある意味、ここで会いたくない奴が出てきたかもね……。
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全身に花のツルが絡まっていくような、そんな気持ち悪さに襲われた。
「はぁ? 何ふざけたことを?」
意識が遠退きそうななか、リナが訝しげに聞く。
「数日前、何者かに襲撃に遭い、滅んだ町があると報告があった。なるほど。それにローズが関わっているのなら、合点がいくな」
一人で納得したのか、拳を鼻に当て、考え込むアカギ。
「そのエリカって子のことなら、俺たちに任せてほしい。ローズが関わっているならば、慎重に事を運ぶべきだ」
「ふざけるなっ。そんなこと信じられるかっ」
いたって落ち着きを払っているアカギに、我慢ができず叫んでしまう。
エリカを放っておくなんてできるわけがない。
「大丈夫だ。俺たちを信用してくれ。だから、君たちはヒダカ殿のところへ。あの方と話し、今後のことを」
「そんなの知らないっ」
瞬間。
僕はアカギへ飛び込んでいた。
なんでもいい。
ちょっとした隙を作ればいい。
ローズと変わらない強さ?
だからなんだって言うんだ。そんなの関係ないっ。
こんなところで止まってなんかいられない。
エリカを助けに行かなきゃいけないんだ。
実力の差なんか……。
知るかっ。
「止めろっ。今、君と争っているつもりはない」
くそっ。なんでなんだっ。
正直、体術に自信なんてない。
昔、エルナにいたとき、治安目的と称して訓練もしていた。
けれど、どうも今は体の動きが鈍く、上手く動いてくれない。
当時の動きができない。
当時より体力が衰えてるってことか。
ただ乱暴に、ケンカ腰でアカギに立ち向かうだけ。
「アカギ様っ」
騒ぎに物影に隠れていた兵が、剣を片手に飛び出してくる。
物々しい形相に、そばにいたリナもナイフを構える。
「ーー構うなっ。お前たちは絶対に手を出すなっ」
くそっ。どれだけ余裕なんだよっ。
鬼気迫る兵を冷静に制止するアカギ。
憎らしいほどに、僕の攻撃を軽々とかわしながら。
僕の拳を手で払ったり、体を逸らして避ける様は、あたかもダンスを踊るみたいに軽快であり、まるで子供扱いをしているように。
それでいて、払われる手には力が入れられ、こちらが痛い。
このまま足払いでもされれば、それこそ無様に転けてしまう。
しかも、追い詰められている素振りはなく、余裕を見せている。
憎らしい顔が癇に障る。
それだけ実力差があるってことかよ、くそっ。
だったらっ。
一度大まかに左拳を繰り出した。
するとアカギは大きく体を捻らせ、当然ながら余裕に避けられた。
「ーーっ」
即座に三歩ほど後ろに下がった。
「キョウッ」
「アカギ様っ」
リナと一人の兵の声が響き、騒然となる。
一際年配に見える兵。
こいつも以前、リキルで見た気がした。
挑発はしたくない。けれど、つい口角が上がる。
一気に頬を引きつらせ、身構えているアカギを目の当たりにして。
僕の右手には、剣が握られていた。
数秒前までアカギが腰に下げた鞘に収められていた剣を。
アカギが体を捻って避けたとき、咄嗟に鞘から抜き、盗んでやった。
緊迫するなか、ジリッと詰め寄る。
体術は苦手だ。体術は……。
一歩踏み込んだ。
お前は憶病すぎる。
むかし、冷やかしでぶつけられた言葉がよぎる。
剣を、武器を持つことに臆病で何が悪い。
武器を持つことは、町を守るため、人を守るための大義名分。
充分だと思う。
でも、それで誰かの命を奪う行為はどうも嫌だった。
人を殺すことに臆病になって何が悪い。
エルナにいたころ、前線から逃げる僕をバカにする者に、内心ずっと抗っていた。
エリカを助ける。今は違う。
そのためだったら……。
空を切る剣先がアカギの金髪を掠める。
まだアカギの体を剣が捉えることはまだない。
青い服を傷つけることもまだない。
それでも……。
アカギにさっきよりも余裕がない。
目つきも鋭く、刃もギリギリでかわしており、部下らに指示を出すこともない。
それは剣を持っただけの差とは言わせない。
エリカを助けるため、誰にも邪魔はさせない。
肩の痛みが完全に消えたわけじゃない。
むしろさっきよりも痛みが増している気もする。
でも。
そんなこと知るかっ。
大きく振り下ろした剣が空を縦に切る。
アカギは咄嗟に地面を蹴って後ろに逃げた。
体勢を崩し、手を突いた。
少しでも優勢であるのは、引きつったアカギの顔を見ていると確認できる。
「アカギ様っ」
「ーーよせっ」
後一歩、というとき、見かねたのか一人の兵が剣を片手に、詰め寄ってきた。
誰が相手であってもっ。
刃がぶつかる甲高い音が轟く。
退くわけにもいかず、刃の受け流しが続く。
戸惑う兵の表情を捉えたとき、右手を振り上げた。
衝撃音とともに兵の腕が振り上がる。
兵の剣が天に舞う。
容赦しない。
手にした剣を兵の首元を捉える。
時間が止まったように兵は仰け反り、固まってしまう。
天に舞っていた剣が弧を描いて落ちてくる。
それに左手を伸ばし掴むと、また兵の首元に添えた。
ハサミみたく挟む形で。
「エリカを助けるためだったら、容赦はしない」
「止めろっ」
刃に挟まれ、怯えと蔑みの目差し向ける兵を睨んでいると、アカギが制止する。
両手に力を入れる。
ドゥンッ。
渇いた轟音が轟いた。
何が起きた?
誰かに向けた問いは、喉を通ってくれなかった。
気づけば、視線が上へと流れていく。
事態を把握できないまま、全身から力が抜けていき、気づいたときには肩が地面に着いていた。
倒れた、となったとき、手にしていた剣も地面に落ちる。
そして、急に脇腹に激痛が走った。
「ーーキョウ……」
すかさず駆け寄ったリナは慌てふためていた。
「アオバッ。何をしているっ」
痛みに頬を歪めるなか、アカギは一方を睨み、発狂した。
「あんたっ、ふざけないよねっ。早く医者にっ」
痛みのある脇腹を押さえて叫ぶリナの手を掴んだ。
「大丈夫。大したことないよ。それ…… より、早ムーリフに……」
僕のことなんか気にしなくていい。それよりもエリカを。
こんなところで休んでいる暇はない。
焦りがあるのに、意識が遠退いていく。
こんなところで止まってられるかっ。




