第三部 第六章 3 ーー 黒い空の正体 ーー
百八十一話目。
すべてが消される……。
それが……。
3
驚きで瞬きを無駄に多く繰り返していた。
空耳かと何度も首を傾げた後、まさかな、と振り返ってみる。
形はどうであれ、嬉しかった。
それまで部屋の隅に身を隠し、警戒をまったく解こうとしなかった彼女が、灯りの届くところに出て来てくれていた。
「ーー大丈夫?」
それでも心配になり、声をかけてしまう。
灯りの届くところで立ち竦んでいた彼女は、何かに怯えるように両腕を抱きかかえ、うつむきながら、
「……テンペストが来る……」
「テンペスト?」
彼女は僕の視線に気づいたのか、顔を背けるとその場にしゃがみ込んでしまった。
凍えそうな声で放たれた言葉に戸惑いながら、膝を着いてしゃがみ込んでしまった。
今のことは本当なのか? それなら危険なんじゃ……。
「今、確か“テンペスト”って……」
きっと聞き間違いであってほしいと願いつつ、問い返すと、何も言わずにこくりと小さく頷いた。
それはテンペストを認めるってことに……。
「そんな、いやでも、町は何も被害なんて……」
テンペストについては様々な噂が流れていた。
一番多いのは、多大な天変地異を疑うものが多かった。
突然町に襲った黒雲の嵐によって、町全体が流されて壊されていく、と。
なかには神の鉄槌や裁き、と抽象的な原因と訴え、大きな獣が黒雲に潜み、町を壊していると言う者もいた。
伝えられていたからこそ、僕としては信じたくなかった。
だからこそ首を傾げていると、不意に右手を上げ、部屋の壁を指差した。
釣られて見てみても、そこには壁があるだけ。
それでも手を下ろすことのない彼女。それだけのものがその先にあるということなのか。
瞬きをし、茶色い壁をじっと眺めていたとき、「あっ」と声をもらしてしまう。
彼女が指差す先は、昨日見張りのときに、奇妙な黒雲を見つけた方向であった。
「まさか、あの黒雲がテンペストだって言うの?」
僕の問いかけに、彼女は黙ったままで、上げていた腕を下げた。
あれが? でもそんなはず…… いや、それよりも。
「なんで、そんなことわかるんだい?」
「感じるから…… テンペストを感じることができるから」
顔を上げ、張り上げた声は、牢屋全体に広がった。
その眼差しは悲しみを訴えている。
まっすぐで強い力を放っていて。
そのときに見た姿は、彼女が初めて見せた感情であると、肌に伝わってきた。
強い訴えは、嘘を言っていないと疑いたくないけれど、どうしても信じ切れない思いもあった。
大丈夫だから、と何度も語りかけ、彼女を落ち着かせていたのだけど、怯えた姿はしばらく経っても消えはしなかった。
翌日、また塔の見張りに立っていると、頭の片隅に、彼女の顔をよぎらせた。
一昨日、見つけた黒雲があった方向を眺めてしまっている。
一昨日の光景が嘘みたいに、穏やかな青空が広がっていた。
薄い雲はゆったりと泳いでおり、風が吹いている。
信じられないほど優しく。
塔の縁に肘を突いていると、
「やっぱり、気になるか?」
一昨日、ここで一緒に黒雲を見つけたユアサが声をかけてくる。
振り向くとユアサは唇を噛み、難しい表情で迎えていた。
「なぁ、結局、あの変な雲ってなんだったんだ?」
まだただの嵐なんだと信じたくて聞いていた。
だが、僕の願いを拒絶するみたいに顔を伏せると、苛立ちをごまかすように、頭を掻き毟っていた。
「あれはテンペストだったらしい」
「ーーえ?」
「あの後、上に上に報告したんだ。そしたら、調査隊が送られたらしい」
そこで声を詰まらせるユアサ。
しばらく逡巡した後、力なくかぶりを振る。
「……何もなかったらしいんだ」
こぼれ落ちた言葉は、思い当たるすべての不運を語っているみたいで、胸の奥に重くのしかかった。
また彼女の苦しむ顔が強く浮かんだ。
怯えてしまうよな……。
やっぱりあれを見ると……。




