第三部 第五章 4 ーー エルナに関わる ーー
なんで、あんたに会わなきゃいけないのよ。
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懐かしい名前であった。
自分たちから発することは何度もあっても、誰かからその名前を聞くことはあまりなかった。
だからこそ、衝撃は大きかった。
まったく、気分は優れない。
それまで静かだった空も、次第に雨粒を落とすようになっていた。
「あらら。せっかくのお酒が台無しね。まったく天気のくせに空気が読めないんだから」
ポツリと降り出した雨に、怒るように唇を尖らせると、グラスを上段の階段に置いた。
「あれ? 表情が変わったけれど、どうしたの?」
確かに動揺はしていた。
つい両手を強く握ってしまう。
「ふ~ん。そっか。あなたたち、関係者ってことなのかな」
「ーー関係ないっ」
憎らしい笑いを振る舞うローズを一蹴したのはエリカ。
それまでずっと沈黙を守っていたエリカが急に発狂すると、大股に歩を進める。
「あなただけは許さないっ」
僕らから三歩ほど進んだところで足を止めた。
それでも、それは必死に歩を堪えているように見えた。
「あれ? 私に何かあるの?」
エリカの反応に対し、ローズの目つきが変わる。
蔑んだ冷たい視線がエリカに向けられた。
それまで高みの見物と、遊んでいた様子のローズであったけれど、一瞬で変わった。
背筋を凍らす冷徹な姿に。
ローズの雰囲気が変わるのを察したのか、広場の周りにはいた蒼の連中にも警戒が広がる。
一瞬にして、誰もが腰に下げていた剣のグリップに手を添えた。
以前もそうだった。
悔しいけれど、統率だけは執れている。このままローズが何かの合図を飛ばせば、一斉に飛びかかってきそうである。
一気に緊張が走る。リナもゆっくりとメガネを外した。
「……今度はどうなるかわからないわよ」
リナの一言は警戒をより強める。
どちらに注意を払うべきか、気持ちが散乱していたとき、唐突にローズは右手を上げる。
同時に張り詰めている空気が緩んでいく。それまで殺気を放っていた兵らの殺気が散っていく。
「あなた、前にもいたわね。でも私が敵意を向けられる覚えはないんだけど?」
平静を崩さないローズは、挑発的に首を傾げる。
それでも威嚇を緩めることはない。
「それとも、エルナを侮辱されたとでも思った?」
「だから、それは関係ないだろっ」
またエルナの名を聞いて、体が反応してしまう。
僕の叫び声に、ローズが憎らしげに目を細めた。
「そうして反応を見せることが、関係を示してるってことじゃないの?」
唇を噛み、息を呑むしかできない。
核心を突いたことに、満足げに目を細めるローズ。
「認めたくないのかしら? エルナに関わることは、ナルスと同じく罪を背負うのと同じだものね。何せ、ナルスとエルナは武器の製造や輸出で争っていたんだものね」
……止めろ。
昔のことは思い出したくは……。
「そんなものは関係ないっ」
否定したい気持ちが高ぶるなか、またエリカが叫んだ。
不意にエリカが右手を大きく伸ばす。
手にはそれまでなかった物を握っていた。
見慣れない独特な形状のナイフを。
でも、どこかで見たことのあるナイフ。
「へぇ。それ私のナイフじゃない。それをどこで見つけたの?」
嬉しそうにするローズに、エリカはナイフの刃先をローズに向け、両手で握って構えた。
ゆっくりと顔を伏せるローズ。
一拍間を置いたから、上目遣いで睨んでくる。
それこそ、蛇がネズミを見つけたときみたいに狡猾に。
そこに刃物を向けたことによって、辺りにいた兵らの警戒も強まり、誰もがた身構える。
すると、ローズは首の凝りを解すように首を回し、
「だから、邪魔すんなって言ってんだろっ、バカがっ」
一蹴が轟いた。
怒声を浴びたのは周りにいた兵たち。
「黙ってろっ」
兵らに戸惑いが流れるなか、さらに轟いたローズの恫喝と同時に、兵らが剣から手を放した。
それでも危険が去ったわけではなく、体を縛りつける威圧はさらに強まり、重なっていた。
雨粒が痛い。まるで石を当たられているみたいに。
ただ一人、ローズだけが悠然として首を擦り、睨みを利かせる。
エリカを威嚇しつつ、ローズは腰を上げ、髪を撫でた。
「私に刃を向けるなんて、面白いじゃない」
同時に右手首をクルリと顔の横で回転させると、手の平にナイフが飛び出る。
突き立てたナイフを横に向ける。
「安心して。これには毒は塗っていないから。ゆっくりと楽しませてあげるね」
「ーーダメッ。エリカ下がってっ」
ナイフを構える姿とは違う猫なで声に、リナが叫ぶ。
ーーえっ? と声をもらす暇もない間に、ローズの姿が消えた。
エリカとローズの距離はかなり離れていた。
三メートルは離れていた。
……はずなのに。
視線が戸惑うとき、地面の砂が舞う。
キュッンッ。
金属がぶつかる高い音が鳴った。
聞きたくないことを、こいつから聞かなければいけないのかよ。




