第三部 第五章 2 ーー 狂気との再会 ーー
百七十四話目。
……ふざけないで……。
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発することすらも拒むように、恐る恐る口を開くリナ。
ローズと名前を聞いた瞬間、急激に胸に大きな石をぶつけられたような痛みが走り、手で押さえてしまう。
そのまま掻き毟りたくなるほど痛く、痛みをごまかすように胸をより強く押さえてしまう。
それでも苦しくなり、息をするのも辛くなる。
怖い?
「本当なの、リナ?」
僕が怯えていると気づいたとき、エリカの冷たい声が鼓膜を通る。
振り向くと、エリカがそれまで見たことのない、冷徹な目をリナに向けていた。
その違和感に戸惑う隙もなく、リナは黙って頷いた。
刹那。
エリカは髪を翻して踵を返すと、有無もなく建物を飛び出していた。
「おいっ、エリカッ」
呼び声は空しく宙を舞っている。
「ったく、なんなんだよ、あいつ」
エリカの行動は、僕の恐怖すらも消し去っていた。
「……あの子、まさか……」
事情が掴めないなか、何かに気づいたのか、リナが頬を歪める。
「とりあえず、君たちはここに隠れていて」
後ろで怯える二人に声をかけ、エリカの後を追った。
ったく。何がどうなっているんだ。
町の中心では、煙が昇っている。
家を焼かれたからかは定かではないけれど、何発も顔を殴られたみたいに、気持ちは掻き毟られてしまう。
惨劇の狼煙とでもいうのか。
町は比較的簡素な町で、木造の家が多かった。
それらの家はすでに数軒が崩され、壁などがめくれている。
斧や投石によって壊されているみたいに。
そして、数人の人が道で倒れていたり、残った家の壁に凭れ、座っている姿がいくつもあった。
きっと町の住民なのだろう。
決して動くことはない。
それらの人の服や、倒れた地面が赤く汚れている。
視界に飛び込んでくる人々は、みな殺されていた。
足が竦み、倒れてしまいそうなのを懸命に堪え、必死に地面を蹴った。
散々な光景を横目に進んでいると、道の真ん中で立ち竦む人影を見つけた。
エリカだ。
「エリカッ」
ようやく追いつき、息を切らして横に立った。思いのほか息が上がって顔を伏せてしまう。
こちらの心配をよそに、微動だにしないエリカ。
不審に思い様子を伺うと、エリカは仰々しい眼光を一点に注いでいた。
「……酷いわね。この状況ーー」
少し遅れて着いたリナが、町に対して率直な思いをこぼしていたとき、急に声を詰まらせる。
「あら。偶然ね」
刹那、背筋を這うような、ねっとりとした声が肌に張りついてくる。
耳を塞ぎたくなるような不気味な声を探ってしまい、視線が動いてしまう。
それはエリカが凝視していた方向と重なっていた。
「お前は確か…… ローズ?」
その人物と目が合った瞬間、背筋が凍った。
体が覚えていた。
以前、僕に毒を刺したローズであると。
まさに蛇みたいに狡猾な目つきがあった。
住宅を抜けた先の広場には、どこの町とも同じく、祭壇が設置されていた。
風が辺りの住宅の焦げ臭さを運んでくる。
なかには微かに血の臭いが混じっており、鼻を突いてくる。
その原因が目の前にいた。
「お前、なんでここに……」
ローズは小さな祭壇の階段に座り込んでいた。
寛ぐように何かグラスを傾けながら。
そして今気づいたが、広場の周りには数人の“蒼”の兵と思える青い服装をした者がいる。
以前と似た状況。
追い詰められているのだろうけど、以前とは少し違っている。
ローズが座る祭壇の壇上には、三人の男が座っていた。
いや、座らされている、と表現するべきか。
男らは後ろ手に縛られていたので。
「それで隠れているつもり? 顔を見せたら。リナリア」
グラスを傾けながら嘲笑するローズ。
それでも気を緩める隙はなく、言葉が出ない。
離れていても、逆らえない雰囲気にリナは従い、フードをめくった。
敵意をまとった鋭い眼光を注いで。
「あんた、この町で何をしているの?」
「そうねぇ。これから新たな旅立ちの祭りといこうかな。この人らを火柱にして」
と楽しむように言うと、顔を上げて、壇上に座る三人を眺めた。
あの三人を火柱って……。
「ふざけたことしないでっ」
新たな惨劇を楽しもうとするローズをリナは一蹴する。
それでもローズの態度は変えず、不気味に口角を上げていた。
「フフッ。冗談よ。私だってそこまで冷酷じゃないわよ」
「よく言うわよ」
平然とするローズに、リナは言葉を噛み殺した。
睨みつけるリナを嘲笑うように、顔を背けるローズ。
「あら、あなた?」
視線を逸らしたローズは、僕に気づき目を丸くした。
「へぇ~。驚いた。生きていたんだ」
狡猾的に口角を上げるローズに、唇を噛んだ。
そうだ。こいつに僕は毒で……。
体がそのときの苦しみを覚えている様子で、震えそうになっていた。
ダメだな……。
体が変なことを覚えてる……。




