第三部 第四章 2 ーー 誰かの日記 ーー
百六十八話目。
私は決して、バカじゃない。
それだけは言いたい。
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ナルスの名前がないのは理解していたつもりだけれど、地図を睨み合っていると、不意に顔を上げてしまう。
「そういえば、ここに置かれている書籍なんかは、どうやって集められた物なんだ?」
これまで深く考えていなかったけれど、知らない名前の町や、膨大な資料がここにあることに疑問が湧いた。
今では不謹慎かもしれないが、これだけの量を集めたことに感銘を受けてしまう。
「あぁ、それはワシュウ隊長です」
ワシュウ? 初耳だな。
それだけ時代が流れて組織も変化しているということか。
「あの方も、積極的に行動を起こす方ではなく、私も実際にお会いしたことはありません。隊長とはいえ、隊員を持たない、特別な方なのですが」
「……そうか」
照れ臭そうに頭を掻く兵に、つい笑ってしまう。
自分と似た気持ちでいる者がいたことに。
変わり者同士、話が合うかもな。
多少の嬉しさはあったけれど、すぐさまかぶりを振る。
今は見知らぬ者に、親近感を抱いている場合ではないか。
「わかった。ありがとう。ツルギやほかの者にも伝えておいてくれ。テンペストに動揺しないようにと」
さて、何が問題なのか……。
兵が下がった後、広げた地図を眺め、ここに書かれている名前の意味を考えていた。
……知らない名前ばかりの町だな、やっぱり…… 大体、地形自体が違うからな。
「これじゃ、ヘギ地方とムギ地方が綺麗に左右にわかれてるのか……」
それらを考えると……。
「……そういえば」
エリカだったか。
彼女は確か地形を今と重ねればどうとか、言っていたが……。
脳裏にかかる霧を払いたくて、苛立ちがつい指で忙しなくテーブルを突かせていた。
でも、突く間隔が狭まるほどに、霧は深くなっていくばかりで、名案が浮かぶことはない。
苛立ちで頭を掻き毟り、床に胡座を組んで座った。
ダメだな。
やはり、書類らに埋もれていた方が頭がどうもスッキリしそうだ。
なかば憎らしさを込めて、テーブルを見上げた。
一層のこと、あの地図を破って……。
「……日記なのか、あれは」
手を伸ばし、地図の横に置いていたノートを引き寄せた。
誰かの日記、なのか……?
こんなこと、なんで書かなければいけないんだろう。
このまま世界はおかしくないなっていく?
それだけはやっぱり嫌だ。
これは日記の持ち主が書き残した文なのか、見開きの一ページに書かれていた。
「やっぱりただの日記ということか」
ここで閉じてしまえば、罪悪感に苛まれることはないだろうけど、手は止まらなかった。
大ざっぱに数ページまとめてめくってみた。
○月×日
人はバカだ。
この一言に尽きる。
傲慢は心を狂わせてしまう。どれだけ、町を占領していけばいいんだ。
もうこれで、シャウザの町は陥落だ。
町の人は……。
これは国のため……?
「……これは国に対しての不満か?」
△月×日
権力、そんなものは私には関係のないもの。
そんなのはわかっているのに、どれだけ人を傷つければいいの?
それでも、私は傷つけなければいけない。
名前の知らない人々を……。
◎月●日
この戦争の根源。
それは権力に踊らされた特権階級の連中の業だ。
しかも、その本人は高みの見物で手を汚さない。
まったくお気楽なものだ。
奴らにとっては、戦争はただのゲームでしかないのだろう。
きっと、アイナって人も被害者だ。
彼女を求めて争いが起きているのだから。
これはかなり前の物らしい。
それは戦争が起きていたころか。
「よくこれだけの状態で残っていたものだな」
×月×日
今日、ナルディアに攻めた隊がいたと知らされた。
ナルディア。
あの町は攻められているのも、なんとなく理解できる。
あそこはそれだけのことをしているんだから。
ノートを静かに閉じ、大きく溜め息を落とし、頭を掻いた。
「ナルディア…… あそこはそれだけ昔から問題の多いってことか。テンペストが襲ったのも自業自得ってことなのか」
フッと、嘲笑していると手が止まり、瞬きを強くしてしまう。
頭の隅を何かに突かれたみたいで、気持ち悪くなる。
しかし、ナルディア…… これも今の若い者にしてみれば、知らないことか。
恥をかいてしまったな。今はナルス…… ーー
「ーーちょっと待てよ……」
暗闇に霞んでいた光が射し込んだ気がすると、体が勝手に動いていた。
確か……。
いや、そんなはずは……。
疑念が渦巻いているなか、本棚から取り出したのは地図。
本に挟まれていたのとは別の、現代の地図を。
確か、あの子は見知らぬ名前がある場所が忘街傷だと言っていたな。
この地図に載っている名前がすべて忘街傷じゃないにしろ、町がなんらかの理由で移動、もしくは滅んだと仮定して……。
地図の横に日記を開き、読んでいた部分を指でなぞっていく。
日記に記されていた町らしき名前を、古い地図で確認し、それを現代の地図の位置と照らし合わせていく。
「……ガクルにハウト。それにナルディア。これを今のナルスだとして」
予想は的中した。
そして、古い地図に示されていた町の場所には、現代にしてみれば、大半が忘街傷として発見されている場所。
エリカという子の着眼点は合っていたということか。
額に手を当て、息を整えた。
ちょっと待てよ。
「町への侵攻は…… ガクル、ハウト。それにやっぱりナルディア。あとはエル…… そこに重ねていくと……」
今度は地図に印をつけていく。
思い当たる町の名前、忘街傷の場所に……。
わかっているだけの場所に丸印をつけた後、ペンが手から落ちる。
全身から力が抜けていき、崩れるように床に座り込んでしまった。
額に当てる手に力がこもるほど、胸の鼓動が激しくなっていく。
「戦争で侵攻があった場所を、テンペストが襲っていた……」
はい?
突然、何を言い出すんだ、お前は。




