第三部 第三章 11 ーー 捉え方 ーー
百六十四話目。
問題はある。絶対に。
テンペストじゃなくて。
9
子供のころ、泥団子を作って遊んでいたとき、グチャグチャになりながらも楽しんで夢中で手を汚していた。
汚れることも楽しかった。
ただ時間が経ち、乾燥した団子を手で軽く握ると脆く崩れた。
忘街傷で見つけた武器を持ったとき、そのときに似た感触で、ボロボロとこぼれ落ちていく武器もあった。
それはあの泥団子が崩れていく空しさと同じだった気がする。
ナルスに戻り、宿で一晩経った朝。
「……なんか、寂しいな」
ベッドで横になり、かざした手を眺めていると、不意に昔を思い出してしまった。
「どうも目覚めは悪そうね」
宿を出て、珍しく晴れた空を眺めていると、リナが茶化してくる。
「かもしれないな。なんか、あんな奇妙な物を見ちゃうとね」
「まぁね。でも、この子は違う意味で怒ってるみたいだけど」
アクビを堪えていると、リナの指摘に振り返ってみる。
僕らの数歩後ろを歩いているエリカを眺めるため。
「朝ご飯、物足りない」
ったく、朝食を三人前は食べて、宿の人を困らせていたのは誰だよ……。
エリカの食べる姿を眺め、唖然としていた宿の者を、お前は見ていないのか、と嘆きたくなる。
「あれだけ食べたんだろ。昼まで我慢しろって」
「嫌だ」
間髪入れず拒絶するエリカ。
思わず僕とリナは顔を見合わせ、頷いた。
いつものエリカである。大丈夫だ。
ここのところ、テンペストについて大きなことが続いていた。
見えないところで精神的に滅入っているのか、と感じていたのだけれど、ただの杞憂でしかなかったみたいだ。
「ーーけど……」
憤慨するエリカを無視しつつ、町を歩いていたのだけれど、不意に足を止めてしまった。
何気に町を眺めてしまう。
「別の飲食店?」
憤慨して顔を伏せていたエリカは、期待を込めて顔を上げ、目を輝かせ、僕は満面の笑みを献上してやった。
そんなわけないだろ。
フンッと、拗ねて顔を背けるエリカ。そんなはずはない、と笑いたくなるなか、目が止まる。
「……またいるんだ」
同じ方向を眺めていたリナが口を開き、メガネの位置を直した。
祭壇が設置されていた広場。その前で立ち竦み、祭壇を眺めているヒヤマを見つけて。
「よくここに来るんですか?」
祭壇に近寄り、リナが声をかけると、ゆっくりとヒヤマが振り返った。
野花みたいに穏やかな表情を浮かべるヒヤマであったけど、やはり目蓋を閉じたままであった。
「ここでこれを見上げるのが日課になってるのかもな。ま、見えてはいないんだけど、感じることはできるからね」
自嘲気味に首を傾げるヒヤマ。
その温厚な表情を眺めるほどに不安が積もり、ついヒヤマを睨んでしまう。
「何か機嫌が悪そうだね」
「ーーっ」
目は瞑っている。
それでもヒヤマは眉間にシワを寄せ、こちらを睨んでくる。
それは獣みたく仰々しい表情は鋭く、体は硬直してしまう。
ヒヤマの威圧に恐縮してしまう。
怖さを紛らわすのに、手をギュッと握っていたとき、眉間のシワが緩まる。
一瞬の出来事。
見間違いだったのかと疑いたくなるほど、無垢な表情がヒヤマに戻っていた。
心を見透かされたことに、唇を強く噛んで黙っているのだけれど、心をこじ開けようと、ヒヤマはこちらに顔を向ける。
「……実は」
睨まれてはいないのだけれど、無言で尋問されているみたいで、口を開かずにはいられなかった。
「……ただ、やっぱり町の人の様子が変だなって思ったんだ」
「変って、どうしてだい?」
「平穏すぎるんですよ」
「……平穏すぎる?」
ふと遠くを歩く人を眺めていた。そこには何事もなく普通に喋る二人の住宅の姿があった。
「仮にも昨日、近くでテンペストがあったんだ。それがこっちに襲ってこなかたとしても、「もしかしたら」って不安になるはずなのに、まったく怖がってない」
「テンペストが来ないとわかってた?」
憶測が深まるなか、鼻を擦るリナ。
「わかんない。けど、今もそうなんだ。何もなかったみたいに、普通にしてる。普通、話に出ない? 「大丈夫だった」とか、「怖かった」とか。朝ご飯を食べてるとき、そんなのまったくなかったから。だから、その、それが気持ち悪かったんだ」
頭を掻き毟り、突っかかる疑問を吐露した。上手く説明ができず、声は震えそうになっていた。
そうだった? とエリカとリナは思い出したように、辺りに目を配った。
やはり町には平穏な時間が流れていた。
ただ一人、ヒヤマが思い詰めた様子で流れていた。
「何かあるんだ?」
一瞬の変化を見逃さなかったのはエリカ。
鋭い口調でヒヤマを責める。
まったく、それまで空腹に苛立っていたのが嘘みたいに、目尻を吊り上げる。
ただ一方的な責めではなく、ヒヤマは少なからず動揺していた。
覚悟を決めたのか、地に突いていた杖の上で腕を重ねた。
「どこか他人事に捉えてるみたい」
冷たく突き放つエリカの言葉に、ヒヤマの顎が上がる。
そして、顔を町に向けた。
「それは覚悟をしているのかもしれないな」
「覚悟? それって、テンペストに襲われることを?」
「かもしれんな」
疑問に対して否定することもなく、ヒヤマは頷き、また祭壇を見上げた。
「昨日、君たちは近くの忘街傷に行ってきたのだろう。実はね、かなり昔のことなんだけれど、その辺りを含めて、大きな街があったんだ」
「街って、こことはかなり近いけれど、それほど規模が大きな街だったってことなの?」
リナの疑問にヒヤマはゆっくりとかぶりを振った。
「いや、正確に言えば、こっちのナルスが新しくできた町なんだよ。この町ができる前は、忘街傷があった辺りに街があったんだ」
「でも、それは住民が覚悟してるって話とは繋がらないように思えるんだけど」
「うん、そうだね。実はその街は悪名で有名だったんだよ」
「悪名って言われても、何? 殺人鬼でも、その街にいたの?」
どこか皮肉を込めた口調で聞くリナに、ヒヤマは肯定も否定とも取れる曇った表情を浮かべる?
怖さって、いつしか慣れるのか?




