第三部 第三章 8 ーー 遠くの黒雲 ーー
百六十一話目。
テンペストを恐れないなんて、信じられない。
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「なんでテンペストを恐れてないの?」
そんな直球な。少しは気を遣えよ。
エリカの核心に触れる指摘は、僕の胸を貫き顔を上げた。
確かに疑問は生まれていたんだ。
祭りを行わないのなら、テンペストに対する不安や恐怖はないのか、と。
「それなんだ。なんでここの人たちは、祭りを行わないんだ? テンペストを恐れているなら、祭りは行うはずなのに。この祭壇は古いけど、祭りをしているのなら、新しい祭壇があってもいいはずなのに」
「……捉え方が違う。とかじゃないの?」
僕の不安を聞いたリナがかぶりを振る。
「でも、あれは死者に対してであって、テンペストに対しては恐れているから、祭りを行っているだろ。それなのに祭り自体が行われてないのは、変だなって思って」
「……そうか。そう言われるとそうかもしれないわね」
上手く伝わっているのか、不安ではあったけれど、リナは頷き、メガネをかけ直して町を眺めた。
どうも上手く説明できなくて、モヤモヤしてしまう。
「どうなんですか?」
だから、つい彷徨っていた視線をヒヤマに移してしまった。
ヒヤマは顔を伏せた。
「それは仕方がないかもしれないな。ここに住む者にしてみれば」
「何かあったの?」
急に言い淀むヒヤマにリナが突くのだけれど、ヒヤマは口を噛んだまま。
「じゃぁ、この辺りはテンペストに襲われないって自信とか、安心があるんじゃないの」
「ーーそれはない」
リナが道を歩いている人を眺めて呟くと、急にエリカが否定する。
「……テンペストの気配は消えてなんかない。ううん。むしろ強まっている。近く必ず……」
エリカは口を噤み、一点眺めた。
それは先ほどヒヤマがじっと眺めていた方角であった。
釣られて眺めると、確かに黒雲が立ちこもっていた。
いや、それどころか。
「ってか、あれってヤバくないか?」
遠くに轟く空を眺めていると、今にも爆発でもしそうな禍々しさに、不安が強まっていく。
雲だけを眺めていると、雲はただの雨雲には見えないほどに黒く、遠くからでも異質な雰囲気を漂わせていた。
「確か、この辺りの空が晴れないとか言っていたわね。その影響じゃないの?」
「……だといいんだけど」
とはいえ、変な胸騒ぎが治まってくれることはない。なぜなら、ずっとエリカ遠くの黒雲をじっと厳しい目で眺めているから。
「ってことは、行くってことなのよね」
「ま、そうなるよね」
どこか笑いながらも、その方向を親指でクイッと指すリナに、呆れて答え、エリカを眺めた。
視線に気づいたエリカは、力強く頷いた。
この怖さも慣れてしまってるな僕は。
「どうする? このまま行くか?」
「ーー行く」
僕の提案に、間髪入れず返事するエリカ。その機敏さにリナも笑ってしまう。
「でもやっぱり変」
そのまま足を動かそうとしていたとき、またしても意識が留まってしまう。
気のせいか、風が強まっている気がする。
雲行きが怪しくなり、黒雲の切れ端が流れ込むみたいに、町の空を暗闇が浸食して見えた。
風の臭いも、どこか肌を刺す痛みがあった。
それなのに、町の住民にはまったく変化がなかったのだ。
雨が降ることに対して注意したり、警戒するはずなのに、それがまったくなかった。
何事もない平穏な日々を、暮らしているようにしか見えなかった。
テンペストを気にかけないみたいに。
「なんで、テンペストを恐れないんだ?」
「それは、ナルスに住む者にとっての運命なのかもしれないな」
素朴な疑問にヒヤマが静かに答える。
「ーー運命? なんですか。そんな重たそうなことってーー」
「ーー来るっ」
来るって、エリカ。
それって…… マジなのか……。




