第三部 第三章 7 ーー ヒヤマ ーー
百六十話目。
祭りをしようとしているののなんて、大したまちじゃない。絶対に。
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コツコツと、甲高い音が鳴っている。足音とは何かが違う。
よく見ると、近寄ってきた男が左手に杖を持っていた。
年代的には五十代半ばなのだろうか。足が不自由なのか。
それにしては、がっしりと体格はいい。ただ、正面を見たとき、違和感を抱いてしまう。
顔を上げた男は、穏やかに頬を緩めて笑っていた。
黒い髪は肩の辺りまで伸び、彫りの深い顔をしていたけれど、目の辺りが気になってしまう。
「ーーん? どうかしたのかい?」
違和感を探っていると、男が不思議そうに首を傾げ、そこで違和感に気づいた。
ずっと目蓋を閉じている。もしかして目が見えていないのか。
「……もしかして、ヒヤマさん?」
問いかけたとき、ふと頭に光景がよぎった。
キエバでのこと。
「目が見えない?」
「そう。詳しくは聞いていないけれど、事故で目を痛めたらしいよ」
チノは面倒そうに話すと、僕に小包を無理矢理手渡し、
「それをヒヤマに。僕はしばらく行けそうにないから」
どこか乱暴に扱われてるのって、気のせいか? まぁ、怪我人が多く、急いでいるのもあるだろうけれど、どこか僕らを邪険にしているようだよな。
目の前の人物に、チノとの会話がふと蘇ってしまった。
「よく私のことがわかったね」
「まぁ、チノって奴から話を聞いていたので」
忘れずに小包を渡した。忘れると何かチノに怒鳴られそうだ。
小包を受け取ったヒヤマは、穏やかな表情を崩さなかったけれど、やはり目蓋を開くことはない。
ただ、チノのことを話していると、リナは思い出したのか、ふて腐れて唇を尖らせていた。
よほどチノの態度が気に入らなかったらしい。
目蓋を開かないヒヤマを、不思議そうにマジマジと眺めているのはエリカ。
失礼だ、と制止しようとすると、唐突にヒヤマはエリカに顔を向け、口角を上げた。
まるで子供を諭すような笑顔に、エリカは僕の背中に身を隠した。
「驚いているようだね」
気持ちを見透かされた言葉に、僕らは驚愕し、三人で目を見合わせて唖然となった。
「見えているの?」
失礼な問いだけれど、リナが絶えきらずに聞いてしまった。
ヒヤマは静かにかぶりを振る。
「目は見えてないよ。それでも不思議でね、視野を失ってからは感覚が鋭くなったみたいでね。ぼんやりと人がどんな表情をしているのかわかる気がするんだ。だから、君らが今、驚いているんだろうなって感じてね」
「そうなんですか」
言葉を失い、唇を強く噛み締めてしまう。かける言葉が見つけられない。
「おっと、そんな悲観的にならなくていいよ。私はそれなりに今を楽しんでいるからね」
何か触れてはいけないことみたいに感じ、項垂れていると、ヒヤマは手を振って軽くあしらった。
それでも顔を上げられずにいると、不安を受け止めるように、何度も頷き、歩を進めた。
そして、朽ち果てた祭壇の前に立つと、静かに見上げた。
「最近はね、耳も敏感になってしまったのか、つい君たちの会話が聞こえてきたんだ。盗み聞きしていたわけじゃないんだけどて。で、君たちは祭りに興味があるのかい?」
「あ、いや、そういうんじゃないんですけど……」
つられて祭壇に体を向けた。やはり殺風景に見えてしまう。
「驚いただろ。ここの祭壇を見て、ほかの町なんかは華やかだろうしね」
祭壇を眺めると、ヒヤマは目を閉じていても、どこか寂しげに見えてしまう。
「あの様子だと、もう何年も祭りが行われていないんですか?」
率直な疑問がこぼれてしまう。
「……そうだね。私が知っているだけで、もう二十年は行っていないらしいよ」
「……らしい? あなたはこの町にずっといたんじゃないの?」
ずっと眺めるヒヤマに、訝しげにリナが聞く。
「いや。私は元々この町の者じゃなかったんだ」
「でも、チノの話じゃあなたは……」
テンペストに襲われた、とはさすがに言い淀み、リナは口を噤んだ。
ヒヤマも話の意図を悟ったのか小さく頷くと、祭壇とはまた違う方向に体を向けた。
「テンペストが襲ったのはどこだったのかは覚えていないんだ。どこかで襲われ、気づいたときには、町の外れにある忘街傷で倒れていたみたいなんだ。確か、あっちの方向だと思うんだけどね。そこでこの町の人らに助けてもらった」
ヒヤマの眺める先に、忘街傷があるのか、と不穏になりながらも、話に傾けた。
でも、それならなおさら、胸が掻き乱される思いが強まっていく。
「それってやっぱり、この辺りにテンペストが襲ったってことですよね」
「まぁ、私が言うのもなんだけど、そうなるね」
テンペストを否定しないヒヤマの話を聞き、より頬を歪め、口元を手で覆った。
つい町を眺め直し、唸りそうになる。
「何か気になることでもあるの?」
頭の隅に引っかかるものがなんなのか考えていると、怪訝に思えたのか、リナがメガネを外し、表情を歪める。
「うん。なんて言うか、その……」
「なんか、冷めている気がする。町全体が」
上手く説明できないでいると、エリカは唐突に力強く呟いた。
町を歩く住民を憎らしげに睨んで。
それは僕の胸に詰まっていたものを代弁してくれるみたいに。
それを偏見って言うんだよ。気をつけろ。
疑いたくなる気はわかるけどもね。




