第三部 第三章 5 ーー 夢であってほしい (2) ーー
百五十八話目。
ようやく私の出番なのに、なんでこんなにイラつくのっ。
このまま、こいつの憎しみが積み上がるのは面倒だな……。
どうエリカの気持ちを鎮めるか悩んでいると、通路に座り込む怪我人に寄り添っている人影を見つけ、それがチノであることに気づいた。
「あいつ、こんな朝早くから怪我人を診てるのか?」
少しでも気持ちを紛らわしたくなっていると、つい言ってしまった。
「まったく私らに対しては偉そうに話してくるのに、なんなのあの態度は」
「誰のおかげだって思ってんのよ、あれ」
「まったくもって、そうっ」
エリカとリナは腰に手を当て仰け反っていた。横柄にチノに小言をもらしていた。
二人揃って軽快に。
何を二人で息を合わせてんだよ、なんか怖いぞ。
怪我人思いでいいんじゃないか、とは口が滑っても言えない。
息を吐くだけでも、とばっちりが飛んできそうで危うい。
今は黙っておくべきか。
二人とも獰猛な鷹が獲物を狙っているような、禍々しい目つきであった。
憤慨する二人に肩をすぼめていたとき、こちらに気づいたのか、チノはスッと立ち上がり、こちらをじっと睨んできた。
目が大きいのもあるせいか、離れていても威圧感が拭えない。
エリカとリナは抗うように、胸を張って待ち構えるなか、チノはゆっくりと歩み寄ってきた。
どうも僕は彼の自信に満ちた態度が苦手で、一人で肩をすぼめていた。
頼むからこれ以上、争わないでくれ。
僕が疲れる。
「だから言っているだろっ。突っ立ってないで少しは手伝えっ」
「私らも言っているでしょ、私らはーー」
「うるさいっ、ババァッ」
「ーーバッ」
うなだれる前に、目を見開いてしまった。
頭を抱えて注意していたリナは、チノの一蹴によって硬直してしまい、撃沈してしまった。
「大体、遊びで旅を続けてるくせに、生意気なんだよ」
チノの矛先はこちらに向けられ、鋭い眼光をぶつけられた。
始まった……。
ってか、僕は文句なんて言っていないのに。
「別に遊びで旅を続けてるわけじゃないわよ」
ここは譲るわけにはいかず、凛と向き合った。
訝しげに睨んでくるチノに。
まぁ、ここで弱腰になるのも情けないからな。
「君もこうして町に来るには、それなりの覚悟をしているんでしょ。確か、追っ手に捕まらないようにって。それは僕らも一緒だよ。それだけ信念を持って旅してる。遊びじゃないよ」
下手に感情的にならず、冷静な口調で諭した。
エリカの話では、チノがも昔は“生け贄”の候補だったと聞いている。
人を憎みたくなるものだろうけど、反面、理不尽なことに負けたくない気持ちもあると信じて。
「……テンペストか……」
敵意を緩めず指摘するチノ。
静かに頷くしかない。
「あんなものを探して、追いかけるなんて無駄だろ」
「無駄じゃない」
バカにして吐き捨てるチノに、喰い気味にエリカが反論した。
睨み返すチノに、エリカも一歩も引こうとしない。
「無駄じゃない」
もう一度念を押すエリカに根負けしたのか、チノは眉間にシワを寄せる。
「それに、無駄かどうかを決めるのはあんたじゃないでしょ」
リナの助けがチノを追い詰める。
ショックを受け流せたのか、それとも諦めたのか、復活したリナは得意げに胸を張っていた。
「……だったら、さっさとこの町を出て行くんだな。間違っても、この町でテンペストがどうとか聞くんじゃないぞ」
「ハァ? なんでよ? こっちだって情報は大事なのよ。それぐらいはーー」
「バカかっ、ババァッ」
妙な注意をするチノに突っかかるリナ。
チノはリナを睨んで怒鳴った。
またしてもリナは硬直する。
「傷口に塩を塗るようなことをするなって、言ってんだよ」
「傷口って、別に僕らは……」
「だから、バカかって言ってんだ。みんな、突然のことで苦しんでるときに、テンペストなんて別の問題を吹き込むなんて、そんなふざけたことをするなって言ってんだよ」
チノの一蹴が胸に深く沈み込んでくる。
勢いが一斉に落ち込んでしまう。
言っていることは間違っておらず、口元を手で覆った。
「でも、それだけは譲れない」
またしても訪れる手詰まり感に唸っていると、エリカが負けじと突っかかっている。
すると、チノはエリカをぐっと睨んだ。
それまでにない鋭い眼光に気負いし、僕の後ろに身を隠した。
さっきまでの勢いはどこに消えたのか……。
有無を言わさぬ威嚇に、こちらも頭を抱えてしまう。
「……でもテンペストはまだ感じる。消えてなんかない」
負けじと反論するエリカだけれど、もう一度睨まれ、また顔を隠した。
「クソッ」
まったく。子供のケンカじゃないんだけどな……。
大人げない態度に、頭痛が起こりそうななか、チノの話が大きく響く。
「……ナルスって町に行ってみろ……」
重い空気を打開したくなっていると、チノが弱々しく呟いた。
聞き逃してしまいそうな声に、眉をひそめてしまう。
「ナルスって、昔に聞いたことがあるかもしれない…… なんだったっけな」
チノがこぼしたのは、新たな町の名前だったのか、頭に疑問符が浮かんでしまった。
リナには思い当たる節があるらしく、髪をねじっていた。
「……なんか、ちょっと質が悪いって聞いたことがあるけど、違った?」
何か引っかかるものがあるのか思い詰めた表情で、チノに確認する。
「昔はな。今はその噂だけが一部残っているだけで、普通の町だ」
どうも話を聞いていると、一筋縄ではいかなそうな町であるな、と察しはついた。
「んで、その町に何があるって言うんだ?」
難しい表情を崩さないチノを促すと、腕を組む。
「別に大したことはない。ただ、会ってみればいい奴がいると思ったんだ」
「会うって誰に?」
「……“ヒヤマ”って奴だ。悪い奴じゃない。すぐに話に乗ってくれるだろう」
なぜだろうか。どこか、何かを隠している様子が拭えない。
「……あいつは生き残りなんだ」
「生き残りって…… 生け贄の?」
「いや、違う」
「違う?」
「あぁ、あいつは、ヒヤマはテンペストの生き残りらしい」
なんか、ここはエリカにもリナにも強く言うべきじゃないか。
とばっちりを喰らいそうだ。




