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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第三部  第三章  4  ーー  夢であってほしい  ーー

 百五十七話目。

  やっぱり、ご飯は食べられそうにないってことね……。

            4



 朝を迎えたときである。

 この辺りも天気が優れないのか、空は黒い雲が広がっており、空全体が重たい。

 太陽は遠くへ逃げたのか、顔を出していない。

 朝の冷たい風を頬に当てて歩いていても、気持ちが優れることはなかった。

 太陽が見えなくても、つい太陽を探し、一つ願ってしまう。

 

 これが夢であってくれ、と。


 だが現実は残酷なもので、崩れた建物は元に戻っておらず、怪我人も苦しんだままである。

 もちろん、死者が蘇ることもない。

 薄暗い空の下、今日も変わらず怪我人が辺りに座り、項垂れている。


「ねぇ、お腹減ったんだけど」

「無茶を言うなって、今はちょっと控えろよ」


 通路を歩いていたとき、横を歩いていたエリカがぼやいた。

 ここで腹が減るなんて、どれだけの神経をしているのか……。

 この状況を考えてみると、とても飲食店探る状況ではないので諭しておく。

 ただエリカは納得できず、釈然とせず唇をかんでいるけど、ここは無視である。


 そんなときである。


 通路の奥からゆっくりとリナが歩いて来た。

 今日は警戒を強めているのか、フードをしっかりと被っていて、目元は見えない。

 そばに来て「おはよ」と挨拶したとき、見えたリナの表情が曇っていたことに息を呑んでしまう。

 軽く挨拶した後、辺りを気にするように目配せをして、


「ちょっとこれ見てほしいんだけど」


 と、押し殺した声で言い、おもむろに背中から何かを取り出した。


「何これ、ナイフ?」


 胸の辺りで見せたのは一本のナイフ。

 刃渡り二十センチほどのナイフ。

 グリップ近くの片方の刃が波打っており、刃先が細く鋭くなっている独特な形状のナイフであった。

 奇妙なナイフに唐突に、エリカが身を乗り出して、ナイフを食い入るように見ていた。

 空腹はどこかに捨てたのか、と言いたいほどに。

 それでもリナ動じず、表情も浮かないままである。


「これ、ローズのよ」


 刹那、空気が冷めたみたいに静まった。

 喉を冷えた手で掴まれたみたいに痛く。


 全身が拒否反応を起こしているみたいに苦しくなり、手に力がこもってしまう。

 それまで興味でマジマジと見ていたエリカも目尻を上げ、疑うようにリナを睨んだ。

 リナはエリカの問いに答えるべく、難しい表情のまま、黙って頷いた。


「……聞いたことがあるわ。あいつはね、目立つような大きい武器を使うんじゃなくて、ナイフや針といった小さい物を好んで使うってね」


 針と聞いて思わず首筋を擦ってしまう。


「体が華奢だから、体力的なこともあるんだろうけれど……」

「別の理由があるの?」


 言い淀むリナにエリカが珍しく言い詰める。


「楽しんでるみたいよ。無防備に見せかけて相手に近づき、油断したところを一突きで仕留めるのが。それで不意に突かれて驚く姿を見ているのがね」

「……最低だな。それ」


 素直なことをこぼすと、エリカとリナが一斉に僕を睨んだ。

 呆れた様子で目を丸くされると、どうも恥ずかしくてしゃがみたくなってしまう。


「ま、誰かさんもそれでやられたんだけどね」


 それが嫌味であると気づいたとき、自分が情けなくなり、口元を手で覆った。


「でも、これってどこに?」


 自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥っていると、エリカが聞く。


「町の奥に被害が少なかった家があってね、そこの壁に刺さっていたの」

「何それ?」

「さぁ? 単なる遊びで刺したんじゃない。自己顕示欲は強いだろうし。それとも」

「警告とか?」

「あり得るわね。自分たちに逆らうなっていう」


 思い浮かぶことを言うと、リナは顎を触りながら唸った。


「その結果がこれか…… 最悪だな」


 不意に後ろを振り返った。

 時間が経っていても、痛ましい光景は変わっておらず、倒れ込んでいる住民の姿に、三人とも言葉を失っていた。

 曇天のせいか、より空気が淀んで見える。


「……絶対に許さない」


 沈んでいく気持ちのなか、エリカが静かに呟いた。

 大人しくしていても、怒りを押し殺しているのは明白である。

 だから珍しかった。

 エリカは憎しみをぶつけるように通路を眺めていた。

 許さないって、珍しいな。

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