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忘却のテンペスト  作者: ひろゆき


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 第三部  第一章  7  ーー  静かな町  ーー

 百四十四話目。

   “蒼”は気になるし、もちろん、テンペストだって……。

 どっちを選ぶかなんて……。

           6



 どれだけ穏やかな町であっても、“蒼”に対して警戒を緩めることはもちろんない。

 リナが狙われていることに変わりはないのだから。

 それでも不安は別のところに傾いていた。

 クトルの町に着き、二日が経とうとしていた。

 最初の日に店員から指摘されたとおり、この二日間、太陽を拝める日は一度もなく、重い雲が寝そべっている。

 すでに眩しい太陽が懐かしくなり、どこか恋しくもあった。

 まるで大きな繭のなかに閉じ込められているみたいで、これが数日続いてしまうと気持ちが滅入りそうだ。

 つい曇り空を睨んでしまう。


「どうだ? まだ感じるか?」


 町の通路に佇み、曇り空を眺めるエリカに問いかけた。

 もう昼前なのだけど、まだ眠いのかエリカは呆然と空を眺め、時折吹く風を嫌がるように髪を手で押さえた。

 町は静けさを維持しており、人々もこちらに注意を向けることなく、騒ぎが起きそうな気配はない。

 このまま町に留まる必要はないのだけれど、エリカの感覚が緩むことはないので、滞在していた。


「気のせいかな。なんか、“蒼”の姿が減ってる気もするだよね」


 隣で呟いたのはリナ。

 警戒を緩めずフードを被り、目を光らせているのだけれど、柔らかい声がもれた。


「だよな。一昨日に比べたら、かなり減ってる。やっぱりただの通過点だったんじゃないか」

「だといいんだけどね」


 騒ぎが起きそうにないことに安堵するのだけど、まだリナの口調は完全には晴れていない。

 “蒼”がまったくいないわけではなく、依然として綱渡りをしているみたいに危ないのだから。

 当然といえば当然なんだけど、それでも気持ちは揺らいでしまう。

 昼前となると、町には買い物に行き交う人々の姿だけで問題はないので、もう少し留まりたくもなる。


「エリカ、お前はどうなんだ?」


 目を離せばどこかに行ってしまいそうなエリカに声をかけると、エリカは俯きかぶりを振る。

 テンペストを感じなくなった。

 と、楽観的な考えが巡り、頬が綻びそうになっていると、エリカはスッと右手を上げ、途方もない方向を指差した。


「……ダメってことなのね」


 事態を察したリナが嘆くようにこぼすと、腕を組んだ。

 残念ながら、テンペストの気配は消えてはいないみたいだ。


「少し弱まった感じはしてる。でも完全には消えたわけじゃない。なんだろ、動いた。そんな感じがする」


 何か嫌な臭いでもするみたく、眉間にシワを寄せ、鼻頭を指で擦っていた。


「移動してるって、まるで動物みたいね。いえ、本質的に考えれば天候そのものってことかしら」


 見えない影に不安をこぼすように、リナが呟いた。

 ……逃げる動物か。確かにそうかもしれない。

 得体の知れない動物を追う。いや、獣を追っているだよな、僕らは。

 胸に渦巻く不安に、髪をグチャッと掴んでしまう。


「ーーなら、そっちに行ってみるか? 元々、テンペストを追ってここまで来たんだし」


 ま、迷うことはないか。


「それにこのまま雨が降り出したら面倒そうだし」


 曇り空を指差した。重く黒い雲は、今にも雨が降りそうなほどかんばしくない。


「ーーで、どうする? エリカ」


 ま、急ぐ理由もなく、ここはエリカに委ねることにした。


「ご飯、食べたい」


 真剣な眼差しを向けるエリカ。今後の行き先を言うのかと、真面目に見当外れなことを発した。

 もちろん、その一貫した態度に揺らぎはない。

 髪を触っていた手が止まり、不意にリナと顔を見合わせ、間を空けずにクスッと声が大きく出てしまった。

 笑い声が止まらなくなってしまう。

 白い歯を見せるリナ。

 僕も目をショボショボとさせるエリカに腹を抱えそうになるのを堪えながらも、笑いが止まらない。


「じゃぁ、どうする? 連中が減ったとはいえ、あれだけと、店に入る? やっぱり店の料理も食べてみたいしさ」


 せっかくなので促してみると、リナは三つ編みを触りながら辺りを見渡している。


「ーーふざけるなっ」


 ーーはい?

 リナとしても久しぶりの店の料理が恋しいのか、悪くない反応を見せていたとき、どこかからか怒声が風に乗って鼓膜に届いた。

 怒声を辿るべく、視線を移すと、捉えたのはエリカの顔。

 すでにもうどこかの店に行くつもりでいたらしく、立ち止まっていた僕らを急かすように目尻を吊り上げて睨んでいた。

 いや、わかってはいるんだけど。

 今にも動かないと、エリカが爆発しそうだ。ちょっと待て。


「今のって、何?」

「ケンカか?」


 エリカの奥の通路を眺めた。

 聞こえたのは男の怒鳴り声。

 別にエリカを疑ったり、無視したわけじゃない。

 それでもエリカに睨まれてしまう。

 そこまで怒るなっての。

 怒鳴り声を追うように、町を歩いていた住民の視線も、奥へと向けられていく。

 なかには声に誘われて、奥へと体を進める者もいた。


「何かあったみたいだな」


 行ってみる? と小さく指差すと、リナは唇を歪ませながら悩んでいた。

 トラブルは避けたいし、ま、何が原因なのかわからないから当然か。

 でも、気になるってのが正直なところなんだけど。


「ーー行く」


 そっか、と頷きかけたとき、動きが止まってしまう。

 言ったのはリナではなくエリカであったから。

 本気か? と聞き返したときは、エリカはそこにいない。すでに怒声が聞こえた方向に歩き出していた。

 腹減ってんじゃないのか?

 という疑問をリナに無言で問うと、リナは呆れ気味に首を傾げてみた。

 行くしかないみたいだ、とお互いに理解し、エリカの後を追った。




 声にならない騒ぎが静かな町に、それこそ静かに広がっていく。

 怒声自体が不釣り合いなのか、住民らの顔が青ざめていく。

 いや、騒ぐことに対して憎んでいるのか?、歩を進めるごとにざわめきが大きくなり、耳障りとなっていると、奥に人集りができていた。

 人集りから少し離れた場所に、エリカは立ち、人の隙間を覗くように首を伸ばしていた。

 人見知りの壁を発動させるなら、行くなっての。

 エリカに追いつき、人集りを睨んでしまった。


「ーー“蒼”がいる」


 隣に立ったリナに、エリカが静かに呟くと、一気に喉から水分が奪われていく。

 瞬時に集まる住民に視線を巡らせた。

 マントを羽織っている不釣り合いな人物はいない。

 町の者がみな、穏やかな性格なのか、目立つのを苦手としているのか、誰もが素朴な服装だった。

 野次馬にいないなら。


「ーーっ」


 異物を捜していたとき、一斉に視線が止まる。

 騒ぎの中心になっていた通路へと。

 瞬間、大きな物が地面に轟き、集まっていた住民が風に煽られたみたいに散り散りに拡散され、視界が広がる。

 そこにマントを羽織っていた男が倒れていた。

 痛みを堪えているのか、頬を歪めている。

 

「ーーふざけるなよっ」


 ……何があったんだ?

 お前にとって、そこに“食事”も選択肢に入ってるだろ。

 でも、その二つは確かに気になるな。

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