第二部 第六章 7 ーー 幻高森へ ーー
百二十二話目。
別に、怖いってことなんて、ない。
7
それは大地をも軽々と呑み込んでしまうほどの化け物に感じてしまう。
異様な雰囲気を強めているのは、木々の影からではなく、幻高森のさらに上に佇む空が僕らを憂鬱にしていた。
「なんか、本当に天気が悪いな」
「うん。これじゃ本当にテンペストでも起こりそう」
空の機嫌はよくはなかった。
重苦しい雲が覆い、今にも大粒の雨を降らせそうなほどに黒かった。
「エリカ、大丈夫か?」
何より、幻高森に近づいてから、エリカがより黙っている。
ここには僕ら以外に人はいないのに、人見知りの壁を発動させていた。
大丈夫、と頷くエリカだけど、さきほどから二の腕を抱き抱えるように触り、怯えていた。
やはり、テンペストに怯えているのか。
どこの木の隙間から入るべきか躊躇し、辺りを歩いており、あの忘街傷付近まで来たのだけれど、エリカの様子に戸惑ってしまう。
「ーー行くっ」
引き帰るべきか悩んでいると、急にエリカが言い、率先して歩き出した。
怖じけていると思われるのが嫌なのだろう。
強がっているのが滑稽に思え、リナと顔を見合わせて笑い、後を追った。
忘街傷はそれまでのものとは少し違う気がした。
芝は生き生きとしており、風に優雅に揺れている。
何か住宅の一部であったのか、石柱が転がっている。
これまでの忘街傷ならば、雑に芝に転がっていたり、家の支柱の一部と取れるぐらいにしか残っていなかったのだけれど、この辺りの石柱はそうではなかった。
石柱のほとんどに被害はない。
崩れた跡ではなく、逆に建設途中のまま放置され、そのまま寝かされているようだ。
思いのほか、町全体が現存しているようにさえ見えた。
「あれは?」
町であるならば、曲がり角であろうところを曲がったとき、ふと体が止まった。
通路らしき先に、一際大きな建物の跡みたいな痕跡があった。
大きな門構えらしき面影がある大きな石柱が二本立っており、敷地であろうか、奥へと広がっていた。
もちろん壁はなく、奥が見通せるようになっている。
奥には高い木々が迫っており、あたかも幻高森に続く入り口みたく、不気味な空気を被っていた。
さて、どうする?
つい嘲笑してしまい、足が竦んでしまう。
怖じ気づく自分に叱咤しているなか、エリカだけが躊躇なく先に進もうとしていた。
「ちょっと待ってっ」
怯えないエリカの背中に飛んでいく。
ビクッと肩を揺らして振り返った。
自分が引き留められた、と首を傾げるエリカだけど、リナはエリカを見ていない。
「何か…… いるかも」
途方もない方向を見ているリナが警告すると、先に進んでいたエリカが駆け戻ってきた。
警戒心が高まり、リナが睨みつける方向に視線を動かしてみるが、やはり芝が風に揺れているだけ。
何事もないことに安堵するけれど、リナは背中に背負っていた大剣のグリップに手を触れる。
警戒を緩めず。
「ーー出てきてっ。早くっ」
渇いたなかに、リナの発狂が響く。
何を言っているんだ、とリナの肩を叩こうとしたとき、鼓膜には奇妙な音が風の音に混じっていく。
緩んでいた心が締めつけられ、鼓動が急に激しくなっていく。
そのとき、倒れた石の影から人影が表へと現れた。
「……嘘だろ?」
「……ミント」
石の影から出て来たのは、捜していた人物のミント。
怯えるように肩をすぼめ、身を守るように両手を抱えていた。
リナがグリップから手を放し、フッと息を吐き、被っていたフードをめくった。
前髪を整え、
「ごめん、怖がらせて。驚かすつもりはないの。お願い、少し話をさせてくれない」
ゆっくりと、それでいて穏やかな口調で話しかける。
それでもミントは後退りをして、逃げるタイミングを図っていた。
このままではせっかくのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「ちょっ、ちょっと待ーー」
ちょっと待て、と言おうとしたとき、急に喉が詰まっていく。
「あれ? 何かが…… あれ?」
手を上げて引き留めようとする腕が上がってくれない。
おかしい……。
何も触っていないのに、指先が痺れている。
おかしい。声が出てくれ……。
異変が僕を襲っていると実感した瞬間、視界が歪んだ。
エリカにリナの姿が飴細工みたく、グニャリと歪んでいくなか、足から力が抜けていった。
……あっ。
胸の鼓動が激しく暴れ、警告を発したとき、急に視界が闇に襲われた。
暗闇に襲われて間もなく、鈍い音とともに背中から足にかけて痛みが走った。
「ーーキョウッ」
何が起き…… た…… んだ?
何かが…… おかしい……。




