第二部 第六章 4 ーー ローズ ーー
百十九話目。
嫌い。
その一言だけ。
4
集団のなかでも一番狡猾で、残忍な人物。
リナの言葉を目の前にして、痛感した。
ほかの奴らと違い、青い服装ではない。
肌の露出が多い服装で、妖艶にも見えても、その立ち姿から放たれる威圧感が体を縛って萎縮させる。
リナの憎らしい眼光を喜ぶように、ローズは不気味に目を細めた。
「逃げちゃダメじゃん。リナリア」
刹那、風が怯えたみたいに止んだ。
見えない手が首を絞めているみたいに、息苦しさと痛さに襲われる。
その原因がなんなのか、視線を彷徨わせていたとき、奥歯を噛んだ。
もう逃げられない。
瞬きをした瞬間でしかなかった。
いつの間にか通路を塞ぎ、円を描くように人が立っている。
みなこちらを向き、殺気を際立たせていた。
気づいたときには遅かった。
みなマントで身を包んでいるけれど、隙間からあの青い服が見え隠れしており、腰には剣を下げている。
逃げ場は完全に塞がれている。
リナは肩を大きく揺らした後、フードをめくり、ローズを睨みつけた。
変な覚悟をした、とは言うなよ。
「……私を捕まえに来たの?」
警戒を解かず、低い口調で問うリナに、ローズは得意げに腰に手を当て、首を傾げる。
「もう、そんなことはどうでもいいのよ」
「どうでもいい?」
「そう。私たちの目的は、次の段階に移ったから」
自然と三人で固まり、少しでも逃げる隙を探っていると、ローズは一歩詰め寄り、逃げるのを許さない。
「私たちは、ヒダカを拘束するためにこの街にいたのよ。ま、あなたがここにいたのは、運がよかったわ。仲のいい妹さんは?」
「アネモネはここにはいないわ。残念だったわね」
強がるリナではあるけれど、それ以前に、僕には引っかかってしまう。
ヒダカって、誰だ?
「悪いわね。それももういいのよ。言ったでしょ、私たちの目的はヒダカだって」
と、呆れて両手を突き上げる仕草をした。
「これから私たちはね、世界に対して武力行使をすることになったの。それには彼の知識が必要なのよ」
「武力行使って、宣戦布告って意味?」
「そうなるわね」
リナの指摘に嬉しそうに笑う。
「ふざけないでっ。そんなことになんで、先生を連れて行くなんて、バカなことしないでっ」
……先生? ヒダカってのは…… あの?
疑問は高まるばかり。それでも話に入る隙すらもなかった。
「あなた、何も知らないのね。あの人、ヒダカは我々“蒼”の隊長陣の一人なのよ。だからこそ、これから必要なのよ」
「……嘘、でしょ……」
「あのね。私だって暇じゃないのよ。わざわざ冗談を言うために、ここに来ると思う?」
「……大体、武力行使って、ふざけないでっ。そんなことしたって、新たな火種を蒔くことだってことがわからないの。人を力で抑えつけるなんて無謀なのよ。そんなことをすれば、いずれ自分たちに返ってくるのよ」
リナは大きく右に振り払い叫ぶと、さすがにローズは圧倒されたのか、目を見開いた。
すぐさま感心するように頬を緩め、
「呆れた…… まさか、アカギのバカと同じことを言うなんて、さすがは穏健派と言われていたツルギ隊長様の元部下だこと」
嘆きながら髪を撫でるローズ。
人の名前だろうが嫌味であるのは伝わってくる。
完全に怒るリナは下唇を強く噛んでいる。
「……ツルギ隊長まで侮辱しないでよ。そんなことしたら、許さないわよ」
「許す? ふふっ。何、バカなこと言ってるのよ。そもそも、ツルギ隊長は、あなたたち姉妹の愚行によって最近まで拘束されていたのよ」
「……嘘」
「あら、失礼。ご存知なかったみたいね」
動揺するリナを嘲笑うローズは勝ち誇ったみたいに胸を張る。
「なら、面白いことを教えてあげるわ。私にヒダカの拘束を命じたのも彼よ。彼はすでに解放されたからね」
「………」
ーーダメだ。
話についていくことが一向にできない。
けれど、リナの心にかなりの衝撃が与えられたのは明白だあった。
黙っていてはいけない。
「ーー止めろっ」
咄嗟に出たのはそれだけ。
もっと反論してやりたいのに、喉の奥で言葉が詰まり、空気が虚しく擦れる。
「黙っててもらえる?」
必死に出た言葉に、ローズは面倒そうに溜め息をこぼすと、こちらを睨む。
蛇みたいに陰湿に睨まれ、体が硬直してしまう。
言葉だけの威圧に、それだけの威力があって逆らえない。
威圧感に恐れて顔を背けると、ローズは納得したように微笑み、
「そんなに反乱を恐れているなら、試してみる?」
「試すって、何を……」
「そうね。この街を消滅させるのはどう? どのみち、街への侵攻は行われる。だったら、今やっても後にやっても同じだからね」
と嘲笑しながら、ローズは両手を大きく広げ、大げさに辺りを見渡した。
「ふざけるなっ」
黙ってなければ危険なのは、体が理解しているつもりでいた。それでも耐え切れず、発狂した。
ローズは両手を広げたまま、天を仰いで止まり、ややあって顔を下げ、
「調子に乗るな」
怒りに満ちた叫びが広場にちったとき、周りにいた青い兵士たちが一斉に剣を抜く。
僕らを囲うように、無数の剣先が向けられる。
恐怖からか、エリカが僕の服の袖を握る。
追い詰められた獲物を吟味するように、ローズが不敵に笑う。
逃げ場を探そうと、足に力が入り、砂がジャリッと音を立てる。
刹那ーー
広場に強風が舞い降りる。
露店の布の屋根をめくるような風は、砂ぼこりを巻き上げ、目を覆った。
一瞬訪れる暗闇のなか、ザクッと鈍い音がした。
なんなのかわからないまま、目蓋を開いたとき、
「……アネモネ?」
戸惑うリナの声が霞む。
目の前の地面に、アネモネが持ち去った大剣が突き刺さっていた。
同感。
今だけは素直に頷けるよ。




