第二部 第五章 2 ーー 召集 ーー
百十三話目。
何か、黒くて怖いものが近づいてきそうな気がする……。
2
部屋に入ってきたのは一人の男。
背が高く、屈強でどっしりとして鍛えられた体は、威圧感さえ放っている。
名前はツルギ。
年は五十を越えていると聞いたことがある。それでも、若い兵士になんら劣ることのない力の持ち主であった。
それまで緩んだ態度を取っていたイシヅチも背を正した。
短髪で整えられた顔は、熊や虎という獣にさえ臆することのない自信が表れていた。
鋭く吊り上げられた目から放たれる眼光は勇ましく、その雰囲気から反抗する者はおらず、イシヅチもツルギには従っていた。
「悪いな。話を止めてしまって。気にしないでくれ」
萎縮していた俺らに放った声は穏やかで、刺々しさはなく、優しく目を細めた。
鷹の目ほど鋭かったのが嘘みたいに緩んでいる。
普段のツルギは誰に対しても分け隔てなく接してくれ、人を蔑むような邪推なことはなかった。
その人柄もまた、誰からも好かれ慕われる要因の一つであった。
だがーー
「……拘束はもうよろしいので?」
イスに腰かけ、大胆に腕を天に伸ばし、ところ構わず大きなアクビをするツルギに、ハッカイは恐る恐る尋ねた。
「あぁ。そうらしい。帝からのお許しを頂いた。どうも、私も出なければいけないと」
「そうですか」
恥ずかしそうに額を擦るツルギに、安堵の声がもれる。
ツルギはずっと拘束されていた。その理由は。
「では、あの姉妹の行方がわかったのですか?」
頭を掻いていたツルギの手が止まる。
「まだ確実なものはな。でも、微かな情報は多く寄せられているみたいだ。まったく、あの二人は何をしているんだか。元、隊長としては本当に頭を悩まされるよ」
と自虐的に言い、豪快に笑った。
「リナリアとアネモネ。あいつら、今どこに……」
ツルギが指摘する姉妹、リナリアとアネモネ。
元々はツルギの部下であり、ツルギから強い信頼を得ていた。
怒りから腰の辺りで手を強く握ってしまう。
姉妹が重要な大剣を盗んだのは、ここにいる者みんなが承知している。
ツルギは大剣を盗まれ、部下の監督不行き届きと責任を詰められ、これまで拘束されていた。
これほどまで偉大な方を拘束させる姉妹に、憤りは強まるばかりである。
「まぁ、遠退いて行く者を捜すよりも、違う形で先に進むべきだ、ということだな」
頭から手を放したツルギの目つきが変わる。
澄んだ眼差しから、血を求める鷹みたいな仰々しい凄みに満ちた眼差しに。
「では、ツルギ様も強硬策に出ると?」
恐る恐るハッカイが聞くと、鋭い眼光のまま、頷いた。
「ローズに好きに動くように指示したのは私だ。彼女の機敏さも後々必要によってなってくる」
機敏さ? 残虐さの間違いでは?
耳を疑ってしまう。ローズを買い被るのは逆に危険を及ぼすだけ。
隣で表情を青ざめていくハッカイ。
それは俺も同様で、全身から血の気が引いていき、イスに深く凭れた。
行く末に不安が積もるなか、イシヅチのみが得意げに口角を上げていた。
息苦しい。
この部屋全体から空気が抜けていく。どうも、俺とハッカイのみ切り離されていて、話が進められている。
このままでは息を吐く間もなく、闇に沈んでいく苦しさが強まっていく。
「それでいて、もう一つ話を進めようと私は思う」
「もう一つ?」
頼むから改善できる方法を示してほしく、息苦しさに耐え、声がもれる。
これ以上は続かない。
「ヒダカを召集する」
「ーーヒダカ様を?」
部屋の中心見据え、強く言い切ったツルギ。またしても耳を疑う発言に、咄嗟にテーブルを拳で叩いた。
話を遮断することで、ツルギは目蓋を閉じ、イシヅチは訝しげに俺を睨んでくる。
でも、引き下がるわけにもいかない。
「それは本気でおっしゃってるんですか? 彼は無理です。彼は…… 我々の思想に疑念を抱き、組織を抜けた人物です。それこそ、いわば裏切り者ですよ、彼はっ」
完全に間違った方向に組織が向かおうとしている、と直感し、あえて厳しい言い方をした。
「へぇ。厳しい言い方だね。裏切り者とはね」
「うるさいっ。今はそんなことで争っている場合じゃないっ」
言葉が乱暴になるのを皮肉るイシヅチ。
こちらが憤慨するのを楽しむ姿を一蹴した。
「考え直すべきです、ツルギ様。それはやはり早々すぎると私も思います」
隣ではハッカイもツルギを諭そうとするのだが、ツルギは動じることなくイスに深く凭れ、目蓋を開くと天井を眺めた。
「決定は揺るぐことはない。本人が拒むのであれば、拘束も否めない」
「ーーっ」
「しかしーー」
「奴は我々のなかで一番の博識。奴の知識は今後の行動には必要不可欠。絶対に手に入れなければいけない」
「なんで、そんなことになるんです」
声を荒げた拍子に、腰を上げた。勢いのせいか、イスが倒れる。
それでもツルギの意識を傾かせることはできず、顔を伏せ、唸らせるだけが精一杯であった。
「それは絶対に無理だっ」
諦めが脳裏をうごめいていく。
「そう憤慨しても遅い」
獲物を狙う鋭い眼光が俺を捉える。
怒りに震え出していた体が一気に固まってしまう。
「すでに兵を派遣させた」
「ーーっ」
「諦めな、アカギ」
イシヅチの楽しむ声が胸に貼りつき、心をざわつかせた。
「ーークソッ」
それって、テンペストか?
それとも何か違うものか?




