第二部 第四章 8 ーー 嘆く男 (2)ーー
百五話目。
信じるべきなの? この人を?
躊躇しつつも、静かに男は名前を告げた。
「そうか。ありがと。じゃぁ、聞くけど、君は集団のやり方に疑念を持っているって言うけれど、何かあったのか?」
先ほどの言葉を聞き逃さなかった。
ずっと鼓膜の辺りに響いていてる。
「まぁ、いろいろとね」
「でも、私を捕まえるために手段は選ばないって言っていたじゃん」
ナイフが戻り、警戒心を緩めたリナ。僕とエリカの縄をナイフで切りながら聞いた。
「一応、隊の方針としてはな。でも、みんながみんなそうじゃない。そもそも、僕は隊長の狡猾なやり方には疑念を持っているからね」
タカクマは嘆くように天を仰ぐ。
「あなたの隊長って?」
「……ローズ様だ」
「……ローズ。なるほどね」
逡巡した後、静かに答えるタカクマに、リナは納得し、眉をひそめた。
「知ってるのか?」
どこか置き去りになるなか聞くと、
「聞いたことはね。会ったことないけれど。冷酷なんだってことは有名」
リナの表情を見る限り、あまりいい印象がないらしい。
呆れるよりも、どこか怒りを滲ませて座った。
「逆らうことはできないのか?」
素直な疑問もぶつけると、タカクマは目を剥いた後、両手を上げた。
「ま、僕にそんな勇気がないこともあるけれど、逆らえないのが常識なんだよ」
「ふ~ん。だったら、僕らを逃がそうとしているのは危ないんじゃないのか?」
「だろうね。でも、隊長たちだって、みんながそういう人らだけじゃない。例外だってある。アカギ様みたいに……」
アカギ?
おそらくリナは誰なのか理解しているようだけど、指摘はしない。
「大体、町を襲うのが当然、だと考えるのが僕には信じられないんだ。無意味にしか思えない」
「……カサギの奴は好むんだろうけどね」
「カサギを知っているのか。確かにローズ様は奴のことを好んでいたよ。気が合うってね」
リナと二人でまた話が進められるなか、手を出して制した。
二人の意識が傾く。
「それじゃ、やっぱりお前は危ないんじゃないのか。僕らを逃がすのって」
「だろうね」
「じゃぁ、どうするんだよ」
言葉とは裏腹に、明るく話すタカクマに眉をひそめる。
「僕は帰るよ。ま、普通に戻ったらローズ様に殺されるかもしれないね、きっと。君たちの情報はローズ様に伝わっているだろうし」
さらりと言うことに息を呑んで、身を乗り出してしまう。すると、タカクマはタレスの方向を眺め、
「さっきの二人、もしテンペストから逃れていたなら、君たちのことは確実に伝わっているだろうから」
確かに……。
考えたくはないけれど、半ば諦めるしかない。
「だったら、あなたはどうなるの?」
それまでじっと黙っていたエリカが手首を擦りながら聞くと、タカクマは無言で頷き、
「だから、君らには逃げてもらおうと思っているんだ」
「逃げて、もらう?」
「そうだよ。君らに逃げられた、と口実を作るつもりだ。ま、僕なりの抵抗心だね」
「でも待って。あなたの隊長、ローズでしょ。それこそ、あなた危なくない?」
そうか。狡猾な性格ならば、失態を許すような人格ではなさそうである。
リナの忠告の意味を理解して息を呑んだ。
「だろうね。だから」
と、男は不意に腰に下げていた剣を抜いた。
それまで完全に警戒を解いていたけれど、刃の反射に咄嗟に体勢を直し、身構える。
「僕は君たちに襲われたーー そうさせてもらうよ」
意味がわからないことを言った瞬間、
剣を逆手に持ち直し、自分の脇腹を剣で突き刺した。
「ーーっ」
「何やってるのっ、あんたっ」
瞬きすら忘れるほどの瞬間。
カランッと渇いた音が響いた。
抜いた剣を地面に落とすと、脇を抱えてタカクマは片膝を着く。
「……大…… 丈夫。見た目より、手加減してるから、傷は浅いよ」
頬を歪め、強がるタカクマ。
完全に嘘である。
それまで平然としていたのに、急に冷や汗を額に浮かばせ、体を振るわせる。
「……悪いね。この傷は君たちのせいにさせてもらうよ。馬車は君たちが使うといいよ」
「ったく、このバカッ」
顔をうつむかせながら話すタカクマ。
リナは叱咤すると、荷台から飛び降り、タカクマに駆け寄る。
「しっかりしなさい。傷は浅いんでしょ。キョウ、エリカ、早くっ」
タカクマの傷をギュッと押さえ、出血を止めながら叫ぶリナ。
状況が掴めず、呆然とする横で、エリカが機敏に動いて荷物を掴み、荷台を飛び降りると、リナのそばに駆け寄った。
情けない。
完全に出遅れてしまった。
リナの横で手際よくエリカは荷物を広げる。
「……何、やってんだ……」
「決まってんでしょ。治療よ。今じゃ、応急処置しかできないけれど」
「そんなことは…… あいつらが帰って…… 早く行け」
「うるさいっ、黙れっ」
治療を拒もうとするタカクマに、エリカが一蹴する。その俊敏さにリナに笑顔が戻る。
「バカ言うんじゃないわよ。逃亡者だとしても、怪我人を置き去りにするほど薄情者にはなりたくないのよ」
表情が青ざめるなか、タカクマは口角を上げる。
「……バカだよ。ほんと」
「ふふっ、わかってる」
どうなんだろ?
それにしても情けないな、僕は。




