第一章 9 ーー 痛い視線 ーー
ただ一言。
ふざけるな。
そんな十話目。
8
肌寒いのは気のせいじゃない。
一気に居心地が悪くなったのは、必然だったのだろう。
これ以上、町のことに干渉してはいけないと体が警告していたので、エリカを連れて部屋に戻った。
明日になれば、出て行くと約束して。
それでも胃の辺りを締めつける胸苦しさは拭えなかった。
何度もベッドの上で寝返りを打ち、暗くなった天井を眺めてしまう。
気づけば朝になっていた。
起きようとする時間の少し前に、睡魔が襲ってくるのだから憎らしい。
ただ、その間の抜けた表情は、一階に降りたときには引き締まってしまう。
あくびを堪えるのに、手に口を当てていると、異様な空気の重さに止まってしまう。
顔を上げると同時に眉間にしわを寄せた。
一階の酒場には、数人が集まっており、僕が降りてくると、一斉にこちらを睨んできた。
無言のまま、ただただ敵意を剥き出しにして、眼光を研ぎ澄ましていた。
触れれば切れそうな視線に硬直していると、後ろからエリカも降りてきた。
「キョウ、お腹空いた。早くご飯」
無邪気な声が胸を乱していく。
何も知らず降りてきたエリカが隣に立つと、髪を撫でていた手を止め、店に集まった人々を負けじと睨み返した。
「……何かあったんですか?」
「あれはお前らの仕業なのか?」
事情が掴めず、恐る恐る聞いてみると、男の重い声がゆっくりと漂う。
感情を抑えているようだけど、禍々しさをまとっていて、どこかで聞いたことのある嫌な声であった。
声を発した男は集団の最前列に出て来た。
昨日見た肥満男、トウゴウであった。
彼に対してはいい印象はなく、睨んでくるトウゴウにこちらもつい敵意を返上してしまう。
よく見ると、トウゴウだけでなく、ヤクモや店主と、昨日ここで口論した六人もこの場にいた。
何か責められると直感し、足に力が入って身構えた。
助けを期待できそうな店主は隅の壁に腕を組んで凭れ、こちらから顔を背けている。
突然の叱責に、忙しなく首筋を擦ってしまう。
落ち着け、イラつくな。
「これだけ集まって、何があったんですか?」
できるだけ感情を抑え込み、穏やかに尋ねてみた。
できればエリカに軽く腹を叩いてほしい。そうすれば、痛みでちょっとは冷静さを保てそうだ。
「ふざけるなっ。だから、あれはお前たちの仕業だろって聞いているんだっ」
冷静さが逆撫でしてしまったのか、トウゴウがより感情的に叫び、詰め寄ったあと、体を避けて道を開いた。
後ろに集まっていた住民も釣られて開け、窓が見える。
その先の広場を捉えた。
眉をひそめる。
広場には忌まわしく見える祭壇。
……があるはずだった。
「お前たちが壊したんだろっ」
住民の一人が声を上げた。
広場に設置されていた祭壇が壊されていた。
ここからでは曖昧で、窓際に足が向かっていた。
僕らを避けるように住民らが散らばるけれど、刺々しい視線は変わらない。
エリカは抗うように睨み返し、窓際に辿り着く。
窓に手を当て、瞬きをしてしまう。
声は出ない。
組み上げられていた木の柱は折れ、階段も破壊されて途中で崩れている。
壇上の天板もめくられ、地面に捨てられていた。
また、壇上に刺さっていた二本の剣は、依り代とされていた木に突き刺され、祭壇とは途方もないところに無様に転がっている。
「これは昨日の腹いせか?」
トウゴウの怒鳴り声に振り返ると、その場にいた全員が僕らを睨んでいる。
若い男が今にも殴ってきそうな態度をしていたので、エリカをかばって立ち、負けじと睨み返す。
「お前らには関係ないだろっ、ふざけたことをするなっ」
「祭りをどうしてくれるんだっ」
「テンペストが襲ってきたら、お前らのせいだぞっ」
容赦ない怒号が絶え間なく降り注いでくる。
それを奥歯を噛み締めながら、じっと耐えた。
住民らに僕らの言い分を聞いてくれそうな雰囲気は微塵にもない。
この人らにしてみれば、僕らはネズミみたいで言葉が通用しない。
「……関係ないって言ったでしょ」
我慢の限界が近づいて、背中に回した拳に力がこもる。
手の平に爪がめり込んでいたとき、エリカの一言が怒号として突き抜ける。
小さく、それでいて鋭い反抗は、店を一変させた。
一気に静寂が辺りを支配する。
エリカは一歩前に出る。
「言ったでしょ、あんなことしたって無意味だって。何をしたって、テンペストが襲うこともあるんだって」
「それはお前たちの心構えが間違いじゃないのか。そうして抗った気持ちを持っていたからこそ、お前たちの町は襲われたんじゃないのか」
「……バカバカしい」
力強く説いてきたのは一人の老婆。腰を曲げ、杖を突きながらも強く責めてくる。
しかし、エリカは動じず、
「だったら、あなたたちは人柱になる者の気持ちを考えたことあるの? 「町のために死ね」と言われた者のっ」
「だから、それは誇らしいーー」
「ふざけないでっ」
一向に折れることのないトウゴウの主張に、エリカも負けじと抗って遮断する。
まったく。どこが人見知りなのか。感情的になると気にしない部分は人見知りとかけ離れてるだろ。
「あんなものはない方がいい。あんなものがあるから、心の楔になってふざけた風習を正当化してるのよ」
「……だから、祭壇を壊したのか?」
これまで静かに見守っていた店主が壁から背を離し、抑揚のない、ゆっくりとした声で聞いてくる。
「ーーそうよ」
ざわめきが走った。
エリカは否定せず、自ら認めた。
何を言っているんだ、このバカ。
慌ててエリカの前に立ち、エリカを引き下げようと肩に手をやった。
エリカは唇を噛み、怯むことなく店主を睨んでいる。
完全に怒っている。
「……君たちの言いたいこともわかる」
背中に店主の声が届く。
理解してくれたのか、と手から力が抜けた。
「だがな、やっぱりあれを拠り所にしている者もいるんだ。それを勝手に壊してほしくはなかった」
ふとエリカと顔を見合わせた。直前まで険しく眉を吊り上げていたのに、今は目が泳いでいる。
言いたいことはわかる。
ゆっくりと頷くように瞬きをした。
「出て行ってくれ、今すぐ」
言いたいことはわかるよ。
でも、何も言えない……。




