1話 遠のく日常
もしもいきなり星が自分の目の前に降ってきて、誰も持っていない未知の力を手に入れられたら……そんなことをいつも空想していた。仲のいい親友達は不思議な力を持っていて、そんな輪の中で自分も一緒に過ごしてて『別に欲しくない』なんて言える奴は嘘つきだと俺は思う。
男に生まれたならやっぱり周りと対等でいたいと思うじゃないか。だから念願の力を手に入れた時、本当は舞い上がりたいほど嬉しかった。でも状況が俺を許さない。力には責任が伴う。その責任を果たす覚悟と力がオレには足りなかった。足りなかったんだ………。
どうしてこうなったのだろう…。15歳になったら、3人で村長からの成人の儀を受けて村の外へと旅に出る。自分の知らないモノを見て、聞いて、楽しく3人で人生を謳歌するはずだった。
そんなキラキラとした夢を描いていたつい昨日までの俺は、今日がこんなに残酷だとは思わないだろう。
襲いかかる未知と別れに身体が押しつぶされ、もう体が動かない。
身体が重い。力の使いすぎでもう木の幹に体を預ける以外に俺が出来ることはなにもなく。
「ネンス…ソラ…村長…」
最愛の3人の名前を呟く。
オレの大事な人達。ずっと一緒だった。まだ15歳だった俺にこんな別れが来るなんて想像できるわけがなかった。
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▽▽▽
白裂と黒雨という2つの大災害が俺の生まれる数年前に起きた。
突如世界中の山や川といった至るところの地面が裂けた。
そこから白い光が溢れ、その光に巻き込まれたものは骨すら残らず消えた。地形や天気何もかもが裂け、浮き上がり、陥没し今まで自分達が暮らして居た世界は幻だったと言うほどに変容した。俺達の暮らしの指標である太陽ですら2つに分かれた。皆が信仰していた、当たり前にそこにいた太陽が変貌した。その事実に皆とんでもない事が起きたと直感した。
そしてその変容現象は人体にまで影響し、今まで一度も生まれて来なかった双子と言う概念も誕生した。人々は、初めて見る双子に恐怖した。身体のどこかが目に見えて普通の人間と違かったのも原因だったのかもしれない。それから自分という存在とどこか違う双子というものは恐怖の対象に変わっていった。世界は変わり、人同士の争いも増えたこの事実から、あらゆる破滅を招き、人の心を惑わし、裂き断つ災害だと生き残った世界中の人は震え、恐れこの現象に白裂という名前をつけた。
空から黒い雨が落ち、触れたものは皆変容した。
その雨は1日限りだった白裂の後、9日間もの長い間降り続けた。まるで世界の傷を癒すかのように。
その雨に触れたただの動物達や人間は何かしらの特異な力に目覚めた。地面を凄まじい速度で駆け、空を跳ぶことができるようになった。体から炎だって出せる者すら現れ始めた。
動物達もまた独自のモノへと進化し、人の命を軽々と奪う化物へと変わった。そしてそういった超常的な存在の体には皆一様に不思議な線の模様が浮かび上がるようになった。奪い、恐怖を与えるだけの白裂とは違い、自分達に力をくれる祝福の雨だった。全てが自分達の役に立つために降り注ぐ、この雨こそが、自分達を守ってくれる存在だと人々は次第に思うようになった。いつしか、気味の悪い二つの太陽を隠すこの雨のことを、人々は喜びと感謝ともに黒雨という名前をつけた。
そしてオレはそんな大量の人達が死んだ大厄災の後に生まれた。だからなのかいつも皆に攻撃されていた。
「呪いの子 呪いの子 姉殺しの呪いの子
お前といると不幸になる みんながみんな不幸になる
呪いの子 呪いの子 私達の光を奪った呪いの子
殺したい 殺したいほど憎いけど、殺したら呪われちゃう
私達は綺麗だから汚くなっちゃう 光が無いと濁っちゃう
呪いの子 呪いの子 汚く卑しい呪いの子 私達を呪う呪いの子
だから早く死んで死んで死んで死んでしんでしんでしんでしんでしんでしんでしんでしんでしんでしんでしんで」
不吉の象徴、光を奪った人殺しだと。毎日のように言われた。身に覚えはない。オレの事を知っている人はいないから。誰も俺の事を守ってくれないから。だから俺は自分を守るために自分の手で自分の耳を塞ぐ。けれど耳を塞いでも誰かが俺の手をひっぺがして耳元に囁いてくる。その声はいつもいつも耳にこびり付いて離れなかった。いっそ自分が死ぬか、皆が全員死ねば許されるなんて思った事もあった。
けれどそれを実行する前に、そんな自分に対する悪意はある時からふっと消えた。
その時は喜んだ。皆の気が済んだのだと。けれどそれは間違いだとすぐにわかった。
…消えたのではない。あれは無視なのだと。誰も自分に話しかけてくれないし、目を合わせてもくれない。話しかけてくれない孤独感にまたオレは潰されそうになった。まだ俺を攻撃してくれれば、誰も見てくれない。一人は嫌だ。暗い…寒い…誰か…オレは…孤独が辛い。
辛くて俺は村の近くの川でいつも死ぬ事を考えていた。8歳の時だった。何度も何度も死のうとして、体が動かなくなった。ただ川の水はいつも綺麗で、喚ばれている気はしていた。村の外れだからなのか、ここには他の村人の姿は無かった。だからオレは孤独に耐えられなくなると、村からの視線から隠れる様にいつも逃げていた。
綺麗な自然に相反して、オレの胸にはいつもいつも黒い感情が身体を支配していた。全員殺せれば静かになる?俺が死ねば考えなくて済む?自分だけが持つ『死』という切り札。自分の意思で自由に切れるその手札をどこで使ってやろうかって毎日毎日毎日考えていた————。
「………はっ!……はぁはぁ………はぁ…またあの夢か」
最近何度も見る。忘れたい過去の思い出を。周りからオレの死を望まれていたあの頃の夢を。死ぬ事ばかり考えていた頃のあの夢を。
「はぁー…」
思わず出たため息を隠す様に足を抱えてうずくまる。そうやって昔は何度も自分の殻に閉じこもり、皆からの責め苦を何度も何度も反芻して明日からはもう言われない様に、精一杯反省しようとしていた時いつもこのポーズをしていた。それに…あの頃は自分でもどうかしていたと今では思う。
このまま反省会を開きたいが、それでもいつまでもこうしてはいられない。
「…寝汗が気持ち悪いし、体を洗って仕事に行かなきゃ…」
誰に言うでもなく、自分に発破をかけてそうやってなんでも無い風を装いながら寝室を出る。ベッドのシーツがどれだけ濡れているのか、どれだけ自分が昔の事を気にしているのか蓋をしてなんでも無い様に。
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体を洗って、ご飯を食べて家を出るいつも通りの朝だ。けれどオレにとって、いや…オレ達にとって特別な日でもある。
そう思いながら玄関を出て空を見上げる。そんな特別な日の天気は快晴……とはいかず…まだ早朝、加えて今日は天気が悪く少し霧っぽい。
「ランタンがいるな…」
身支度に時間を食ってしまった事に後悔しながら急いでランタンを用意して改めて玄関を出る。
はぁ…はぁ…と自分の走る息遣いだけが耳に響く。
「遅くなっちゃったな…」
なんて言われちゃうかな…とこの後言われるであろう小言の内容は何かを考えながら駆け足で目的地に向かう。
オレが住むこの場所。ここは天下の炎の国からかなり離れた「クレナイ村」。
名前の由来は草も木も家も何もかもが消える事なくずっと燃えていて、昼でも夜でも赤いから「クレナイ村」というらしい。2つの大厄災の影響でそんな炎がこの土地に発生したらしい。昔この村を再建する際、外敵を防ぐために丁度いい柵代わりになるとここに住む事を決めた村長がいたんだとか。
そんな環境でどうやって住めるのか?と聞かれても細かい事はわからない。なぜなら村の炎は熱くないのだ。触っても熱くもなく食べる事ができる。そして悪意を持って近づいたものに対してのみ村中の火が炎としての灼熱の一面を見せる番犬ならぬ番火とでも言うべきこの辺りでも珍しい特徴を持つ炎のおかげで、村ながらに以前は大変な賑わいを見せていた……らしい……。
と言うのも、オレ達が生まれる頃にはその炎は突如として消えてしまったらしい。理由は不明。今では燃えカスのように残る木々の簡素な景色しか残っていない。だからオレはこの村のキラキラと燃え盛る姿を一度としてみた事がない。昔は一目その燃える姿を見ようとしてやってきていた沢山の観光客は今やゼロ。街に迫る勢いで増えていた村も住人が大勢出ていき今や200人程の小規模な村だ。
炎が燃え盛る環境だからこそ生えていた焔の草やフレアの実といった村の特産も採れなくなり、今や火の国からの定期的な配給がなければ村人が生き残ることなどできず、村の仕事としてできる事といえば食料になりそうな動物の飼育と出荷、それから猟で珍しい動物を捕まえて街で売るくらいしか仕事がないのだ。
村での仕事も少なく国からの配給が無ければ生きていく事ができない廃村寸前の村それが此処クレナイ村だ。だからこそ皆こんな場所から出て国で働きたいと野心の炎を燃やしている。
そんな中でのオレの仕事というのが飼育している動物の世話と牧場近くの森での狩猟だ。
今は朝の動物の世話をしにむかっている。この時間起きている住人はほとんどいない。元々は村の誰にも会いたくなくて村長に頼み込んで始めた仕事だった。
働かないとお金を貰えない。
そんな世の中の当たり前に反抗する力もなかったオレはこの仕事を始めるようになった。大変な量だがもちろん一人では無い。その仕事をずっと一緒に手伝ってくれているのが————
「あ!ユー!!!!!」
「お?おせーぞ!ユジル!遅刻だぞー」
このネンスとソラの二人だ。
「おーい今日は珍しく遅えな。いつもウチの前で待っててくれるお前が」
こいつはネンス。昔から一緒に仕事を手伝ってくれている仕事仲間であり、一緒に育った親友だ。特徴的な燃える様な赤い瞳、浅黒い肌に引き締まった筋肉。そして真っ赤な髪に頭に掛けたごーぐるが似合う見た目をしていて、同い年とは思えない身体能力の持ち主であり、俺の相棒だ。特に狩りでは常に前に出て圧倒的パワーで獲物をなぎ倒す。俺達の協力無しでも何でも一人で倒せちゃうくらいの剛力を持つ金色の証持ち…まあコイツの場合ただの脳筋とも言うのだが…。ちなみに俺はこいつとの力比べで一度も勝てた事がない。
「悪いネンス。ランタン準備してて…いてっ!いって!肩をバンバンするの止めろって!オレは証なんて無いし、お前が本気出したら俺の服もすぐ破れちまうって。俺これともう一着しか作業用の服ないんだから、ちょっとは加減しろよ。」
「ははっ遅れた罰だ!甘んじて受けろ…よっ!」
「いってえええ!ネンスおまえな…」
余りにも強すぎる追加攻撃に文句を言おうとした瞬間
「お兄ちゃん!!!!会えて嬉しいのはわかるけど、ユーはワタシやお兄ちゃんみたいに証持ちじゃ無いんだから手加減してっていつも言ってるじゃん!」
…オレの文句はソラが代わりに言ってくれたみたいだ。
この子は妹のソラ。ネンスと同じくずっと一緒に仕事を手伝ってくれていて、狩りでは主に俺達の後方で獲物の位置や周囲の状況を把握することに長けていて、弓の扱いも村の男達も顔負けの弓使いだ。そして村一番の美少女でもある。……優秀だよな。
誰かが言っていたわけじゃないが、オレはそう思っている。……他意はない…です…。とにかくその見た目のせいか、村の皆から目の敵にされている。彼女もネンスと同じ赤い瞳を持つが、こちらは透き通る様な透明な赤、そしてさらっとしたフワフワした赤い髪のロングときめ細かい肌。そして彼女が普段着で愛用している短いズボンに加えて、最近村長から貰ったというろんぐぶーつを組み合わせた姿が似合うせいでますます村の中では気軽に外に出歩けない。そんな美少女がなんでこんな頭から足まで筋肉でできているネンスと兄妹なのかは村の永遠の謎だ。それを言うと村長が怒るので絶対に言えないが…。
ちなみに彼女も青色の証持ちなのだがオレはその能力をよく知らない。教えてくれと頼んでも「ユジルには嫌!」の一点張りでずっと断られている。いつか教えてくれるといいなぁ…..。
そしてオレの名前はユジル。残念ながらオレには二人と違って証はない。…まぁ…持っている人間の方がレアなのだから文句はない。現にオレ達の村にいる200の住人の中で証を持つのはネンスとソラの二人だけだ。
「まぁいいだろ!スキンシップよソラ!んじゃ早速牧場に向かおうぜ」
「もう…!ユーもちゃんとヤならヤって言わなきゃだめだよ!ハッキリ言わない男はダサいよ⁉︎」
……結局ソラにも怒られてしまった。年々二人ともオレへの当たりが強くなってないか…?と思いながら仕事場に向かう。
「もう6年か…」
思わず歩きながらそう呟く。
この二人と一緒に仕事を始めてもう6年、オレは今日で15歳になる。村での仕事が激減してからは動物達の飼育とレアな動物達を見つけて近くの村や街で売る事で日々のお金を稼いできた。けれどそれも今日までのことだ。ここからは自分自身の決断で前に進む時が来たのだ。この世界では15歳になった者達全員に人生の選択を迫る。それはこの村でも同様で、村に残るか、外に出るかを必ず選ばなければいけない。途中で辞める事なく最後までその選択に責任を持って死ぬ覚悟を持つこと、それがこのクレナイ村で大人になると認められるうえで守らねばならぬ掟だ。
二人は先に誕生日を迎えていたが、オレと同じ日に将来を選ぶまでは手伝うんだと彼らの父親でもあり村の村長に頼み込み、こうして今も一緒に働いてくれている。本当にオレにはもったいないくらいの二人だ。多くの若いやつらは証持ちになる事を夢見て外へと旅立ち、5つの国に住む事を目指すらしいが、ネンスとソラは絶対にソレをしないだろう。その理由をオレは知っているが、村長にはなんて説明しているのか…を聞くのは野暮かと思い聞いてはない。とにかく今は目の前の仕事だ。
「……早く仕事終わらせなきゃな!」
「お?なんだよ?気合い入ってんな。じゃあ今日はケムリグサの森入ったらユジルが前衛な〜」
「任せろこの辺りに出てくる獣なんて俺の短刀で全部狩ってやるよ!」
「ユー?気合い入ってるのはいいけど、今日はそんなに頑張らなくても程々に狩って村に戻ればいいんだからね?お父さん達も成人の儀の準備私達が帰る頃には終わらしてくれているだろうからしあんまり待たせない様に早く帰ろうね!」
「わかってるって…じゃあささっと動物達に餌やって森に行こう!」
「おーう」
「はーい」
「あ!それからお兄ちゃん帰ったらいつものアレ作って!」
「え?お前アレって火縄牛の牛すじスープ?」
「うん!それそれ!やっぱアレ食べないと生きてる〜って感じがしないよ」
「はぁ〜お前本当アレすきだよなー…しゃーない可愛い妹のために作ってやろう!」
「わーお兄ちゃん大好き!」
そうやってふざけながらも今日のやる事を共有しながら、村はずれの牧場に向かういつも通りの朝…だった。
霧の中を歩き続け、もうすぐ牧場も見えてこようとした時だった。最初に異変に気がついたのはソラだった。
「ねぇ…何か変じゃない?」
「ん?ふぁ…何が変なんだ?いつも通りの道だろ。ちょっと霧は濃いけど」
まだネンスは眠そうにあくびをしながら答える。
「あのさ…霧であんまり先が見えないけどさ、この道の感じからしてこの木々を抜けてその先の坂を上がれば牧場だよね?」
「そうだな。6年も通ってるからな間違い無いな」
「あぁネンスの言う通りだ。何がそんなにおかしいんだ?」
余りにも怖い顔をしているソラが気になり聞き返す。
「いくらこんな時間でこんな霧があっても普通動物達の声が聴こえないなんて事ありえないよね?しかも森すらこんなに静か」
その一言にオレとネンスはすぐさま耳に意識を集中させる。
「……確かに何も聞こえねぇな…」
「ああ…頭の良い何匹はいつも俺達が近づいてくるってだけでこれぐらいの距離からでも鳴き声を上げてるもんな」
「ましてや俺達が飼ってるのは臆病で有名な『火縄牛』だぜ?無音にならないように常に集団で音を絶やさないように生きてる奴らだ。………ソラ!ユジル!武器構えておけよ。最悪の場合に備えてな…」
そう言いながら獣と戦うときのグローブをはめるネンスを見てオレは腰にさしていた短刀をソラは背中に背負っていた弓を準備する。
「悪いユジルさっきの無しだ!いつも通り俺が前衛で先行する、ユジルが遊撃、ソラは遠距離からのサポート、異常があったらすぐに情報共有!いいな!」
「「了解」」
「…行くぞ…起動」
瞬間ネンスの証の発動と共にネンスの筋肉が膨れ上がる。そして凄まじいスピードで霧の中に消えていった。
「…相変わらず馬鹿みたいに速いな…合わせる身にもなって欲しいぜ…」
「まぁまぁ…お兄ちゃんは考えすぎると動きのキレがよくなくなっちゃうし…それに信頼してるからねユーの事。だからああやって迷わずに突っ走って行けるわけだし」
「それはソラもいるからだよ。…行こうか。後で二人であいつに言う文句考えとこう。とびきりのやつ」
「ふふっ…了解!ついでにお兄ちゃんの嫌いな火縄牛の血だまりスープ作って食べさしちゃお!」
「ははっソラにもスープ作ってあげる予定なのに、さらにスープかよ。食い合わせが悪そうだな」
「へへっ香辛料いっぱいいれて、お手洗いから今日は出さないよ!」
「おーこわこわ」
——自分の中で張り詰めすぎていた緊張が少し緩む。正直こうして何かが起こっているかもしれないと思った時、一瞬——いや…かなり怖いと思った。
そんな事を一ミリも顔に出さず、震える自分を心のゴミ箱につめて霧の向こうへと勢いよく走り出す。霧を抜け、坂を登る。前だけを見て走る。近づけども近づけども動物達の鳴き声が無いことへの焦りはどんどん増していく。
————話は変わるがオレには夢があった。こんなクソッタレな村を成人の儀を終えたら出て、世界中を旅して周り、可愛い彼女を見つけ、結婚し、余生を過ごす。そんなありきたりな願いだ。
今日もいつもと変わらない平和な世界が俺を待っている…そうなんとなく思っていた。多くは望まない。ただネンスとソラ、そして村長と楽しく生きて、何事もなく平和に————。
ただそれだけしか心になかった。
それなのに坂を登り切り視界に飛び込んできたのは————薄く残る霧でも隠せないおびただしい程の死体の山。
腹を裂かれ、口を裂かれ、目を抉られ、足を斬られとそこに今までの平和な牧場の風景はなく、食べるためでも無いただの殺戮による死が転がっていた。
「酷い…」
後ろでそう呟くソラに掛ける言葉が見つからない。こいつらは食料であり、お金の元でもあったが愛情を持って育ててきた。それがたった一夜でこんな事になるなんて…大切なおもちゃをが一日で誰かの手で壊された状態で枕元に置いてあったのを見つけるようなそんな行き場の無い怒りと悲しみが体を駆け巡る。
失意の中見渡すと一番手前の死体の横にネンスが屈んでいるのを見つけ駆け寄る。
「おい!怪我ないか?」
「こいつはさ…最初群れの中でも鈍臭くていつも餌の争奪戦で負けてる奴だったんだよ」
「…そいつとの出会いの話?」
いきなりの話に思わず聞き返すも、返答はない。俯いているせいで表情は見えない。
「ああ…こいついつも後ろにいて皆が我先にって餌の取り合いしてる時に一度も頭を突っ込んでこなくてさ、体は周りの奴らと比べても一回りもでかいのにいっつも何かに怯えててさ。そのくせ腹は空かしてるのかヨダレ垂らしてじっと皆の事見ててさ。全員が餌を食べ終わっていなくなった後にずっと一人で餌を探してる姿が見てらんなくていつも帰り際にこっそり餌あげてたんだ。でもそのままじゃダメだろって思ってさ…。ある時『餌が欲しけりゃ奪ってみろ!』って戦ったんだ。そしたらいつものオドオドが嘘の様なすげー突進してきてよ。このオレが証使ってるのに思いっきり俺吹っ飛ばされちゃってさ…あん時は痛かったなぁ…ほんとびっくりしたぜ。狩りでもほとんど力負けした事がなかっただけに余計に……な…。
家に帰る時の俺のボロボロな姿を見たお前らが心配するから木から落ちたなんて嘘ついてさ…。あん時は父ちゃんもソラもお前もカンカンだったよな…」
「なつかしいな…」
「オレはそん時にさ嘘ついてでも皆を心配させまいって子供ながらに皆に気を配ったつもりだったのに泣かれて、怒られた事がすげーショックでさ…。あれからもう二度と人に嘘はつかないって決めたんだぜ…」
オレは黙ってネンスの隣に座って話を聞く。
「…話がそれちゃったな…その牛もさオレみたいに気を使ってたんだと思うんだ。自分は体がでかいから。皆のためにって。でもお前には力があって皆を守れるんだから、そこを活かせってオレはあいつとぶつかってそれを伝えたんだ…。それで吹っ切れたのかそれから餌も他の奴らに負けじと果敢にとりにきて、段々と群れのボスとして周りに認められるようになったのが嬉しくてな。
…覚えてるか?群れの一匹を食用で売ろうと柵から出そうとするたびにオレに向かって突撃してきてたろ?こいつは誰も失わないためにいつも一人で戦ってたんだ。だからさこいつ今回も最後まで先頭にいたんだよ。皆を逃がそうと…ボスとして…オレとの約束を守ってさ…」
そう言われて見ると確かにこの火縄牛と他の死骸の間には若干の距離があった。
「だからオレはこいつらを殺した犯人を許せない…。自分達が生きるためではなく、ただ殺したコイツを。こいつらの誇りを感じずにただ自分のために殺しをするこの殺戮者を」
「……コイツ…?おいネンスなんで1人だってわかんだよ?」
「…この犯人は単独犯だ。見ろ!動物達の切り口は皆鋭いナイフのようなもので引き裂かれていたり、何かで貫かれたような跡があったりと殺し方に違いはあれど全部の傷口にこの黒い液体があった」
そういいながら辺りの死体の傷口を指差す。
——確かにそうだ。どの死体にも黒い液体が垂れている。最初は血かと思ったがそうじゃ無い。あれは…恐らく毒…もしくは何かの生き物の…。
「でもさ…そんなことありえるのか?臆病で警戒心の高い火縄牛は自分の身に危険が及ぶと最後の手段として自爆をする特性がある。しかもこの群の数だ。周りを見た感じ爆発した跡はない…。て事はソイツは火縄牛が身の危険を感じる事なく死んだって事になる。人間業じゃないだろ…」
「………」
オレの疑問にネンスは答えない。誰にも答えがわからない。だからこそ不安ばかりが増していく。どうすればいい…どうすれば…?
そんな思考の渦に巻き込まれそうになった瞬間だった。
「…ねぇ…一度村に戻らない?ワタシ達だけじゃ多分犯人の事探すのは難しいし…。まずはお父さん達にこの事…話そ…?」
振り返るとソラが俯き震えながらオレの背中にそっと手のヒラを当てて座っていた。
悲しげな顔をしているソラにどうしてあげたらいいかわからずに内心おろおろしていると、隣でソラの話を聞いて居たネンスがゆっくりと立ち上がった。一瞬怒って、「一人でもオレは探す!」って大声をあげるかと思って身構えたがちらりと見えた顔を見て安心した。…どうやらオレの出番はなさそうだ。
「…あぁそうしよう。ソラの言う通りだ。これは俺だけの問題じゃ無いしな。父ちゃんは狩猟で食ってきた男だ。父ちゃんに聞けばもっと色々わかんだろ。だからお前も不安ならオレらを頼れ。オレはお前の頼れる兄ちゃんだし、ユジルはいつだってお前を守ってくれる。だから泣くな」
「うん……う…ん…………うー………」
そう言いながらソラの頭を撫でながら座るソラを抱きしめるネンス。あぁ…やっぱ二人は兄弟だなと嬉しくも、そして悲しくもなりながら胸の中で泣くソラを泣き止むまでオレはただ見つめていた。
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「ごめん…二人も辛いのに私だけ…こんな…泣いちゃって…」
と申し訳なさそうに謝るソラ。
「フッ…」
つい笑ってしまった。恥ずかしい事があった時にいつも足を閉じて前髪をいりながら横を見るソラの癖。こんなに大きくなった今でも変わらないその姿につい笑みがこぼれてしまう。
「ちょっと…!なんで笑うの…ユー!もー!」
耳まで真っ赤になりながら脇腹をツネってくるソラを宥めながら、内心元気になったソラを見て安心した。
「よし…急いで村に戻ろう」
「あぁ!」
「うん!」
皆来た道を全速力で走る。一刻も早く村長に事件を伝えるため。
だから彼らは火縄牛を殺した犯人がどこへ向かったのかを考え、探す事を放棄してしまった。
何故単独犯だと思ったのか。それを断定する事がこの状況でどれだけ浅慮なことか。
犯人を見つけること、それは大人の仕事だと。自分達はまだ子供だからと。黒い液体の跡がどこに向かって垂れていっていたのか。異常事態の中で何故長い時間話し込んでしまったのか?そんなしょうがないと思える子供の失敗を喜ぶかの様にその黒い何かもまた村へと歩みを進めていた事に気づく者はいなかった———。