2章ー3
食堂に着くと、まだ開いたばかりの時間だというのに結構な人で溢れていた。
男子寮だから、当然食堂には男しかいない。
朝食は金持ち学校なだけあって毎日日替わり三種類。
当然早く来て選ばなければ人気の物からなくなっていく。
今日のメインはオムレツだ。
どんな一流のシェフを雇っているのか、ここの卵料理はかなりおいしく人気も高い。
だからこそ、今日はいつも以上に人がいるのだろう。
これだけは確保しなくては、と意気揚々とトレーに乗せた時だった。
ドン、と後ろから誰かがぶつかってくる。
その衝撃に前のめりになると、品のない笑い声が続いた。
振り返らなくても声でピンときた。
「まだいたのか。もうとっくにママのところに帰ったと思ってたぜ?」
嫌味な声に眉間に皺を寄せる。振り返れば、想像通りの男がそこに立っていた。
「レイチェル」
少し太って丸いお腹に、緩められたネクタイ。
胸ポケットからわずかに覗くのはどこかのブランドのペンで、無駄に整えられた髪はその男が貴族であることを示している。
それでも、品があるように見えないのは男の浮かべる笑みがどこまでも下種だからだろうか。
あーあ。朝っぱらから嫌なやつに会っちゃったな、とせっかくオムレツをゲットできて嬉しかった気持ちに水を差された気分だった。
「お前みたいな奴が由緒正しきこの学園にいるなんてこの国の恥だ。ノルごときの血が混ざっているなんて、俺だったら恥ずかしさで田舎から出ようとも思わないね」
言われた言葉に相手に気づかれないように舌打ちをする。
この学校に通い始めてから、この言葉を何度言われたか分からない。
ノル、というのは四大元素を扱うことの出来ない人間を蔑む呼び名だ。
この学校には名門貴族や、ノルの血が混ざらない人だけが死神になるべきだという、いわゆる純血思想が強いやつがたくさんいる。
死神は選ばれしエリートのみがなるべきだ。そして、そのエリートは能力だけでなく、家柄も優秀であるべきだと。
そのせいで、この学校では俺の様な混血や、貴族でない人種はいじめの恰好の餌食にされるのだ。
「勉強も実技も中の下だし、干されるのも時間の問題だろうがな」
ケタケタと品のない笑いが続く。いつも連れて歩いている取り巻きも同じように下品な笑いを漏らしていた。
レイチェルは、この国でもかなり名のある貴族のお坊ちゃまらしい。
なに不自由ない生活を送り、プライドだけは無駄に高い貴族の中で育ってしまったせいで、典型的な純血思想が体に刷り込まれているのだ。
そのせいで誇り高き貴族様であるにも関わらず、品が全く感じられなくなってしまった。
脂の乗った肉ばかり食べたせいで横に大きく育ってしまった体も、その品のなさに輪をかけている。
相手にしないでおこうと踵を返す。
「なんだ、逃げるのか? まあ、お前みたいな出来損ないじゃ、恐れ多くて俺に言葉をかけることすら躊躇う気持ちも分からなくもないけどな。それとも、事実だから言い返すこともできないのか? 情けないな、さすがは混血だ」
一瞬で頭に血が昇る。それでも堪えてやり過ごそうとした時だった。
歩き出した足元にレイチェルが土の要素を操って障害物を作る。
それに躓いて、あっと思った時には遅かった。
体がバランスを崩して崩れる。持っていたトレーは手から離れ、大きく宙に舞った。
倒れる。
衝撃に備えて瞳を閉じた。それでも、体に床とぶつかる衝撃は来なくて、代わりにお腹の辺りに何かが当たった感触がする。
驚いて瞳を開けると、そこにはいつの間にかアレックスが立っていた。
倒れなかったと思ったら、アレックスが右腕で俺の体を支えてくれたらしい。
宙に浮いていたご飯たちは、アレックスの風で彼の左手に乗せられたトレーの上へと何事もなかったかの様に戻っていった。
「……アレックス」
思わず漏れた言葉にアレックスが俺に向かってパチリとウィンクをした。
その瞳はすぐに目の前のレイチェルに向く。
「食べ物を粗末にしちゃダメだって、ママに教わらなかったのか?」
俺に向けたのとは打って変わって、鋭い瞳がレイチェルを射抜いた。その瞳に、レイチェルは大きく舌打ちをする。
「ふん。俺はお前みたいな貧乏人と違うからな。たかだか一食分のご飯を粗末にした程度でどうこう言われたことなんてない」
「躾もままならないなんて、たかが知れてるな」
鼻で笑ったアレックスにレイチェルの顔色が変わる。止めに入ろうとアレックスの腕から抜け出すが、何かを言う前に彼の背中に庇われた。
「仲良しごっこか? ボールドウィン。俺はな、純血でもお前みたいな貧乏人が由緒正しきこの学園に通うことは認めていない。お前みたいな貧乏人がよく堂々と通えたものだな。俺だったらみっともなくて入学を断っているよ」
独特の下品な笑いが漏れる。
周りも巻き込んだ笑いに、今度はアレックスの瞳の色が変わった。
綺麗な翡翠から光が消えて、黒く暗く冷たい色が宿る。女の子が見たら泣き出しそうな程氷ったような瞳のまま、アレックスが笑った。
「貧乏人貧乏人って、入学してから今日までバカの一つ覚えみたいに。それしか言えねぇのかよ」
ふわりと、冷たい風が彼の体の周りに宿る。長めの髪が風に吹かれて靡いた。
「まあ、無理もないけどな」
アレックスが笑う。纏う空気の重さに、レイチェルたちもまともに動けなかった。
「それ以外、言うことないもんな。貧乏ってこと以外で俺に勝てる要素なんて一つもねぇし」
一歩、アレックスが距離を詰める。
「女の子にも俺の方がモテるし、実技も上だしな」
詰められた分だけ後ずさるレイチェルは、実技はそこそこの腕しか持ってなかった。
それに、この見た目では当然女子からモテることもない。
それ以前にこの二つに関してはアレックスは誰よりもずば抜けているので、そもそも勝てる人は誰もいない。
だからこそ、この学園でアレックスをバカにできるやつは殆どいないのだ。
「貧乏人以外にも貶せる部分探してから出直せよ。じゃないとただの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。すっげーかっこわるいしさ」
レイチェルがついに壁にぶつかった。これ以上後ろに下がれない位置まで追い込んでアレックスがニッコリと笑う。
「俺だったらみっともなくて入学を断ってるよ」
言われた言葉に相手の顔がカッと赤くなる。
それでも言い返せる言葉は見当たらなくて、思い切りアレックスの体を押した。
距離が離れた隙にレイチェルが追い詰められた場所から逃げ出す。
「覚えてろよ!」
それだけ言い残して、レイチェル一派は一目散に朝食も食べずに食堂から出て行った。
「だっせー」
一昔前の悪役かよ、と呟いて、アレックスがその背中を見送る。
完全に見えなくなってからアレックスが俺の方に視線を戻した。
手に持ちっぱなしだった朝食をはい、と渡される。
その瞳にはほんの少しだけ呆れた様な感情が混ざっていた。
言われることは予想できた。こんなやり取りは、実は初めてではなくてよくあることなのだ。
「エリオも言い返せばいいのに。俺に言われたら流石のレイチェルも不本意かもしれないけど、あいつ頭空っぽじゃん。混血混血って顔真っ赤にしてそれ以外言ってるの聞いたことないし。エリオの方がよっぽど優秀だろ」
その言葉に苦笑を漏らす。こんなことあっさり言ってしまう辺り、イケメンと呼ばれる所以なのかもしれない。
「俺は、アレックスみたいに言い返せるぐらいのずば抜けた才能はないからさ。実技も座学も中の下だし」
それに、こういうの慣れてるしな、と呟くとアレックスは押し黙った。はあ、と大きなため息がしたかと思うと、それと同時にガバッとアレックスの腕が俺の首に回る。
「あー、無駄な体力使った!ご飯食べようご飯!」
久々に早起きしてまともなご飯が食べれそうだし、と笑った顔は、もういつものアレックスに戻っていた。
そういえば、今日は珍しく早起きだったなと言えば、野生のカン、なんて嘘かホントか分からない様な回答が返ってきた。
いずれにしても、アレックスが間に入ってくれたおかげで助かったわけで、お礼を言わなきゃと顔を上げる。
それでも、朝食を選びだした男はこっちを向きもしなかった。
お礼を言われるようなことじゃない。そう思ってるのが伝わるけど、それでも感謝の気持ちは表したい。
「げ、オムレツなくなってる」
だから。
何も言わずに自分のトレーに乗っていたオムレツを彼のトレーに乗せる。
代わりに自分のトレーに残り物のメインを乗せた。
そのままアレックスを追い抜いて机に向かうと、一度だけ面食らったアレックスがクスリと笑うのが分かる。
「あー、それにしても、あの逃げてくときのレイチェルの顔傑作だったな」
俺よりも長いリーチでアレックスが隣に並ぶ。
なんで俺がオムレツを向こうのトレーに乗せたのか、なんて野暮なことは聞かない。
それでも、いつの間にか、たったそれだけの動作でお互いの考えが分かるくらいには、二人で過ごした時間は長くなっていた。