5章-3
三番地区を歩くのは初めてだった。
貴族よりも庶民層を中心としたその町は、この間アレックスが連れてきてくれた市場の雰囲気に近い。
自分の権力を見せつけようと煌びやかな衣装や宝石に身を包んだ貴族とは違い、どこか生き生きとした人たちになんとなく元気が出た。
こんな活気で溢れた場所が、オズワルドさんが現れるまでは魂の無法地帯とまで呼ばれていたなんて到底思えない。
「今日はこの市場をパトロールするんだ。まあ一通り見て回ったらそのまま俺の家に招待するよ」
「おう」
市場に入っていくと、やっぱり軍服は些か目立った。
黒で統一された軍服は死神しか着れないものだし、そんなのが並んで歩いていたら嫌でも視界に入るのだろう。
でも、向けられた言葉は俺の想像とは全然違った。
「ボールドウィンさん。またパトロールかい?警察にでも転職したらどうだい」
「アレックスさん。リンゴ食べてく?おいしいの入ったよ」
あろうことか、町の人たちは死神である俺たちを嫌煙するどころかまるで家に遊びに来た親戚の子かなにかのごとく声を掛けてきた。
歩く度にアレックスアレックスと声を掛けられ、隣にいる俺にまでお友達?とか、アレックスさんはお調子者だから大変でしょう、とか、そんな言葉が掛けられた。
どうなっているんだ。
こんなに町の人に親しげに話しかけられる死神なんて見たことがない。
声を掛けられたアレックスは、一人一人に返事を返す。
お前はアイドルかなにかかと思わずにはいられないけど、黄色い悲鳴の類じゃなくて、愛玩動物よろしく可愛がられている感じがしたのでつっこまないでおく。
「え、リンゴくれるの?」
八百屋のおじさんの手に乗せられた真っ赤なリンゴが光を浴びて軽く光る。
その光に引き寄せられる様におじさんの方に寄っていったアレックスは、一応仕事の名目で来ているくせになんの躊躇もしないでやったー、ラッキーなんて言いながら手を出した。
「お、おい。流石にお前仕事中は……」
「すみませんブラウニーさん。散歩中の駄犬にエサは与えないでもらえませんか?」
俺の静止の声に重ねて、凛と澄んだ声がする。
アレックスに対するキツイ物言いに覚えがある。振り返らなくても誰か分かった。
アレックスの手が止まり、ぎぎぎ……と音が出そうなくらいぎこちなく振り返る。
さっきまでリンゴをあげようとしていたおじさんも、飼い主が来ちまったか、とそんなことを呟いていた。
逆光の中で僅かに風に揺れた髪が光る。
白に近い金髪は、光の加減で今は金の色味の方が強かった。
久しぶりに見るけど、その青ともグレーともつかない瞳の輝きは変わらない。
「ア、アリシア……さん。早かったんですね」
ギロリと睨まれたアレックスはまずいとばかりに名前にわざとらしくさんを付けた。
なんだ、この男一応仕事中にリンゴもらうのはまずいって自覚はあったのか……じゃなくて。
「あなたのことだから、真面目に仕事をしていないと思って早く切り上げてきたのよ。何度言えば拾い食いをしなくなるの?本当に学習能力はそこら辺の野良犬以下ね」
学生時代となんら変わらない氷のごとく冷たい言葉の槍。
見事な命中率でアレックスの胸を深く抉ったそれの鋭さは未だ健在だ。
素晴らしい。
「悪い」
「『すみませんでした』」
敬語に訂正されて、アレックスがググッと押し黙る。
それでも変わらず反論の権利は与えられていないのか、アレックスはおとなしくすみませんでしたと言い直した。
こいつ、きっと永遠にアリシアには頭が上がらないな、とそんな余計なことを考えていると、不意にアリシアの瞳が動いた。
今は青っぽくなっている瞳が俺を映す。
さっきまでは冷たかった表情はふわりと溶けて、微笑すら向けられた。
「久しぶりね、エリオ。元気だったかしら」
「ああ、久しぶりだなアリシア。一応体はなんともない。アリシアの方も元気そうで安心したよ」
俺も同じ様に笑ってそう返す。
ちなみに補足しておくなら、アリシアは特別俺に優しいというわけじゃない。
寧ろ、アレックス限定で圧倒的に冷たくかつ毒舌というだけだ。
簡単な挨拶も終えて、改めてアリシアの姿を見る。
全体的に線が細く色素も薄い彼女には黒はやけに栄えて、それこそその辺の女の死神よりも断然似合っている。
「色気がないとか、そんなことないじゃん。アレックス」
半ば無意識に言った言葉に、バカッとアレックスが慌てて俺の脇を小突いた。
え?と思った時には、そのたった一言で全てを把握したアリシアが一発アレックスにお見舞いしていたところだった。
「言わないって言ってただろエリオのバカ」
「約束はしてないだろ」
「そ、れはそうだけど」
暗黙の了解だろ、とアレックスは赤くなった頬を抑えながら呟いた。
もうさっさとパトロールしちゃおうぜ、と言いながら、アレックスが歩き始める。
その後を慌てて追えば、その隣をアリシアが歩いていた。
一歩だけ後ろで二人の姿を見つめ、なんとなく心が温かくなるのを感じる。
服こそ変わってしまったが、こうして並んでいると学生時代に戻ったみたいだ。
アリシアとは卒業試験用のグループを組んでからの期間だけだったけど、それでもやっぱり死神の中で一番安心するのはこの二人と一緒にいるときだ。
不意に、二人の足が止まる。
さっさと来いよ、と振り返った二人に小さく微笑んで、俺は大股の一歩で二人の隣に並んで立った。




