5章-2
「行こう、アレックス」
「おう」
授業が終わるなり、二人で分厚い参考書を抱えて教室を出た。向かう場所はもうお決まりだ。
「こんにちは、メリーメイドさん」
ニッコリと笑顔を作って言ったあいさつに、彼女は少しだけ鬱陶しそうな顔をする。
このあいさつだって恒例だ。
二人で参考書を開いたまま、メリーメイドさんが座っている席の前に陣取る。
図書館に置いてある机は全て四人掛けで、いつも彼女が一人で座っているその席に強引に相席し、ひたすら話しかけるのが俺たちの最終手段なのだ。
当然向こうは迷惑この上ないとは思うが、こちらも手段を選んでいる場合ではないので仕方ない。
「こんにちはー」
俺に続いてアレックスが軽い口調であいさつする。
しかし、こっちにも当然返事はない。
一度だけ上がった瞳はすぐノートに戻り、サラサラと何かを書き込んでいく。
チラリと視線だけで確認すれば、内容は最近授業でやった数式だった。魔法の威力向上の為の方程式だとかなんとか言っていた気がするけれど、完全に苦手分野なのであまり記憶に残っていない。
ただでさえ頭がいいのに、一年生の時から毎日ここで居残り勉強をしてたのか。
だとしたら、彼女が不動の一位なのも納得だ。
みんなが彼女を天才だと言っていたけれど。
才能だけじゃない。彼女は努力の人なのだ。
彼女がどれだけ勉強しているのか、最近彼女にくっついて勉強をし始めた俺たちは、痛いほど痛感している。
「メリーメイドさんてほんと偉いよね。毎日学校終わってから寮の門限までずっとここで勉強なんて」
自然に漏れた言葉に、大げさにアレックスが頷いた。
「そうそう。俺なんてここ二週間続けただけで発狂しそうだもん。尊敬するよ」
「ここ二週間って、アレックスは参考書開いてるだけだろ。一緒にしたらメリーメイドさんに失礼だろ」
今も来た時から一ページも進んでいない彼の参考書を見ながらそう指摘する。
たまたま勉強しにきたらメリーメイドさんがいた、という体で図書館に来ている俺たちは二人共勉強する道具を持ってきてはいる。
いるのだが。
そもそも毎日何時間も勉強する体力と集中力があるのなら、俺たちの成績はもっと上位に食い込んでいただろう。
それを証明するかのように、アレックスがここでしていることは参考書を開く。
メリーメイドさんに話かけて無視される。
退屈しのぎに器用にペンを回す。
訪れる睡魔と戦い、そして負けては俺に起こされる。
その繰り返しだ。
「そういうエリオだって結局勉強してねぇじゃん」
アレックスの言葉に俺は少しだけ瞳を逸らした。
彼の指摘は尤もで、俺もアレックスと大差なかった。
「勉強してるとは言ってないだろう」
「あー、ずるいぞ!結局俺と一緒じゃん」
さもアレックスに罪をなすりつけた俺にすかさずアレックスから抗議が入る。
いやいや、でもたまには宿題もしている俺の方がほんの少しだけどお前よりはマシだからな。
止まることのない二人の掛け合いに、司書の先生が明らかに俺たちを見て不自然な咳払いをした。
ギロリとこちらを睨みつけてくる瞳に慌てて頭を下げて笑顔を返して誤魔化す。
司書の瞳が離れたところで、今度は小声でお前のせいで怒られた、いやお前だと責任の擦り付け合いが始まった。
俺たちがここ二週間やっていること。
それは、ただメリーメイドの前に座って延々と雑談をし続けるというものだった。
当然のごとく迷惑だろうけど、殻を作ってしまった人の内側に入るにはやっぱりそばにいてなんぼだ。
だから、一見無駄に見えても、これ以外の方法は見当たらなかった。
まあ、始めてから今日までこれといった収穫はないけれども。
「っていうかさ、あの司書もちょっとくらい大目に見てくれてもいいのにさ。元気なお年頃なんだから、大声も出すしご飯もたらふく食べるし、居眠りもするっての」
「おい、後半は司書関係ないだろ」
「そう、そうだよな。そうなんだよ。多少はいいじゃん。育ち盛りだってクスリと笑えばいいじゃん。なのに毎回注意もしないで机燃やすってどうなんだよ!」
なんのスイッチが入ったのか、不意に顔を上げたアレックスにガシリと肩を掴まれた。
おい、どうした。なにがお前をそんなに暴走させているんだアレックス。
もちろん、俺のそんな心の叫びなんて目の前の男には通じない。
「卒業試験対策も始まったし?実戦交えた実技って体力余計に使うだろ。寝ちゃうの仕方ないじゃん!なのに、もう今月で俺が燃やされた机五つだぞ、五つ!たった二週間で五つってもう脅威だろ!教務課の先生の目も氷みたいに冷たいし、別に俺悪くないのに次から俺の机段ボールの空き箱にするとか言い出すし!ひどくね?あんまりじゃね?俺が何したっていうんだよ」
「いや、お前悪いだろ。居眠りしてるからだろ、理由はっきりしてるから」
「ちょ、だからそこは親友ならフォローを」
そうアレックスが切り返した時だった。
クスリと笑う声が聞こえて二人同時に黙る。前を見れば、メリーメイドが口を押えて笑ってた。
小さな肩が小刻みに揺れている。
それでも、指の隙間から覗くのは、クスクスと笑う彼女のピンク色の唇だった。
俺たちに見られているのに気が付いて、メリーメイドははっとして咳払いをする。
何事もなかったかの様に装ってノートに視線を戻すけどもう遅い。
「……笑った」
今、間違いなく、今まで一度たりとも表情のなかった彼女が笑った。
それが分かると、アレックスも肩を揺らして笑い始めた。
「なんだ。人形みたいだと思ってたら」
クスクスと笑いながら、アレックスがメリーメイドを見る。
そして、もう橙に変わり始めた空の光を反射させながらキラキラと光る瞳に彼女だけを映して優しく細めた。
ふわりと、彼が微笑む。
「笑えるじゃん」
き、きた。
隣でもすさまじい破壊力だ。殺傷能力マックスのアルスマイル。
しかも今回は普段よりもキラキラが三割増しだ。狙ってるのか。狙ってやっているか。
チラリとメリーメイドを見る。
彼女は面食らったようにアレックスの瞳を見つめ、ほんのりと赤く染まった頬で顔をそらした。
「……うるさい」
小さく漏れた声はいつもみたいな冷たさはなくて、照れ隠しなんだと容易に分かる。
これは、もしかして。いや、もしかしなくても。
「もう何度も言ってるけどさ、メリーメイドさん俺たちに勉強教えてくれないかな。俺たちはグループだし、運命共同体なんだしさ。俺たちのためにも、是非」
メリーメイドさんが黙る。
少しだけ瞳を伏せて、ゆっくりと長いまつげが持ち上がった。
透き通った水のような青い瞳が俺たち二人を映す。どこか、その瞳には呆れた様な感情が混ざっている。
「アリシアでいいわ。名字で呼ばれるの、あまり好きじゃないの」
それだけ言って、メリーメイドさんがまだ門限まで結構あるのに立ち上がった。
「勉強を教えるのは得意じゃない。けど、ノートを見せるくらいならしてもいい」
「それって」
俺たちの質問には答えずに彼女はさっさと歩き出す。
それでも、これは紛れもなく成功だ。二週間の努力が報われた。
それが結局はアルスマイルのおかげだというのは男としてどこかなんとも言えない感情を生み出したけど、この際気にしないことにした。
いずれにしても、これで俺たちは座学のスペシャリストを味方に付けたわけだ。




