真剣なこと、願いのかなしい話 生命、世界について
病院にいるころ、自分の実話を惺クェイサー風ではないのですが、述べているときでした。
「世界にとどまってる事自体が嫌なんだよ;;」
一人の女性が言い、サャチに共感しました。それも、本音で。
「それな」
根詰まってるんだな、と分かって、うなだし、絆が生まれました。”世界とはそもそもなんぞや” ”自分の存在とはなんや” 根本的に、考えました。そしてその答えは、簡単な答えだったり深い意味の力だったり、自分たちは奇跡によって生かされているなどはもとから思案にあったのですが、要は答えが乱立していたんです。そもそもの話、生命とはなんなのか。私たちが暮らしてる世界は、最悪の想定をすると他の世界の劣化なのかもしれませんが、すべての要素・次元たちを含んでいる可能性があります。その思案、私たちの脳内宇宙は、自重すべき位置に値することもあれば、面白さの基準にてすべてを決めつけ、世の中を楽しめ無くなっている可能性もあります。かといって、地味な意味のない事に共感するのもおかしな話です。私たちは、楽しいことを主義とすることも大事なことですし、かといって人と干渉せずずっとゲームしてたらいつか痛い目を見ます。サャチは幼稚園児から高校二年になるまで生徒と話してきませんでしたが、ネットでやり取りをすることによって、意味を見出してました。学校でも、(いやそこは違うだろこうだろ)などのツッコミを入れ、月星、自分の心を強化していました。ですが、現実で話すのは大切なことです。サャチは、病院に行って「なんで俺が」と嘆いていましたが、結果、サャチのおかげで楽になった人が多いと知った時、「……悪くなかったのかもな」と思いました。視力は失いましたが、そんなものは関係ありません。そもそもの話、視力失っててもいままでしてきたことがゲームなら電子画面を見すぎなので、仕方のないこと、自業自得です。ゲームは頭よくないとできません、コストが高いのです。あと余談なのですが、文章化してある意味のある事を、検索するべきです。サャチの小説は、ネットのできなすぎで精神論などしか書けないので、要するにサャチの脳内のことしか書かれてないのです。極力読みやすくしてるつもりではありますが、意味のベクトルがいきなり高くなったり、段差がひどいのです。前の惺クェイサーでは。この文章もそれなりに段差はひどいですね(
我々は、生きることに感謝すべきです。そういわれて感謝できたら苦労しないでしょうけど、サャチは今生きてるのは幸せです。辛い薬漬けとネット失恋、暇漬け、ゲーム切り離し、受けてきましたが、こんなにも恵まれた「人間」という地位であったことが、嬉しいです。世の中、考え次第では宝の宝庫です。今、あなたがやっているソーシャルゲーム。お金の節目さえ適切にすれば、宝です。楽しくないなら、やめるべきです。今、世の中は快楽の落とし穴だらけです。楽しい気分になってても、落とし穴に落ちることもある世の中ですが、私たちは、これからを大事にしていきましょう。
辛い時こそ、簡単でいいのです




