生徒会長は褒められたいっ!
美しい夕暮れが差し込む窓際で、俺はぼんやりと校庭を眺めて憂いていた。
「お前、またタイム伸びてるぞ! 凄いな!」
「ナイスシュート!!」
「ねぇねぇ、あの子、最近可愛くなったよね」
外から聞こえてくる生徒たちのざわめきは、退屈な授業から解放されてどこか楽し気である。吹奏楽部の華々しいトランペットの音色が響き渡り、まさに青春という二文字にふさわしい。
「はぁ……」
そんな素晴らしい高校生活にも関わらず、俺はため息をつく。
そのわけは……。
「俺も、褒められたい」
小中高一貫のマンモス校。生徒の数は三千人にものぼる。当然、そんな生徒たちの代表、生徒会長といえば、全生徒の憧れの的だ。
俺は小学生のころから優秀だった。否、必死で努力して、優秀な生徒、という座を掴んでいた。学級委員長はもちろん、積極的に学年代表にも立候補した。小学校の高学年になれば、見た目にも気をつかい、勉学や運動だけでなく、内面磨きも怠らなかった。
すべては、この学校の生徒会長になり、全生徒からの熱い視線を浴びるため。
たくさんの友人や先輩、後輩、そして教師から認められ、褒められるために。
承認欲求の塊? それがどうした、何が悪い。
俺はとにかく、ありとあらゆる努力を積み重ねて、ようやくこの生徒会長の座を手に入れた。
手に入れたのだ!
だが、現実は甘くなかった。
俺が、優秀すぎたのだ。
どんなにすばらしい成績を収めても、どれほど功績を積んでも、みんなはこういった。
「生徒会長なら当たり前だよね」
小学生のころから完璧超人だった俺に、周囲が慣れすぎてしまったのだ!
まさかこんな落とし穴があろうとは。神様とはなんと罪深い。
「ふっ……できすぎるのも、困りものだな」
俺の哀愁漂う背中ですら、恐らく、世界中の画家がこぞって絵にしたくなるほど美しいに違いない。
俺はゆっくりと生徒会長専用の机に向き直り――
「これは由々しき事態だ!!」
バァンッ! と強く、机をたたきつけた。
「静かにしてくれ。集中できない」
冷たく言葉を突き刺すのは副会長である。モニターに視線を向け、キーボードとマウスをせわしなく操作する彼は、俺のせいで生徒会の仕事がなくなり、オンラインゲームに忙しい。
「どうかしたんですかぁ?」
そんな副会長とは対照的にのんびりとこちらに声をかけるのは書記。彼女もやはり仕事がないからか、左手にお菓子、右手にティーカップを持って、優雅なお茶会を楽しんでいるようだ。
「暇なら、これ、解いて」
経理の彼は、トントンと手に持っていた数学オリンピックの問題集をこちらに向けた。
「あぁ、もちろん……よくなーい!!」
俺が再び机をたたくと、一人はにらみつけるような視線を、一人はキョトンと不思議そうな視線を、そしてもう一人は驚いたような視線を向けた。
「はぁ……。なんなんだ、今日は一体」
「いつにもまして不機嫌って感じですねぇ」
「情緒、不安定」
三人同時に話しかけられた俺は、それらすべてを聞き分けて、一言で返事する。
「由々しき事態だと思わないのか?!」
三人は、三者三葉の面持ちでこちらを見つめた。
「俺は、もっと、褒められたい!」
また始まったよ、と言わんばかりに今度は三人とも同じような表情を浮かべる。
「ほら、言ってやれよ」
「えぇ~。わたし、いつも褒めてますぅ。先輩、今日もかっこいい~」
「だって」
「褒められたいと言ってから、褒められたって嬉しくない! 第一、心がこもってない!! そういうことじゃないんだよ、そういうことじゃ! 俺は、もっと自然に! 素直に!! 心から!! 正直に褒められたいんだよ!!!!」
俺は言い切ってから、ハァハァと肩で息をして、三人をにらみつけた。
「文句、多い」
「っていうかぁ、別に良くないですかぁ? わざわざ他人から褒められなくても、先輩、自分のこと、スーパーウルトラベリーナイスガイだと思ってるんですよねぇ」
経理と書記からうんざりとしたような視線を向けられても、俺はひるまない。
「思っているが! 思っているのと、他人から言われるのとでは雲泥の差があるだろう!」
もはや俺の発言など聞いていない副会長は、再びモニターに視線を戻し
「はいはい、偉い偉い」
と投げやりだ。
「それはバカにしているだろう!」
「会長、うざい」
「それは褒め言葉じゃない!!」
うがぁっ! と俺がその場で地団駄を踏むと、三人は至極面倒くさそうに顔を見合わせた。呆れたように三人そろってため息をつく様子に、俺も我慢の限界だ、と声を上げる。
「もういい! 決めた! 褒められるまで、俺は今後一切、仕事をしない!」
ストライキだ! と叫べば、副会長に、サボタージュでは? と突っ込まれたが、俺はプイと顔を背けた。
もちろん、皆冷静を装っているように見えて、この言葉に反応しないわけがない。
マンモス校の生徒会にはやるべき仕事が山のようにあるのだ。それを今まで一手に引き受けてきた俺が、仕事をしなくなればどうなるだろう。
そう、彼らの、特権付きの生徒会室で送る『悠々自適な超スローライフ』が奪われる、ということである。
三人にとっては、それこそ由々しき事態であった。
「そんなぁ! 先輩、いつも先輩のおかげで助かってるんですよぉ。頼りになる先輩がいなくちゃ、困っちゃいますよぉ」
「そうだ、会長! お前が働かなければ、この学校はおしまいだ! 会長がいるからこそ、全校生徒は素晴らしい学校生活を送れているんじゃないか!」
「会長、すごい。偉大」
三人が一斉に声をそろえて俺を褒める。
俺は思わず鼻の下が伸びそうになるが、こんなもので折れては、奴らのいつものやり口にのせられるだけだ!
いかんいかん、と俺は気を引き締めなおし、彼らに背を向ける。
「ふん! その手にはのらん! いつも都合の良い時だけ俺を利用しやがって!」
俺はもう取り合わないぞ、と耳をふさいで、自らの机に顔を突っ伏した。
どうだ、この完璧な防御。
「それじゃ、肝心の褒め言葉も聞こえないだろう」
呆れたような副会長の声が聞こえたが、
「褒め言葉しか聞こえませーん!」
と俺が言い返せば、副会長の深いため息が聞こえた。
「さて、どうしますぅ?」
「全校生徒から、褒め上手を探して連れてくるしかあるまい」
「それ、いい」
俺は、三人の作戦会議に聞き耳を立てる。
ふん、出来るものならやってみろ。俺のことを今更褒めてくれるようなやつなど、この学校にいるものか。
完全にひねくれた俺のことなど、もちろん三人が気にするはずもなく、三人は会話を続ける。
「誰か、そういうやつを知ってるか?」
「わたしぃ、ちょっと伝手があるんで、呼び出してみましょうかぁ?」
「すごい」
「人脈が広いな」
「えっへへ~! そうでしょう、そうでしょう! 最近、わたしのクラスに転入してきた子なんですけどぉ、すっごく良い子なんですぅ」
ふん、転入生に俺の何が分かる!
俺は心の中で悪態を吐く。
「可愛いしぃ、優しくてぇ、気遣いも出来てぇ、ザ・女の子! って感じの子なんですけどぉ」
「良いじゃないか、会長の好みドンピシャだ」
「会長、可愛い子、好き」
「おい! そこ! うるさいぞ!!」
「じゃ、ちょっと探してきま~す!」
俺のツッコミは華麗にスルーした書記が、生徒会室を出ていった音だけがやけに耳についた。
俺がゆっくりと顔を上げると、残った二人はこちらを見てニヤニヤとほほ笑んでいる。
次の瞬間。
「なっ!?」
俺は二人に両腕を掴まれ、そのまま椅子から引きずり降ろされた。
「貴様ら! ずるいぞ! 二対一とは姑息な!!」
「まーまー、とりあえず、どっかに隠れてもらわないとな」
「はぁ?」
「状況、大事」
おそらく、会長である俺が目の前にいては、褒める方も褒めにくい、ということだろう。
なるほど、それは一理ある。
俺が自らたてた推測に一人納得したのを、二人は見逃さない。手早く俺をロッカーの中へと押し込めると、そのままバタンと扉を閉めた。
とても日本の至宝と呼ばれてもおかしくないような俺に対する扱いとは思えないが、それも褒められるためには仕方あるまい。
心の広い俺は、彼らの愚行でさえも許してしまうのだ!
こうして俺がロッカーに閉じ込められてから、どれくらいの時間が経っただろうか。
ガチャン、と生徒会室の扉が開け放たれた音がして、俺は思わず身を固めた。
「こんにちは」
柔らかな、鳥のさえずりのような、いや、鈴の音のような……花が開くような可愛らしい声色に、俺の鼓動がドクンと跳ねる。
俺はロッカーの隙間からなんとか様子を覗こうと目を凝らすが、周りにいる生徒会メンバーが邪魔で肝心の女子生徒の姿はよく見えない。
「あれぇ? 会長はぁ?」
「席を外してもらった。本人を目の前にしては、言いにくいこともあるだろう」
不思議そうな書記の声と、さらりと口から出まかせを言う副会長。ロッカーの隙間から、ブンブンと首を大きく縦に振る経理の姿も見える。
「なるほどぉ。さすが副会長ですねぇ」
納得したのか、書記はポンと手を打った。
「えっと、私は何をお手伝いすればいいのかな?」
少しだけ不安そうな、緊張をはらんだ声が、彼女が間違いなく美少女であることを確定づける。
いきなり連れてこられてかわいそうに……。まだこの学校にも慣れていないだろうに。
「まま、細かいことはいいからいいからぁ! まずは座ってぇ。お茶飲む?」
「わぁっ! ありがとう。ふふ、いただきます」
書記に促されて生徒会室のソファーに全員が腰かけたことにより、ようやく俺の視界に件の女子生徒の姿が映りこんだ。
艶のある美しい髪が肩のあたりでふわりと体にそっている。髪の隙間から覗くぱっちりとした瞳は夜空色。透明感のある肌に、まだ少し幼さを残した頬の柔らかそうな輪郭が、彼女の愛らしさを一層引き立てている。唇は薄く桜色に色づいていて、整えられた眉は少し垂れ下がっているように見えた。
――好きだ。
雷に打たれたような衝撃に、俺は思わずロッカーから出てしまいそうになる。だが、ここで俺がロッカーから飛び出してしまってはすべてが水の泡。
これから、彼女が、あの可愛らしい顔を照れたようにほんのりと赤く染め、俺のことを褒めてくれるに違いないのだ。何も知らず、誰かに言わされるわけでもなく、彼女自身が思ったままに、素直に。
たまにはあいつらも、良いことをするじゃないか。
俺はバクバクと高鳴る鼓動をなんとか必死に押さえつけて、その時を今か、今かと待った。
俺が待っていることを知ってか知らずか、彼女の簡単な自己紹介の後、どうでもいい与太話が進められていく。早くしろ、と言いたいところだが、もはや、あの子がいれば、俺は、それ以上何も望むまい。
「でねぇ、会長ってば、ほんと人使いが荒いんだよぉ」
いつの間にか、与太話は愚痴に変わっていっているが、俺はもう仏の心で全てを聞き流す。彼女が褒めてくれるまでの辛抱だ。ちょっとやそっとの愚痴くらい、彼女からの褒め言葉を聞くためだと思えばなんてことはない。
「あぁ、本当に。いつも、俺も良いところで邪魔されるんだ」
「時々、うるさい」
我慢だ、俺……。
「子供っぽいところもありますよねぇ! なんとかなんないのかなぁ」
我慢、我慢……!!
俺は震える拳をなんとかもう一方の手でぎゅっと抑え込んでその時を待つ。
だが、わざとなのか、それとも本当に俺がいることをすっかり忘れてしまったのか、三人の愚痴は止まるところを知らない。
俺がロッカーを開けようとしたその瞬間、
「あの」
と柔らかな、春風のような温かな彼女の声が、三人の愚痴を止めた。
「私は、会長のこと、すごく素敵な方だと思います」
体中の血液が、ぶわりとすさまじい勢いで駆け巡っていくような感覚が俺を襲う。
「本当か!?」
「会長、思ってるよりポンコツだよぉ?」
「偉くないとき、ある」
「もちろん、転入してきたばかりで、知らない一面もたくさんあると思いますが……。転入する前からお噂は聞いてましたし、それに、転校してきた初日、生徒会長が全校集会で話されているのを見て、みんなに思いやりがあって、一生懸命で、キラキラした人だなって思ったんです」
だから、と彼女は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「今日は、私の知らない会長のお話を伺えて、すごく楽しいです。会長にも、そういう一面があるんだって知れて、もっと親しみがわきました! 可愛らしいところもあって……ってこれは、失礼でしょうか? すっごくかっこよくて頼りになる方だって思っていたので、お話を聞いて、私も、生徒会で会長を助けられたら楽しいだろうなって……」
変ですかね、とはにかむ彼女の姿に、俺の中で何かが弾けた。
これが、ビックバン……。
バンッ! と力強くロッカーを開け放つと、驚いたように四人が一斉に俺を見つめた。
「会長! まだ出てきちゃだめだろ!」
「うるさい! これだけ言われて黙ってられるか!」
「会長、我慢」
「そうですよぉ、良いところだったのにぃ」
ブーブーと文句を垂れる三人とは対照的に、ただ一人状況が飲み込めていない彼女は俺をしばらく見つめた後、湯気が出てしまうのではないか、と思うほどに顔を真っ赤に染める。
顔を覆わんとする彼女の両手を、俺は慌てて掴む。華奢な腕、ふわりと漂う石鹸の甘い香り。
「どうして顔を隠すんだい? 君の、可愛い顔をもっとよく見せてくれ」
決め顔である王子様スマイルを全力でふりまけば、彼女はブンブンと大きく首を横に振る。
「憧れの会長の前で、そんなっ……私、恥ずかしいです……!」
パァンッ!
俺の心臓を貫く銃声が聞こえた気がした。
あぁ、なんと。愛しき乙女の恥じらいよ、素晴らしきかな。わが人生。
「採用!!」
「へ?」
「採用だ!! 今から君を、生徒会のメンバーとする!」
俺が高らかに宣言すると、彼女も、そして周囲の三人もポカンと俺を見つめた。
「あのぉ、会長? 今は特に、役職に空きはありませんけどぉ」
「誰か、クビ?」
「おい、俺を見るな! 副会長だぞ!」
俺は、まぁまぁ、と全員を落ち着けて、改めて宣言する。
「今日から生徒会に、新たな役職を新設する!」
「新たな」
「役職?」
「はぁい! 会長、それは一体なんでしょうかぁ」
だらしなく手を上げる書記に、俺はふっと笑みを浮かべ、握ったままだった目の前の女子生徒の手を放す。
ほんのりと赤く染まった頬。
美しい夜空色の瞳が、俺を映して、静かに揺れていた。
「今日から君は、生徒会長専属褒め係だ!」
「生徒会長」
「専属」
「褒めがかりぃ?」
彼女もつられてキョトンと首をかしげた。その愛らしい仕草に、俺は再び心臓をひと突きされるが、まだ決め台詞が残っている。
こんなところで物語を終わらせるわけにはいかない!
「早速君に、仕事を与えよう」
「仕事、ですか?」
彼女は緊張と期待を混ぜ合わせたような、キラキラとした瞳を向ける。
俺は満面の笑みを浮かべて、再び彼女の手を取った。
生徒会メンバーは、ゴクリと固唾をのんで俺たちを見守る。
「さぁ、思う存分、俺を褒めてくれたまえ!」
新たな出会いを告げる風が、俺と彼女の間を柔らかに通り過ぎた。




