第九話 体験したことのない甘美
少女の世界とは『お屋敷』が全てだった。広く、頑丈で、優しく、安全な箱庭。
だからこそ。
『湖』を眺めてきたので知識としては知っていたとしても、体験したことのない未知に世界は溢れていた。
ーーー☆ーーー
アヴァロン、その首都の南部。
曇天が目立つ天気模様の中、数多くの飲食店がひしめく『食堂通り』では多種多様な呼び込みが展開されていた。
タレ付き焼肉の匂いを増幅して食欲を刺激するところもあれば、料理の映像を虚空に映し出すところもあり、何ならド派手に爆発やら閃光をぶっ放つなど魔法を用いた呼び込みは多様を極めている。
その中の一つ。
甘味処『ホワイトスイートレイン』。その呼び込みを行っているのはシフォンという女だった。
白を基調としたメイド服姿のシフォンは右手にボウルを抱え、左手の泡立て器でカシャカシャと中身をかき混ぜながら踊るように舞う。
踊りに合わせて泡立て器が振り上げられ、ぐぃーん! と真っ白な泡が伸びる。
激しく泡立て器が動き、真っ白な泡──ホイップクリームが後に続く。気がつけば複数の花を模した『ホイップクリーム』が踊るシフォンの周囲に浮かんでいた。
シフォンが扱う魔法は粘性の増幅。
ホイップクリームの粘性を増幅して飴細工のように花の形を作れるようにしたのもそうだし、それらが宙に浮かんでいるのも空気の粘性を増幅することでホイップクリームを浮かばせているのだ。
あくまで食べられる程度の粘性であり、浮かばせられるのだってホイップクリームのような軽いもの限定なので魔法使いとしては初心者に毛が生えた程度だが。
とはいえ、人を魅了するのに魔法の技量なんて関係ない。現にシフォンの『客引き』に反応して多くの人が足を止める。注目を集めている。後は踊りの合間に甘味処『ホワイトスイートレイン』の宣伝をすればいいだけだ。
それがシフォンの日常だったのだが、今日はいつもとは違った。
「ほわあ。すごいすっごいっ」
ぴょんぴょんと跳ねながら感嘆の声を上げる金髪黒目の少女だった。シフォンよりも何歳か年下だろう彼女は絵本の中から飛び出してきたかのような幻想的な美しさを纏っている。
黒地に金の刺繍が施されたマントを羽織った彼女はおそらく本心から凄いと言っているのだろうが、『凄さ』で言えば少女のほうが遥かに高みに君臨している。
そう、ただその場に存在するだけで人の目を集める幻想的な魔性。はっきり言おう。金髪黒目の少女がただこの場に存在するだけでシフォンの『客引き』が霞んでしまっていた。
「そうも喜んでもらえるとは恐悦至極。どうぞ、これはせめてものお礼。受け取ってください」
そう言ってシフォンは周囲に浮かばせていたホイップクリームの造形の一つである薔薇細工をちょんっと指で弾く。ゆらゆらと少女の目の前まで届ける。
「わっわっ。いいの、こんなすごいのもらっちゃってっ。あの、私お金ってヤツ持ってないよ!?」
「ええ、構いません。お礼ですから」
だからさっさとこの場からいなくなって『客引き』の邪魔だから、という本音を甘く包んでの行動だが、果たして少女には伝わっていたのか。
まるで宝物のように白い薔薇のクリーム細工を両手で包み込むように持つ少女。その純粋なまでの喜びようにシフォンは一つ息を吐く。
彼女も商売なので絆されることはないにしても、少女自身に悪気がないのはわかっている。なのでこうして喜んでもらえるのは素直に嬉しいものだ。
せめて営業時間外に出会っていれば何の憂いもなく称賛の声を受け取れたものだが。
「これ『湖』で見たことある。クリーム。甘いもの、ってヤツだよね。生きるために魔力をお腹にためるのと違って、娯楽としての側面もあるとかっ」
何やら独特の表現だった。
幻想的な容姿も伴ってどこか箱入りのお姫様を連想させる。
しばらくキラキラとした目で薔薇のクリーム細工を見つめていた少女だが、やがて勢いよくかぶりつく。
ぶるっ、とその全身が震え、『んーっ!!』と唸り、上空を見上げるように背筋をぴんと伸ばす。
「すごい、やっぱりすごいっ。頭がぎゅって、ぎゅーってくるっ。これが甘い、ううん美味しいってヤツなんだねっ。すごいすごいすっごーいっ!!」
それはもう大げさなまでの喜びようだった。まるで甘味を知らない人間が初めて甘いものを口にしたように。
ただでさえ幻想的で周囲の注目を集める少女が全身で喜びを表現しているのだ。それを見た通行人たちが何だ何だと集まってくる。
それを見逃すほどシフォンはボケていなかった。
「『ホワイトスイートレイン』自慢のホイップクリーム、どうでしたか?」
「すごかったっ!!」
少女に話しかけるようでいて、周囲の人間へと宣伝していく。こうして興味を持ってくれた人たちに改めて声をかけて『客引き』を行っていく。
結果、一時間で一日分の客を呼び込むことができたというのだから、神秘的な少女様々であった。
ーーー☆ーーー
シフォンとしては複雑だったが、金髪黒目の少女を介した宣伝は効果的だった。
ド派手に爆発やら閃光やらぶっ放しても注目すらされない同業者たちが歯噛みするほどに。
と、その時だ。
「なんだなんだぁっ。邪魔くせーな、おいっ!」
「何ジロジロ見てんだ見せもんじゃねえぞ!!」
「『スカイサーベル』のお通りだコラァ! 七十二組のSランクパーティーを除けば最強のAランクパーティーだぞお!! 怪我したくなかったらどけろどけろお!!」
柄の悪い集団だった。
十人ほどの腰にサーベルを差した屈強な男たちが当たり散らすように叫びながらシフォンたちへと近づいてくる。
幻想的な少女に集まっていた人たちがわかりやすい騒動のタネを前にして後ずさりしていく。
リーダー格なのか、逆立った魔獣の毛皮でつくられたコートを羽織り、左の頬肉が抉れて歯茎が見えている二十代前半の男がわざとらしく威圧的に声をあげる。
「よおよお。天下の往来で随分とまあ人を集めちゃってくれてんなァ。『客引き』にも限度ってもんがある。通行の邪魔になるような、ハッ、善良にして勤勉なる皆々様の迷惑になるようなことは即刻やめるべきだとは思わねーか、あァん?」
「通行の邪魔? 確かに人が集まってはいますが、通りを埋めているほどではありません。責められるいわれはないと思うのですが」
シフォンの言う通りだった。
確かに人は集まっているが、通行の邪魔になるようなものではない。『客引き』のためなら時としてパレードくらい平気でやらかす連中が集まった『食堂通り』においては許容範囲内と言えるだろう。
だが、
「あァん!? 俺が間違ってるってのか、あァ!!」
「っ」
「なぁメイドさんよ。俺が、やめろっつってんだ。だったらさっさとやめるのが常識だろうがあァん!?」
ぐいっと胸ぐらを掴むリーダー格の男。
十人ほどの手下たちが口々に煽るような声をあげる。
集まった人たちの何人かが騎士の詰所に走っていたが、騎士が駆けつけるまでにどれだけかかるのか。それまで、柄の悪い連中が大人しくしている保証はない。
「っつーか、なんだって今日はこんなに宣伝うまくいってんだ? いつもは大した効果ねえってのに」
「この女いっつも飽きもせずくねくねーって売女みてーに男ぉ誘ってたよなー。『ホワイトスイートレイン』をよろしくーって。どうせ甘いもの売るならてめーのたわわに実ったもん売ったほうがよっぽどマシってもんだよなぁ!!」
「しゃーないな。俺がお前さんを買ってやるよ。だから『客引き』なんてやめて俺の胸に飛び込むことだな!」
「なんでキメ顔なんだよ気持ち悪いなっ」
「はっはははは!!」
悪意に満ちていた。
好き勝手に言われても、しかし屈強な男たちを前にして言い返すだけの勇気はなかった。
足は震えて、視界は涙で歪んでいて。
それでも、その瞳を逸らすことだけはせずに。
意地を張っても良いことはないとわかっていても、こんな奴らに完全に屈することだけは──
「なんだその目は? 文句でもあるのか、あァん!?」
「……っ!!」
屈したく、ないのに。
凄まれ、睨まれただけで、目を逸らしそうになる。
怖い。
怖いに決まっていた。
シフォンは普通の女の子だ。魔法が使えるといっても初心者に毛が生えた程度だし、武術などを習っているわけでもない。男と喧嘩になれば即座に殴り飛ばされて終わりだ。
だから。
だから。
だから。
「文句? あるよ」
声が、響く。
幻想的な少女。今までで一番客を引き寄せた金髪黒目の少女がシフォンの胸ぐらを掴む男へと歩み寄るところだった。
無防備に、真っ直ぐに。
左頬が抉れた男を見つめる。
「弱いものいじめ、ダメなんだからねっ」
瞬間。
シフォンの胸ぐらを掴む腕が真上に弾かれた。




