第八話 牢獄から旅立とう
親戚の子供におっさんと呼ばれるくらいには歳を重ねるまで牢番を続けてきたラングは困惑していた。
王都の地下深く。
『ここ』は表沙汰にできない罪人……ということになっている者が収容される牢である。
『ここ』にはこれまでも多くの『大物』が収容されていた。
未だに命令すれば周囲が傅くと思っている根っからの特権階級、正義は己にありと高らかに叫ぶ革命家気取り、奴隷も人間として認めるべきだと民衆を誘導しようとした新聞記者なんてものもいたか。
だが、誰も彼も心の奥底ではわかっていた。『ここ』に連れてこられた時点でもう終わりだということに。
その証拠に最後の最後、誰も彼もが叫ぶのだ。助けて、と。
そう、『ここ』は終端。
表沙汰にできない──支配者にとって都合の悪い者たちの処遇が決まるまで収容する牢獄である。
とはいえ、『ここ』に収容された者は一人の例外もなく秘密裏に殺されているが。
だというのに、だ。
「ぐーすぴー……むにゃふにゃ」
「なんでこのガキ、余裕たっぷりなんだ?」
爆睡である。
虚勢を張るのでもなく、衰弱して眠りに落ちたのでもなく、ごくごく自然に眠っていた。
「むにゃー……。お母さんの魔力はーやっぱりお腹にたまるねー……むにゃむにゅう」
黒地に金の刺繍が走ったマントを毛布代わりにかぶった金髪黒目の──マーブルと名乗った五体満足の少女は寝言まで漏らしていた。
……ちなみに、寝る時にはいつもそうしているからと脱ぎ始めたのをなんとか説得して今の形に落ち着いていたりする。
と、その時だ。
ぴくっ、と眉を動かした少女が身体を起こす。その目には眠気の一切が拭い去られている。驚くほど瞬時に覚醒したということか。
「あ、きたきた」
「来たって、何が?」
「ウルフさんだよ」
ウルフ、と少女は口にした。
有名どころであれば騎士団長ウルフ=グランドエンドが挙げられるが、流石に表沙汰にできない罪人ということになっている少女へと騎士団長のほうから訪ねてくるとは思えなかった。
上層部の中では比較的真っ当な騎士団長が『ここ』を利用することは滅多にないし、『ここ』を利用しなければならないほど政治的に扱いに困る凶悪犯が相手ならラングに命じて始末している。
ラングへの命令がない以上、騎士団長が関わっているとは思えなかったが──少女の言う通り、扉を開けて入ってきたのは騎士団長ウルフ=グランドエンドだった。
「お前っ、何しに来たんだ?」
「何って、嬢ちゃんを迎えにだな」
「迎えに、って……処分するなら『ここ』で俺がやっておくが」
「嬢ちゃんはそういうのじゃないんだ。俺様の立場上仕方なく『ここ』にいてもらったんだよ」
そう告げた騎士団長ウルフ=グランドエンドは牢の中の少女へと視線を向ける。
「結局一日かけてしまったな。嬢ちゃんを始末するべきだとギャーギャー喚く殿下を説得するのに療養中の王様まで引っ張り出すことになったが、もう大丈夫だ。嬢ちゃんを何かしらの罪に問うことはないとここに宣言しよう」
「ええと、つまり自由ってこと?」
「そうだな。もうこんなところに閉じ込めるのはやめだ」
吐き捨て、鉄格子を腕の一振りで粘土のようにひしゃげさせ、人が通り抜けられるだけの隙間をつくる騎士団長。
「迷惑かけて悪かったな」
「迷惑? かけられた覚えはないけど、まあ気にしないでいいよ。それより私旅に出ないとだから、じゃあねっ」
そう言って、マーブルは手を振りながら軽やかな足取りでウルフがこじ開けた隙間を通り、『ここ』から去っていった。
少女がいなくなってから、ラングはサラッと牢を壊しやがった上司を非難するように睨む。
「それ、誰が直すとお思いで?」
「格好つけるためだ、許せ」
「はぁ。お前は騎士団長になっても、大陸最強の最有力候補とチヤホヤされるだけの力を身につけても、なーんにも変わらないな」
同期である男の変わらぬ姿にラングはそうぼやくしかなかった。
しかし、と。
ラングは興味深そうに少女が去っていったほうを見やる。
あのウルフ=グランドエンドが配慮していた。丁寧に、万に一つも刺激しないようにと。
「あのマーブルとかいうの、何者なんだ?」
「さあな。ただ、一つ言えるのは嬢ちゃんは俺様よりも強いってことか」
「強いって、マジか!?」
負けるのは格好悪いからと己を鍛え続け、ついには大陸最強の最有力候補にまで上りつめた生粋の負けず嫌いがここまで素直に相手のほうが強いと認めるのはラングが知る限り初めてのことだった。
勝てなかったなら勝てるまで挑めばいい、と真顔で語り、一度敗北した相手にだって最低でもその日のうちに勝利をもぎ取れるくらい『成長する』男だというのにだ。
そこで、ラングは改めて騎士団長を見つめる。見た目だけはおそらく治癒系統魔法使いに頼ることで取り繕っているのだろうが……、
「よくよく見ればズタボロだものな。皮膚だけは『取り繕って』いるが、中身は酷いもんだし。それ、マーブルにやられたのか」
「いや、これはまた別の奴にだな」
「……、マジで?」
開いた口が塞がらないラング。
大陸最強の最有力候補がダメージを受けるほどの敵はそうそういない。それが、最低でも二人。
昨日、一体何があったというのか。
「もちろんこのままで終わったりはしないがな。今日から初心に帰って鍛え直しだ!!」
「大陸最強の最有力候補とチヤホヤされるくらいには強いってのに、さらに強くなると?」
「もちろん。最低でも嬢ちゃんやキンピカ女よりも俺様のほうが強いと胸を張って言えるまでは鍛えないとな」
年甲斐もなく、恥ずかしげもなく、騎士団長はそう宣言したのだった。
ーーー☆ーーー
アヴァロンが大陸を統一できたのは『王』が存在したからに他ならない。
魔獣の大量繁殖によって滅亡寸前まで追い詰められた人類を救った初代選定の乙女の伴侶である騎士の系譜。すなわち七代目選定の乙女の伴侶である『王』は猛烈という言葉に相応しい王だった。
百年以上前の人魔戦争。軍事的に優れた複数の国家が豊富な資源が眠るとされていた悪魔の住処──『深淵』へと侵略を仕掛けたことに端を発した悪魔と人間との全面戦争。その裏には、『王』の手の物が複数の国家が『深淵』に侵略を仕掛けるよう誘導した、という噂がある。
あくまで噂ではあるが、それくらいはするだろうと思わせるほどに『王』は手段を選ばない男だった。結果的に人魔戦争は軍事的に優れた複数の国家が多大な犠牲を払いながらも悪魔を殲滅、『深淵』の征服を果たした……のだが、『深淵』には豊富な資源なんてカケラも存在しなかったという。
すなわち軍事的に優れた複数の国家は無駄に犠牲を払っただけで何の成果も得られなかった。
戦争は基本的に殺すことが目的ではなく『奪う』ことが目的だ。いかに敵国に勝ったところで、利益よりも損失が大きければ負けたも同然なのだ。
そういう意味では、複数の国家は見事に敗北したと言える。そこを、立地的に『深淵』とは遠く離れているため直接的に人魔戦争に参加していなかったアヴァロンは突いた。人魔戦争が終わってすぐに複数の国家に戦争を仕掛け、勝利を収めたのだ。
残った国々は有名どころが見事に敗北したためにほとんどが降伏、従順であることを示すためにアヴァロンに降伏しなかった国へと戦争を仕掛けたという。……実際は、軍事的に優れた複数の国家を攻め滅ぼした時点でアヴァロンの兵力はないに等しいまで消耗していたというのに。
そうしてアヴァロンは大陸を統一した。
一人の『王』──選定の乙女に選ばれた伴侶の力によって。
「これも良い機会だ。第一王子との婚約、破棄するのも一興であるな」
ヴィーヴィ公爵家、本邸。
首都の中心近くに堂々と君臨する豪勢な建物の一室では椅子に腰掛けた中年の男が何でもなさそうな調子でとんでもないことを言っていた。
「お父様っ。流石にそれは公爵家の立場を悪くするのではっ!?」
対面に座すミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢が腰を浮かせて叫ぶが、お父様と呼ばれた中年の男は全く意に介していなかった。
ラグラーン=ヴィーヴィ。
ヴィーヴィ公爵家当主は言う。
「第一王子自ら婚約破棄と騒いだのであるぞ。王族の命には素直に従うのが臣下の役目というものである」
「ですがっ」
「それに、中々に面白い話を聞かせてもらったであるからな」
「面白い……???」
「ミーリュア」
じっと。
見定めるように娘を見据えた公爵家当主はこう続けた。
「これは公爵家当主である俺の決定である。第一王子との婚約は破棄された、このことを念頭に過ごすのであるぞ」
どこか遠回しな言葉だった。
わざわざ懇切丁寧に説明する気はないらしく、また公爵令嬢、そして第一王子の婚約者としての全ての予定の中止まで告げられる始末。
今からは好きなように過ごせ、と。
そう締めくくった当主は追い出すようにミーリュアに退室を命ずるのだった。
ーーー☆ーーー
一人部屋に残った当主は忌々しそうに舌打ちをこぼす。
「選定の乙女の伴侶、であるか。世間一般では勘違いされているが、伴侶とは実際に結婚した相手を指す言葉ではない。選定の乙女が最も認めた相棒を指す言葉である」
それは王族や当事者といったほんの一部しか知り得ない情報だった。
百年の戦乱なき平穏によって平和ボケした王族は選定の乙女を権力増強の道具としてしか見ていないので、民衆の大半が勘違いしているならそれで十分利用できると第一王子とミーリュアとの婚約を進めていたものだが──公爵家当主はそこまでボケていない。
「そういう観点では別に第一王子と結婚したところで時がくれば相応しい『伴侶』と出会うものだったが、身軽になれるならなれたほうがいいものである。下手に縛られて、本来の『伴侶』に気づけないなんてことにならないように」
犠牲は覚悟するべきだ。
それでもこうして娘を自由にするチャンスが巡ってきた以上、父親としての役割を果たすべきだ。
何のきっかけもなく王命に逆らえるほどの力がなかったためにミーリュアと第一王子の婚約を認めるしかなかったが、本来選定の乙女は権力増強のために使い潰していいものではない。
形式上、九代目選定の乙女と結婚してはいるが、『伴侶』ではない公爵家当主は妻の親友にして今は亡き『あいつ』の姿を思い出して忌々しげに、それでいて誇らしげに鼻を鳴らす。
「ミーリュア。選定の乙女として『脅威』に挑むべき英傑を探し出すのであるぞ。それが、水面下で進行しているであろう『脅威』を粉砕することに繋がるのであるから」
滅亡したとされるサキュバスが現れるなど、もう『脅威』の片鱗は見え隠れしている。一刻の猶予もないと、そう考えるべきなのだから。