第三話 悪いことよりも楽しいことを
アヴァロンが大陸を統一して百年を祝うパーティーは主城の上層部の大広間で行われていた。かつての人魔戦争の名残りで強固に作られている主城の壁へと不可視の一撃が襲いかかり、紙でも破るように軽々と粉砕する。
「マーブルっ、大丈夫ですか!?」
あまりの威力にミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢が悲鳴のような声を上げるが──不可視の一撃を受けて上半身を弾かれるようにのけぞらせた『だけ』のマーブルはニコッと笑顔を浮かべて手を振る余裕があった。
主城の壁を砕くほどの不可視の一撃をまともに受けたというのに、だ。
「大丈夫だいじょーぶっ。あ、でもお姉さんにとっては危ない感じだから近づかないでね?」
「随分と余裕だな。空気を操る俺様の魔法は大したことなかったか?」
「ううん。さっきの騎士の人たちよりもずっと凄かったよ」
だけど、と。
なんでもなさそうに体勢を立て直して、血を流すこともなく調子を確かめるように首を回す少女はこう続けた。
「お母様やお母さんのほうがもっともっともおーっと凄いからね!! 二人に育てられた私が負ける理由はないよ」
「そうか」
呟き、そこで終わらない。
伝説の三人の魔女と並び大陸最強の候補に上がるほどの実力者である騎士団長ウルフ=グランドエンドは獰猛なる笑みを深くする。
「では、手加減はやめにしよう」
ゴッッッア!!!! と。
少女を取り囲むように空気が渦巻く。
不可視の檻。先程少女を襲ったものとは比べ物にならない力が宿っているが、それ自体は攻撃のためのものでもなければ閉じこめるためのものでもない。
「魔法の基本は増幅だ。俺様はさらに選別を付加できる」
「んー?」
「空気は多種多様な性質を持つ因子が混ざり合って形をなしている。そして、その因子を俺様は選別した上で増幅できるということだ」
例えば、と。
騎士団長ウルフ=グランドエンドは獰猛を笑い、こう告げた。
「空気の中から衝撃を加えると燃焼・爆発するという性質を持つ因子だけを選別し、増幅するなどなあ!!」
言下に不可視の檻が渦巻きながら迫り──床を削るようにぶつかった瞬間散った火花に反応して起爆した。
ーーー☆ーーー
それは地形さえも変えかねない爆発であった。
ーーー☆ーーー
その一撃は騎士団長ウルフ=グランドエンドでもってしても完全に封じ込めることはできなかった。
周囲には第一王子をはじめとしてパーティーに参加しているお偉方がいる、ということくらいは正常に判断できたので、騎士団長は炸裂した爆風をさらに外側から魔法で強化した空気で覆い、その上であえて一点のみに穴を開けておいた。
そうすることで爆風はその穴へと逃げていく。そう、最初の一撃でウルフがぶち抜いた壁の穴の方向へと導かれるように。
そうして爆風は主城の外へと突き抜けていった。ある程度方向性を調整しており、また爆心地が首都でも最も高い主城の上層部であって、それでも──その余波は城下町に多大なる被害をもたらした。
窓ガラスは割れ、建物が軋む。中には屋根が剥がれた建物もあったほど。死人が出なかったのが奇跡的であった。
余波でさえも、それほどの威力。
まともに受けた少女がどうなったかなど語るまでもない。
「くっくっ」
笑う。
「くっはっはっ!」
笑って、笑って、君臨する。
「はーっはっはっはあ!! これは、くっははっ、なるほど、そうか、はっはっはあ!! なあ、嬢ちゃん、何者だあ!?」
騎士団長の視線の先では黒と金のマントを羽織った少女が一歩踏み出すところだった。
余波、それも上空からのものであっても城下町に多大なる被害を与えた爆撃をまともに受けたというのに傷一つない少女が、だ。
その少女は笑っていた。
笑って、爆風を無闇にばら撒かないために少女を覆っていた空気の壁を横に振るった腕で吹き散らす。
一点から逃がす構図とはいえ地形破壊も可能な爆撃を受けても健在な空気の壁だろうともお構いなしに。
「何者って、さっき私の名前呼んでいたのにもう忘れたの? 私は、マーブルだよ、ウルフさん」
ゆっくりと、区切って、言い聞かせるような声だった。その間にもマーブルは歩を進める。慌てることなく、一歩ずつ。
「くっくっ、本当に参ったものだ。よもやこんなところで死を覚悟することになろうとは!!」
嘆くように叫びながらも、無抵抗なままやられたりはしない。騎士団長の矜恃が最後まで立ち向かうことを選ぶ。
例えば、圧縮空気の一点を解放、射出することによる刺突。
例えば、空気の成分を選別、高濃度によっては人体に悪影響を与える性質を持つ因子を増幅、少女が息を吸う瞬間に叩き込み。
例えば、少女の体内の空気を魔法的に支配、内側からズタズタに引き裂こうとして。
──その全てが笑顔で封殺される。
圧縮空気を掌で受け止め、人体に悪影響を与えて即死させるはずの成分を体内で分解し、体内で暴れる空気を筋肉の伸縮だけでねじ伏せる。
どれもこれも必殺のはずだった。騎士団長ウルフ=グランドエンドが力を振るえばどんな強者も屈服するのが常識だった。
大陸最強は誰だ? と人々に尋ねれば、半数以上がウルフ=グランドエンドを選ぶほどなのだから。
なのに、どうだ。
その彼が振るうことごとくを少女はなんでもなさそうに封殺する。まさしくそよ風の中を歩くように。
やがて、少女はウルフの目の前に立っていた。あくまで笑顔で、散歩でもするような気軽さで。
「く、くっくっくっ。俺様もまだまだ修行が足りないな」
「そんなに自分を卑下することないって。操られていたら、誰だって本領は発揮できないだろうし」
「な、に?」
「これは私の予想でしかないけど、『本当の』ウルフさんだったらもっと粘っていたと思うよ。というか、蔓延る悪意に気づくことができたはずだし私なんかに構っていなかったかも?」
「待て、何を言っている!?」
「私、第一王子って人にとはいえちゃんと言ったのにウルフさん全然気にしてないからなぁ。多分いくら説明しても理解できないよう歪められるだけだよ」
そこまで言った少女はもうウルフ=グランドエンドを見ていなかった。その奥。先程殴り飛ばしたので壁に寄りかかるように座り込んでいる女を見据えてマーブルはこう続けたのだ。
「騎士の人たちやウルフさん、第一王子って人とか他にも色々と操っているようだけど、誰をぶつけても私には勝てないよ。だからさ、いい加減自分でかかってきたらどう?」
その言葉に、壁に座り込んでいた女が立ち上がる。
アイア=ハニーレック男爵令嬢。
マーブルが最初に殴り飛ばした女が。
ーーー☆ーーー
その女の正体についてはすでにマーブルは口に出している。サキュバス。男を誘惑して意のままに操る悪魔の一種。
かつて大陸で勃発した人魔戦争にて滅亡にまで追い込まれたとされる悪魔はニタニタと口元を歪めていた。
ずるり、と。
愛らしい令嬢という輪郭が、崩れる。
ぎゅるん!! とふんわりとした髪に心地よさを感じさせる柔らかな瞳。第一王子が彼女を気に入るのも納得の愛らしい女という輪郭が溶けて、渦巻き、そして変質する。
気がついた時には、もう、愛らしい男爵令嬢なんてどこにもいなかった。そこに立っていたのはまさしく悪魔であった。
頭から逆巻くツノが二つ、背中からは蝙蝠のような羽を生やし、お尻から伸びた先端がハート型の尻尾を揺れ動かすその女はまさしくサキュバス。
深い青の髪をかき上げて、あくまで外見的には十代後半に見えるサキュバスは言う。
「アンタ、何者?」
「だーかーらー、マーブルだってっ」
「第一王子直属の騎士たちや騎士団長ウルフ=グランドエンドをぶつけても倒せない奴がこの大陸にいるなんてねえ。しかも一目でアタシの正体を看破していたし悪魔、だったらアタシが知らないわけないから魔女ってヤツ?」
「人間だよっ」
「……、アタシも人間についてそこまで詳しいわけじゃないけど、普通の人間ってのは魔力の刃を食ったり地形破壊も可能な爆撃を無傷で受け切れるものじゃないと思うけど」
「お母様とお母さんに鍛え上げられたからねっ!!」
マーブルの返答に、サキュバスは鼻で笑うだけだった。
「ま、なんでもいいけど。ねえマーブル。アタシはただ世界を正常に戻したいだけなのよ」
「んー?」
「かつて、アタシが生まれるよりもずっと昔に悪魔は人間に大陸のほとんどを譲り渡した。このまま戦争が続けば軟弱なくせに強欲で諦めの悪い人間を殺し尽くしてしまうからって理由でねっ! そんな理由でよ、弱い連中を生かすためにどうして強いアタシたちが日陰で隠れて生きないといけないわけ!? こんなの間違っている。弱者は強者に搾取されるのが、弱肉強食こそが正しいあり方なのよっ。だから、取り戻す。サキュバスという性質を底上げするだけで意のままとなる連中を操り、人間の軟弱さを思い知らせた上でこの世界を正常に戻す!! その邪魔をするならなんだって殺す!! 殺すしかないのよねえ!!」
「ええっと」
困ったように頬を掻いて。
憎悪に満ちたサキュバスに対して少女はこう返した。
「よくわからないけど、誰かの意思を歪めるのは悪いことだからやっつけるね」
「……、あ?」
「でも、さ。もしもサキュバスが困っているなら力を貸すよ。長々と並べないと正当化できない悪いことには協力できないけど、サキュバスが心の底から笑えるよう手伝うことならいくらだって協力できる」
だから、と。
少女は拳を握りしめて、笑顔を浮かべて、迷うことなくこう言い放った。
「こんなつまんないことはさっさと終わらせて、もっと楽しいことしようよっ!!」
抵抗はあったのだろう。その全てを無視して、少女の拳が飛ぶ。
決着まで十秒も必要なかった。