第二十話 破滅、あるいは
まるで落ち葉が風に飛ばされるように、二百近い魔獣が吹き飛んでいく。十メートルクラスの魔獣だろうが関係なく、平等に。
それでいて、赤が目につかないのだ。
ダメージは受けているし、意識を寸断されてはいるが、致命傷は受けていない。まさしく『喧嘩』で済ませていた。
二百近い魔獣、それも下は一メートル程度で上は十メートル以上と体躯は元より実力だってばらつきがあるだろうに、その全てを倒す『だけ』で済ませるというのだから規格外にもほどがあった。
これが、マーブル。
その真髄を見据えてサキュバスは悔しそうに舌打ちをこぼす。一瞬でも『みんな』よりも凄いのではと脳裏によぎったのが心底悔しかった。
(何はともあれ、よ。これで魔女エレインに従う必要はなくなった)
魔女エレインは魔法を支配する『深化』を用いてサキュバスの契約魔法を好きに扱っていた。
『魔女の三姉妹には危害を加えない』
『首都に投下された魔獣を操って人間を殺せ』
この二つが魔女エレインから強制的に結ばされた約束である。一つ目はともかく、二つ目は現在首都に蔓延る魔獣を倒した上で魔女エレインが新たに魔獣が投下しなければ従うことはできなくなる。
つまり、マーブルに魔女エレインと全魔獣を倒してもらえば一時的とはいえサキュバスは自由となる。これを一時的から永久に変えるためには最低でも魔女エレインを殺す必要があるだろうが。
……お人好しにもほどがあるマーブルに魔女エレインを始末させるのは不可能だろうが、こうして一時的とはいえ自由の身になったならばいくらでもやりようはある。
「さて、と。これで自由になれたことだし、反撃開始といくわよ」
地面に降り立ったサキュバスはどんな絡め手で自分を散々好きに使ってくれた魔女を始末するか思案していたのだが──
ぐっっっバァッッッ!!!! と。
空が、裂けた。
「あ、れは……まさか!?」
その現象は見覚えがあった。
昨日、大陸統一百周年を祝うパーティーでのことだ。マーブルが現れた時もこのように空間が引き裂かれたかのような現象が確認されている。
だから。
つまり。
トン、と。
軽い、あまりにも軽く地面に降り立つ影が一つ。空間の裂け目から飛び出し、降り立ったその影は人間の男に似ているが、致命的に違う。
赤い瞳に鋭利な耳。長く伸びた黒髪からはヤギのような角が覗いており、異様に長く鋭い爪を伸ばし、背中からはコウモリにも似た翼を生やしている。
そう、それは、サキュバスの『同類』。
人間に酷似していながらも、致命的に異なる堕落の象徴。
すなわち、悪魔。
人魔戦争にて絶滅したフリをして大陸の片隅に隠れ潜んでいる『みんな』とも違う、邪悪の化身であった。
「あ、ゼロさん」
「よっ、マーブルちゃん。とりあえずくたばってくれや」
ゾッッッン!!!! と。
マーブルの胸の中心が赤黒い靄に貫かれた。
ーーー☆ーーー
魔女モルゴース。
モルガン、エレインの姉にして『深化』──創造に至った魔女である。
ありとあらゆる性質の魔法を象徴を用いることなく生み出すことができる創造の『深化』を持つ彼女だが、三姉妹の中で直接戦闘最強は三女モルガンである。となれば、一見無敵に感じられる創造にも弱点はあるということだ。
創造の『深化』は確かに『なんでもできる』が、そのためには一定量の魔力が必要となる。具現化する性質によって必要魔力量は変化するため、いかに無限の可能性を秘めていようとも術者の持つ魔力量に応じてその幅が決められてしまうのだ。ゆえに絶対的な一を持つモルガンに直接戦闘最強の座は奪われている。
だからこそ。
理論上は『なんでもできる』魔女モルゴースは、しかし首都に住まう人々を殺す道を選んだ。そうするしか、救えないものがあったから。
しかし。
しかし、だ。
「まずいのう……」
エメラルドの瞳が驚愕に見開かれる。
空の裂け目、すなわち時空の揺らぎ。直接戦闘最強の魔女モルガンにだって不可能な異変もそうだが、問題はその後だ。
裂け目より降下した『何か』、その力の波動は魔女の三姉妹が霞むほどに膨大にして暴力的なのだ。
彼女たちが対処している『問題』、どうしようもない絶望に匹敵するくらいに。
それは、つまり、
「このままあの怪物の好きにさせては惑星に住まう生命が絶滅するぞ!!」
ーーー☆ーーー
何が起きたのか、はわかる。
だけど、受け入れられるかはまた別だ。
「う、そ」
ミーリュア=ヴィーヴィは知っていたはずだ。確かにマーブルは強い。全身が蒼に染まった女も視界を埋め尽くすほどの魔獣の群れも拳一つで薙ぎ払うほどには強いかもしれない。
だが、決して最強ではないことを、昨日だって思い知ったはずだ。
止めるべきだったのだ。
心のどこかであれだけ強いマーブルなら大丈夫だろうと、昨日のような怪物にぶつかることは早々ないだろうと、何の根拠もない希望に目を曇らせていたツケが目の前に広がっていた。
すなわち胸の中心を赤黒い靄に貫かれたマーブルが崩れ落ちる。肺や心臓、生命活動に必須となる重要な臓器を抉り貫かれたらどうなるか。死に至るのが普通である。
「マーブルっ!! 大丈夫ですか!?」
だけど、だ。
昨日だって腹部の真ん中や両腕を吹き飛ばされていた。それほどの重傷でも傷跡一つ残らず治してみせたマーブルなら何とかなるかもしれないと、この後に及んで目を曇らせかけたミーリュアは気づく。
赤黒い靄がマーブルの胸の中心、風穴の『端』に漂っていた。向こう側がくっきり見せる胸の穴は、昨日と違って塞がる気配がなかった。
「お、ねえ……さん」
「マーブルっ。大丈夫、なんですよね? 昨日のように治るんですよね、ねっ!?」
駆け寄って、少女の顔を見て、ミーリュアは背筋に悪寒が走るのを自覚していた。いつだって無邪気に笑顔を浮かべていたマーブルが苦々しげに表情を歪めていたのだ。
「ちょっと、ううん。かなり、危ないかも。自分の名前を消し去るくらい、『千の闇』最強のゼロさんは、強いもん。だから、ほら、巻き込まれる前に……お姉さんは、逃げて、よ」
「逃げてって、マーブルを置いてそんなことできるわけないじゃないですかっ!!」
そこで。
『あの』マーブルから余裕を奪った異形の男が口を開く。
「おいおいなんだか俺っちが悪者みたいじゃん。強い奴とやり合いたいからと神々の領域に攻め込んだ時とは違うんだ。今回の俺っちってば悪魔らしくもなく良い子ちゃんなんだぜえ?」
「ゼロさんが……良い子、ちゃん?」
「マーブルちゃんにまで疑わしい目で見られるのかあ。いやまあ週一でカミサマぶち殺そうとしているし仕方ないのかもしれないが、今日はいつものノリとは違うんだってえ。マーブルちゃんを女神の前に引きずり出しに来ただけなんだし、なあ」
その言葉に。
マーブルが何事か返す、その前のことだった。
だんっ!! と。
マーブルやミーリュアを庇うように一歩前に出る女が一人。
「そこまでよ」
全身を鎧で覆ったその女の声は震えていた。それでも、逃げずに立ち向かうことを選んだからこそ彼女は一歩前に出たのだ。
「なんだあ、お前?」
異形の男が煩わしそうに眉を潜める。それだけで、滲み出る力の波動を受けただけで肩を跳ね上げながらも、なお、彼女は愛用の太く長い槍を構える。
目の前の男に勝てないことなんて、分かっていた。それでも誰かが傷つけられそうになっているのならば立ち上がるのが騎士である。
例え自分よりも強き者だとしても、その背に庇うは守るべき民の一人であることに変わりはない。ゆえに彼女は恐怖に屈しそうな魂を奮い立たせて叫ぶのだ。
「アヴァロン騎士団副団長クリスフィーア=リッヒマータ、推して参るっ!!」
魔女エレインにさえも勝ち目がなかった彼女が異形の男に勝てるはずがなく、それでもその命を賭けて一人でも多くの民を救えるのならばそれが騎士だと言わんばかりに。
「だめ、……に、げてっ!!」
胸の中心を貫かれてなお副団長の心配をしているお人好しに、だからこそクリスフィーアは無言で、行動でもって示す。そういう生き方しかできないからこそ、彼女は副団長という称号を得るに至ったのだから。
そして。
そして。
そして。
「あァん!? なんだこのクソッタレな状況はっ。俺の逆転劇につまんねー横槍入れてんじゃないぞ!!」
バヂィイッ!! と。
紫電の一撃が異形の男を撃ち抜いた。




