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第一話 旅立ちの日

 

『お母様って善い神なの?』


『良いかどうかはともかく、少なくとも私様は人々から「金色の一なる光を内包する女神」などと呼ばれ、正義の象徴とされているようですわ』


 それは幼い頃の少女の記憶。


『お母さんって悪い神なの?』


『「湖」でも覗いていたでありますか? まあわらわのことを下界の有象無象は「漆黒の千なる闇を従えし邪神」などと恐れているようなので、そういうものなのでありましょう』


 善と悪。

 光と闇。


『湖』で見聞きした限りでは彼女たちはそのように定義されるらしい。


 だけど。

 彼女たちを前にして、少女は不思議そうにこう言った。


『馬鹿みたい。なんで「湖」の向こうの人たちはお母様のこともお母さんのことも知らないくせにそんな風に決めつけるのかな』


 それは幼い頃の少女の記憶。

 女神と邪神に育てられた人間の記憶である。



 ーーー☆ーーー



「よし、旅に出よう!」


 ある日の朝のことだった。


 光のごとき金髪に闇のごとき漆黒の瞳の少女マーブルはベッドから跳ね起きるように起床した瞬間、そう叫んでいた。


 ……寝る時は何も着ないスタイルなので、一糸纏わぬ姿のまま、だ。


 と、マーブルがそう宣言した瞬間、ドバァン!! と壁を砕いて飛び込んでくる影が一つ。


「マーブルちゃあーん!! 旅に出るってどういうことでありますかあーっ!!」


 それは地面まで長く長く伸びた黒髪に深淵を封じ込めたような黒目、全身に漆黒の衣を巻きつけただけの女だった。


『漆黒の千なる闇を従えし邪神』。

 人間であればその冠を口にするだけで死を招くと畏怖する絶望そのものである。


 その絶望が、真っ直ぐにマーブルへと襲いかかる。ベッドに押し倒す。至近にまで死の塊である邪神が迫っている中、金髪黒目の少女は反射的にこう返していた。


「どうもこうもないよ、お母さんっ。私もう十二歳だよ? なのに家から一歩も出たことないってのはダメなんだってっ」


「なぜであります?」


「こーゆーのを引きこもりって言って、悪いことらしいから!!」


「……また性懲りもなく『湖』を眺めていたでありますね」


『湖』。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。


 神々の領域と人間が住まう世界との境界として機能している時空の壁である。いわゆる神隠しと呼ばれる消失現象は何らかの要因で『湖』が揺らいだことで世界を区切る境界に隙間が生まれ、その隙間から世界を跨ぐことを指す。


 例えば、マーブルという少女が赤ん坊の頃に神々の領域へと迷い込んだように。


「私がどうこう言われるのはいいけど、お母様やお母さんの育て方が悪いなんて言われるのは嫌だ。だから、旅に出るんだ。止めたって絶対に出て行くんだから!!」


「わらわも、もちろん金色なあいつだってそんなことは気にしないけど……それが可愛い我が子の望みならば仕方ないでありますわね」


「それじゃあっ!!」


「ただし、いつになってもいいからちゃんと帰ってくること。いいでありますね?」


「もちろん!!」


「よろしい。では『湖』でも引き裂くでありますか。わらわのような神格はともかく、マーブルちゃんが通り抜けられる隙間くらいは何とかなるでありますからね。……いや、その前に装備を整える必要がありますね。待っているであります。確か終焉大戦の際に主神からもぎ取った槍や世界を焼き尽くす剣や絶対無敵の神の性質を模倣した鎧などがあったはずで──」


「えー。そんなあからさまな武器なんていらないよ、格好悪い。やっぱり喧嘩は拳じゃないとね!!」


「でもでもっ」


「お母さんは心配性だなぁ。大丈夫だって。私はお母様やお母さんに育ててもらったんだから、ね?」


「う、うううっ。マーブルちゃん、絶対に、絶対に絶対に絶対に! 危なくなったらすぐに帰ってくるでありますよ!?」


「はいはい、わかったって。ありがとね、お母さん」


 ぽんぽん、と邪神の頭を撫でるマーブル。世界広しと言えども『漆黒の千なる闇を従えし邪神』の頭を撫でられるのは彼女か金色の女神くらいのものだろう。



 ーーー☆ーーー



「ミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢っ。貴様との婚約はこの場で破棄させてもらう!!」


 アヴァロンの首都に聳え立つ主城でのことだった。


 アヴァロンが大陸を統一して百周年を祝う王家主催のパーティーを病に伏せている国王に代わって仕切っていた第一王子アーギア=アヴァロン=ソールフォリナが婚約者であるミーリュアを突き飛ばしてそう宣言したのだ。


 ミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢。

 キラキラと輝く銀髪に碧眼。公爵家が磨き上げた美貌の持ち主は選定の乙女としても有名であった。


 選定の乙女。

 その伴侶は世界を救うことも可能な英雄としての素質を持つ、という伝承がある。


 はじまりの選定の乙女の伴侶が魔獣によって滅亡寸前だった人類を救った騎士であったこと、その後にも多くの選定の乙女の伴侶が偉業を成し遂げたことから『乙女の血筋』にはそのような伝承が流れることになった。


 ……今代の選定の乙女であるミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢が第一王子と婚約を結んでいることから、権威の増幅のために意図して流されたものだろうが。


 そう、この婚約には権威増幅という政略的な意味があってのもの。それをわざわざ破棄する理由がミーリュアには読めなかった。


「どういう、ことですか? どうして婚約破棄などとっ!!」


「決まっている。貴様がアイア=ハニーレック男爵令嬢に嫌がらせを行ってきたからだ!!」


 そう言って、隣に立っていた令嬢を抱き寄せる第一王子。彼女こそがアイア=ハニーレック男爵令嬢だった。


 ふんわりとした髪に心地よさを感じさせる柔らかな瞳。第一王子が彼女を気に入るのも納得の愛らしい女である。


 ミーリュアも将来的には第一王子は彼女を妾にでもするのだろうとは思っていた。


 だからといって、このような展開になるなど、第一王子はここまで馬鹿であったなどと、予想できるものか。


「嫌がらせとは何のことですか?」


「ふん、言い逃れようとでもいうのか!? 貴様の悪行は全てアイアが証言してくれている!!」


 曰く、男爵令嬢の物を隠した。

 曰く、権力を盾に高圧的に罵った。

 曰く、階段から突き落とそうとした。


 その他にも嫌がらせの内容とやらが語られたが、どれも半端なものだった。公爵令嬢、それも選定の乙女として(意図的に)価値を高められているミーリュアであればそのような半端なことをせずとも男爵家そのものを潰せばいいだけだ。


「殿下、本気でわたくしがそのようなことをしたとお思いなのですか?」


「当たり前だ! アイアが涙ながらにそう語ったのだからな!!」


 統一国家アヴァロン。

 この百年安寧を維持してきたからこその弊害か。このような王子が出来上がってしまうほどに『敵』に備えて力をつける必要がなかったのだろう。


 と、そこまで考えて、ミーリュアはふと疑問に思う。


 確かに第一王子は決して優秀ではないが、『アイアが言ったから』と盲目的になるほどであったか? と。


「王子様ぁ」


 甘く。

 滑り込むように、その声は発せられた。


 アイア=ハニーレック男爵令嬢。

 第一王子の腕にすがりつき、耳元で甘く囁く。


「わたしぃ、怖い。助けてぇ」


「アイアっ。もちろんだとも!! あんな悪女は俺の手でさっさと処分してくれるからなっ!!」


 それは、まるで、愛で人を絡めて操るようだった。


 と、そこで。



 ぐっっっバァッッッ!!!! と。

 第一王子とミーリュアとの間に割って入るように空間が歪み、引き裂かれる。



 そう、空間が引き裂かれたなんて突拍子もないことを考えてしまうほどにはその光景は常軌を逸していた。


 裂け目、その奥に『闇』が広がっているような、とミーリュアがそれ以上覗き込んでしまいそうになったその時だった。


「おっと。張り切っている時のお母さんは見ちゃダメだよ、お姉さん」


 そっと。

 裂け目の中から飛び出してきた誰かがその手でミーリュアの目を塞ぐ。その手が外された時には空間が引き裂かれたかのような異変は綺麗さっぱり消え去っていた。


 ただ一つ。

 黒地に金の刺繍が施されたマントを羽織った金髪に黒目の少女が目の前に佇んでいた。


 何歳か年下だろう少女の絵本の中から飛び出してきたかのような幻想的な美しさを纏っていた。あくまで『人間として』美しくあるよう公爵家が磨き上げたミーリュアと違い、『人間離れした』──そう、神秘的と評するべき少女に思わず息を飲んでいた。


 反射的に、唇が動く。


「あなた、は?」


「マーブル。通りすがりの旅人だよっ」


 無邪気に笑う少女。

 笑顔のまま、少女が霞む。


「って、なんか悪さしている奴がいるし。まったく、仕方ないなぁ」


 瞬間。

 ゴッバン!!!! と瞬間移動と勘違いしそうなほどの挙動でもって少女の拳がアイア=ハニーレック男爵令嬢を打ち抜いた。



 ーーー☆ーーー



「あらあら。マーブルちゃんったら。……これは、何をやってでも、連れ戻さないといけないですわ」


 何を犠牲にしたとしてもですわ、と。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()女神が立ち上がる。

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