プロローグ
全体的に会話の部分を中心に変更を加えました。
【あこがれの同級生:佐藤かおるとの再会】
母親が死んではや2年。俺はそれ以降、週1日は実家に顔を出して、高齢になりつつある親父の様子をそれとなく確認している。実家に住んでもいいのだが、今更慣れたおひとり様の生活を捨てて、実家に戻るのは抵抗あるのですよね、介護が必要になればしょうがないけど。ちなみに俺は実家の近所のアパート暮らし。
3月も下旬に差し掛かったその日に、いつものように実家に顔を出して親父の様子を見つつ、自分宛の郵便物を確認していたら1通の手紙を発見。その手紙の差出人は『佐藤かおる』。はて、今教えている生徒の中にはそのような名前の生徒はいないはず。唯一心当たりがあるのは、中学・高校時代のクラスメイトで俺のあこがれだった『佐藤かおる』しか思いつかない。
俺、清水健一は大学(母校)や高校、予備校で数学を教えて何とか暮らしている36歳のビンボー独身。中学の頃から数学だけは得意で、運よく数学で学位も取れたけど、母校に残れる(又は、他の大学に採用される)のは非常に狭き門で、もちろん俺はその門をくぐれず。なんとか母校で助教の口をあてがってもらってはいるものの、大学院時代に非常勤として採用してもらった高校が今や最も安定した働き先であり、母校からはいつ助教の更新が切られるか、教えている予備校は経営不振のうわさが漏れ聞こえるなど俺の将来は不安しかない。研究者への夢はスパッと諦め、勤務先の高校で正式に採用してもらおうか日々悩んでいる今日この頃です。
さて、『佐藤かおる』からの手紙に戻ると、こんな内容だった。
「いきなり手紙を差し上げてごめんなさい。話したいことあるから清水君の都合を教えてください。清水君の新たな就職先(教職関係)についてのオファーなので期待してね。必ず来て下さい。ちなみに私の連絡先はこちらです。いつでも連絡ください、大歓迎。待っています」
今の俺の連絡先は親父や学校関係者、付き合いのある友人達以外には知られてないから、佐藤さん、実家宛に手紙出したのですね。差出人はどうやら俺の高校時代のあこがれだった佐藤かおるで間違いないだろう。高校時代は他にも美人の子やかわいい子はそれなりにいたけど、その中でも佐藤かおるは俺にとっては同じ中学出身者として、かつ中学・高校時代の彼女の数学の先生として(中学時代、俺がいつも数学のテストで好成績を取っていたのを彼女に見られていつのまにか彼女の数学の先生に)、傍からはボッチ扱いされていた俺(自分自身はクールを売りにしているつもりだった)にとっては数少ない自分と親しくしてくれる人気がある美人の女の子という認識であり、佐藤は俺のあこがれだった。今思えば片思いだった感が大。
でも、当時はクラスのイケメンスポーツマンで女子に大人気だった青山が佐藤にご執心で、そんな状況では俺が自分の気持ちを伝えられるはずもなく、佐藤と青山のやり取りを傍から見ていることしかできなかった。高2の時はそれでも2人は付き合っている感はあまりなかったけど、俺とクラスが別れた高3の時からは付き合い始めた?と思う。高3時は、俺は国立理系志望のクラス、佐藤や青山は私立文系志望のクラスと別れていたからね。その後、俺と佐藤は別々の大学に進学し、青山はスポーツ推薦で佐藤と同じ大学に滑り込んだらしい。大学進学後、この2人と成人式の時に会う機会があったけど、2人はもう結婚前提で付き合っている様子で、大学卒業後、2人が結婚したという噂を聞いた。
それにしても、佐藤からわざわざ手紙をよこす用件って何だろう?俺の就職先って、そもそも俺が今、ビンボー教師をしているのを佐藤が知っているはずはないのだけどなぁ。何せ高校卒業以来、佐藤とは成人式の時を除いて接点が全くなかったから。ただ、今の自分の先が見えない状況の中では、就職先をオファーしてくれるというのは正直ありがたい、いや、むしろ感謝ということで、手紙に記載してある連絡先にコンタクトすることにした。
コンタクトすると、待っていましたとばかりのレスがあり(やはり同級生の佐藤でした)、待ち合わせの日時を調整(4月初旬)し、場所の指定と共に、『絶対来てね。来ないと許さないわよー』とかなり念を押された感あり。では、久方ぶりに佐藤と会ってみますか。
佐藤が指定した場所は最寄り駅沿線のターミナル駅からちょっと離れた高層ビルで、地下に居酒屋などの飲食店がいくつか入っている様子だった。ビルの名称を見ると巷でよく知られた大企業。そういえば佐藤パパがこの会社に勤めていたような記憶がある。俺は佐藤パパとは多少の面識がある。高校入試についても、俺が佐藤の数学の面倒を見ていた経緯があり、数学が苦手だった佐藤が志望校(俺と同じ高校)に合格したのは俺のお蔭ということで、佐藤のご両親からはえらく喜ばれて、高校入学前に焼肉をごちそうになったことがある。その際に佐藤パパから、君のような優秀な子とうちの娘が結婚してくれればというようなことを言われたような、言われなかったような覚えあり。
指定されたビルに到着すると、すでに佐藤はビルの入り口で俺を待っており、俺を見つけると大きく手を振って駆け寄ってきた。
ほんと久しぶりに佐藤を見たが、相変わらず美人でスタイルもいい。胸は普通だが。
「来てくれてありがとう。清水君、学生時代と全然変わらないね、すぐわかっちゃった。どうしても清水君に会いたかったんだ」
俺を見て佐藤はすごく嬉しそうな様子。俺はそんな佐藤の反応に若干戸惑う。
「佐藤、ほんと久しぶり。元気だった?わざわざ連絡くれてありがとう。俺に就職先、オファーしてくれるんだって?期待しているよ」
俺の就職先の件に話題を向けて冷静さを保つ。佐藤に案内されて、そのビルの中のこじゃれた飲食店に一緒に入った。その店、どうやら佐藤の行きつけらしく、入って早々に店員が会釈して何も言わずにすぐに奥の個室に通された。渡されたメニューから佐藤のお勧め料理をいくつか注文後、俺は疑問に思っていたことを佐藤に聞いた。
「そういえば佐藤はなんで俺が教師をしているって知っているの?」
「この前たまたま同窓会で安藤君に会う機会があってね、その時に聞いた」
「ああ、安藤か。あいつとはたまに飲みに行っていたからなぁ。このところ2年ぐらいはご無沙汰している。あいつ、元気だった?」
「会った時は元気だったよ」
そういえば1年ほど前に高校の同窓会の通知が来ていたのを思い出した。その日は都合が悪く俺は同窓会に参加しなかったが、佐藤はその同窓会に参加して安藤と話したのだろう。ちなみに安藤も同じ中学出身で、俺の悪友。と、ここで佐藤が用件を切り出した。
「私の父の会社、覚えている?」
「このビルの会社だろ?」
「そう、この会社。私も今はこの会社でお世話になっているの。今、この会社で学校法人を作ろうという話が持ち上がってね、いい先生知らない?と父から相談されていたの。そこでたまたま清水君の話題を出したら父が乗り気になっちゃってね。」
「そういや俺は佐藤パパに気に入られていたっけな」
「そう、いまでも父は清水君のこと良く思っているみたい。で、これがその学校の募集要項なのだけど、どうかしら?」
その学校の教師募集要項が記載されたパンフレットを渡された。なになに、今の勤務先の高校ともらえる給料が全然違う。ちょっと待って、心動いちゃうじゃない。
「返事は今すぐでなくていいから、興味があればとりあえず応募してみてよ!応募自体は辞退もできるし、強制力はないから」
佐藤に説得され、渡された用紙に必要事項を記載してサインする。サインした用紙をしまうと佐藤が嬉しそうに微笑む。
「それでは清水君の将来を祝って乾杯しましょう」
佐藤が、酒が入っていると思われるグラスを俺に差し出した。お互い乾杯して俺はぐっとそのグラスの酒を飲みほした。出てきた料理をつまみつつお互いの近況を確認。
「佐藤、そういえばお前、青山と結婚していたじゃなかったのか?」
「青山との結婚生活、数年でジ・エンド、青山自身の問題でね。その後もそのせいでなかなか再婚できなくて独身のまま今に至ります。そういう君はどうなの?まだ独身よね?」
俺がいまだ独身のことは同窓会で安藤か誰かが言ったのだろう。
「まあ、見ての通りさ。さすがに30歳前後は結婚しようかとは思ったけど、残念ながら結婚して家族を養っていける自信が当時の給料(今の給料でもそうですが)だと全くなくてね、ずるずると今に至ってしまった」
など話していると、何故かぼーとしてきた。どうも頭がうまく回らん。おかしい、俺は酒好きで1杯程度ではそれほど酔わないはずなのだが・・・とぼんやり考えていると、同じ酒を飲んだはず?の佐藤はご機嫌で、酔った勢いか俺に対する昔の感情を吐露してきた。
「ねえ、今更ながら伝えちゃうけど、私、清水君がずっと好きだったこと、知っていた?」
「そうかなって多少は思っていた。けど、青山がかなりお前のことが好きで熱心だったし、高3では俺はクラスも変わったから、それ以上は深く考えなかった」
「実は清水君も私のこと好きだったでしょう?」
「ああ、そうだよ。でも、俺には須藤さんも隣にいたしな・・・」
そう、高2のときのクラスメイトで隣に座っていた須藤夏希にも数学を教えたことがあり、青山の件もあったため佐藤のことは諦めて、俺に好意を寄せていた須藤さんと付き合おうかなと思っていた時期があった。でも、高3になると須藤さんともクラスが変わり、俺の高3は受験一色、なんとなく彼女とも疎遠になって付き合うまでは至らなかった。その後、須藤さんは俺の親友で後ろに座っていた瀬尾君と結婚して今は瀬尾君の実家がある北海道で瀬尾夏希として暮らしている。俺は須藤さんの彼氏になれない代わりに彼女に瀬尾を紹介した手前、彼らのキューピットでないかと思ったりしている。
「清水君、お互い独身だし好意も持っていたのなら、私との人生を始めて見ない?」
「これからお前と付き合うってことか?」
「それもあるのだけど、私と過去・未来含めてどう?」
妙に今日の佐藤は艶めかしい。いや、今の佐藤の普段を知らないだけではあるが。
「まあ、今の俺にはステディな女性はいないから。お前と付き合うのはかまわないしウェルカムだけど、今の給料がねぇ」
俺は彼女から発せられた過去という言葉には特に気にせず、これからの付き合いを前提に応えると、佐藤はますます嬉しそうに言葉を続ける。
「給料のことは私がオファーした学校に採用されたら問題ないじゃない!
約束したわよ。必ず忘れないでね。『結婚』の約束をしたのだからね♡」
これって俺が佐藤と結婚の約束をしたことになるの?と俺が訝っていると佐藤がカバンからさっきとは別の紙を差し出した。
「そういえば忘れていた。こっちの紙にもサインが必要だったわ。ここにサインしてね」
字が小さくてよくわからん(老眼が入りだしたし、おまけに頭も働かない)ということで、内容は確認せず、指定された場所にサイン。いわゆるめくらサインですね。
そうこうしていると、だめだ、猛烈に眠くなった。
「佐藤、ごめん。すごく眠い・・・」
「大丈夫、私がちゃんと連れて帰ってあげるから安心して」
「お前、俺の住んでいるところ知っているの?」
「いいえ、でもあなたの実家、私、知っているじゃない」
「そういやそうだったな・・・」
安心してつぶやいたあたりから、意識もあやしくなり。佐藤に肩を貸してもらい、いつの間にかそばに来たウェイターにも手伝ってもらって立ちあがった後、帰ろうとしたらなぜかエレベーターに乗せられて上層階へ・・・
ふと気が付くと、どうやら俺は病院にあるようなベッドに寝ており、頭にはなにやら脳波計のようなものが装着されていた。すぐそばで佐藤が俺の手を握ってにこやかに俺を見つめていた。どうやら佐藤も頭に何か装着している?と思ったら、意識が飛んだ
どうやら俺は夢を見ているらしい。高校生の俺は、佐藤の家にお邪魔して、佐藤ママに挨拶し、佐藤の部屋に向かう。そこで佐藤と2人でちょっとゲームをした後、来訪の目的である春休みの数学の宿題を見てあげるため、佐藤が用意したジュースやお菓子を食べながら、佐藤と勉強を始めた。うん、そういや昔はこうやって彼女を教えていたっけ、と思ったところで夢の中で記憶をなくし、と思ったら夢から覚めた。
【俺が目覚めたそこは】
目が覚めると、どうやら俺はどこかの病院のような場所にいるらしい。だが、完全に意識を失う前にちらっと気づいたベッドとはどうも、違うみたいだ。やっぱり俺は昨日の酒で具合が悪くなり、佐藤が念のために実家ではなく病院に連れてきてくれたのかな、などと思っていると、俺のベッドの横で中年の女性が座ったまま寝ているのに気が付いた。その女性、非常に、非常に見覚えがある。まさかと思っているとその女性がふと目覚めて俺の顔を覘き込んできた。
「健一、目が覚めた?よかったー、具合悪いところない?」
え、誰?声も姿も顔もやっぱり昔の俺の母親っぽいのだけど、俺、寝ぼけている?
「え、お母さん?2年前に死んだはずじゃなかったっけ?これって夢?」
「何バカなこと言っているの、私を殺す気?さっさと起きなさい、このバカ息子!」
その女性に怒鳴られたため、しかたなく起き上がり、その病室らしきところに設置してある鏡で自分自身を見ると、
えええ?これって学生時代の自分じゃないか。なんでぇ?
もしかして、夢の続き?
その女性が扉を開けて外にいる人に声をかけると、佐藤が部屋に入ってきた。
「おい、佐藤。これ、どうなっているの?ここどこ?おまえ、俺に何をした?」
佐藤に思わず怒鳴るように問いかけると、佐藤は全く困ったような顔をする。
「清水君、私の家で倒れたじゃない。それでお父さんに相談してこの病院に連れてきてもらって見てもらったのだけど」
「そうよ。佐藤さんに感謝しなさい。佐藤さんのお父さんのおかげでこのような立派な病院で検査してもらえたのだから」
えええ?そうしたら俺が夢と思ったあのシーンが現実?全くよくわからん。
よく見ると、この佐藤、確かに俺が馴染みのある高校時代の佐藤かおるですね。まさかアラフォーのビンボー独身教師という今までの俺の現実と思っていたことが夢だったのか?
「俺、確か36歳で職業、教師なのだけど」
「何馬鹿なこと言っているの。まだ寝ぼけているの?学校行きたくないからってこのバカ息子は。春休みは今日でおしまい。始業式は明日よ」
この女性はやっぱり母親なのか?佐藤は、俺とその女性とのやり取りを横で黙って見ていた。