マンホールの怪
カッ!...カッツーン!カッカッカッ...
小気味のいい音を立てて、小石がアスファルトの上を走る。
ジリジリと照らす太陽、それを負けじと反射し続けるアスファルト、その間、アスファルトの上で石を蹴って下校するぼく。
「早く帰れーーー!」とぼくを急かしているかのようなセミの声を聞き流しながら、ぼくはさっき石を蹴った場所に走る。
あった、この石だ。大きく足を振り上げ、そして振り下ろす。
カッッツーーーン!カッカッカッ...
全力で石を蹴ってぼくは、家路を急ぎ始めた。
ぼくは下校中、いつも石を蹴りながら帰っている。いつから始めたことかは忘れてしまったが、とにかく、そうしている。
小学四年生にもなって子供っぽいと言われるし、危ないからやめなさいとも言われるけど、楽しいんだから仕方がない。
マンホールに落ちないかどうかのドキドキ感、石が車道に出てしまった時のがっかり感、家まで蹴りながら帰れた時の達成感...とにかく、楽しい。
そんな考え事をしていると、いつの間にか家の前の横断歩道だった。
ここからが正念場だ。ぼくはいつもここから家の前のマンホールをゴールに見立てて石を蹴り込む。
まだ数回しか成功しておらず、今日は決めてみせるぞ、と思い、ぼくは目を瞑る。精神統一だ。
目を開ける。目に飛び込んだのは青信号。よし!
ガッ!
よし!ベストキックだ!
カッッツーーーン!カッカッカッカッ...
この軌道は...まさか!
カッカッ...チャボンッ!
やったーーーー!ゴーーーール!!!!!
思わず勢いよくガッツポーズをしてしまった。
ぼくの頭の中に、10万人の大観衆の中、ぼくが決勝ゴールを決めて大歓声に包まれる、そんな映像が流れた。
ヒーローインタビューのためにカメラの前へと歩く選手のような気持ちで、ぼくは横断歩道を渡る。
ぼくは蹴り込んだ石を確認しようとマンホールを覗き込む。
しかし、その瞬間のことだった。
「ってーな...殺すぞクソガキが...」
という静かな、そして確かな怒りを含んだ声が、覗き込んでいたマンホールから聞こえてきた。
ぼくは、あまりの出来事に背筋がスゥッとなって数歩後ろに飛び退いた。
動悸が激しい。全身から汗が吹き出る。
でもそのうち、ぼくは沸々と声の持ち主が気になる気持ちが出てきてしまった。気持ちを落ち着け、恐る恐るマンホールをもう一度覗き込み、目を凝らしてみる。
すると、マンホールの中に何かがつかっていて、それは数秒に一度、ビクンッと全身を痙攣させているのが見えた。
マンホール内は暗く、ぼんやりとした輪郭しか分からないが、そいつが坊主頭の人間と全く同じ輪郭をしているのはかろうじて見えた。
ただ、こいつの見た目は人間に似ているが、人間とはかけ離れている、"なにか"であることは、小学生のぼくでもなんとなくわかった。
そいつは痙攣を続けながら、ゆっくりと顔を上へ向ける。
ちょうど覗き込む形になっていたぼくは、そいつと目が合ってしまった。
暗くてよく見えなかったものの、赤く光っているそいつの両目は確かに怒りを孕んでいた。
ぼくはあまりの恐怖に、
「あ...あの...ご...ごめんなさいっ!もうしません!」
と、甲高い声で謝罪を述べていた。
ぼくの謝罪を聞いたのか、そいつは
「...チッ。」
という、舌打ちを残して、そいつは汚水にズブズブと沈んだ。
その後、そいつが出てくることは二度となかった。
その日、ぼくは家に帰り、ご飯を食べて、普通に宿題をこなし、ふつうに寝た。
でも、次の日から二度と、ぼくは下校中に石蹴りをしなくなった。
別に石蹴り下校がつまらなくなったわけじゃない。ただ、積極的にやろうという気はなくなってしまった。
そんな日々がしばらく続いたある日の下校中のこと。ぼくが家の前の横断歩道を待っていると、あのマンホールが工事によって埋め立てられているのが見えた。
あの日のことを思い出し、固く目を瞑って横断歩道を渡り、今まさに埋め立てられようとしているマンホールを横目に足早に家に帰ろうとしたその瞬間。
ぼくは確かに、
「...クソが。」
という、冷徹で凶暴な性質を孕んだ悪態を聞いた。
それでもぼくは、それを聞かなかったことにして、
「お母さんただいまー!」
と元気な声を出して家に帰った。
でも、元気に出したはずのぼくの「ただいま」の声は、何故だかすこし震えていた。