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四話 心の故郷・日本

 イヴは事態が飲み込めないらしく、目を白黒とさせるばかり。

 だからハルトはうーんと(うな)ってみせてから。

 

「まあ、実際に見てもらった方が早いかな」

「うわわっ!?」


 ぱちんと指を鳴らせば、屋敷が音を立てて揺れ始める。

 異変が起こるのは慌てるイヴのすぐ足下だ。


 床板がゆっくりとずれていき、やがて地下へと続く階段が現れた。魔力の明かりが点々と続いており、ひんやり湿った空気が流れてくる。

 それをのぞき込み、イヴは険しい顔を作る。


「こんな場所に隠し扉があったなんて……いったい奥になにがあるのよ」

「見りゃわかるさ。不気味で怖じ気づいたって言うのなら、手でも握っててやるけど?」

「ふんっ、馬鹿にしないでちょうだい。いいわ、あなたの野望とやら……見定めさせてもらおうじゃない」


 イヴはハルトを無視し、迷うことなく地下と降りていった。

 ハルトも肩をすくめつつ彼女を追う。階段はそれほど長くはなく、すぐに扉にぶち当たった。

 果たしてその先に広がっていたのは――。


「な、なによ、これ……!?」

「俺の特別研究室だ」


 絶句するイヴに、ハルトは事もなげに言ってのける。


 そこは文字通りの研究施設だ。広い鉄製のテーブルには、ビーカーや試験管といった実験器具が積み上げられている。そのほかにも壁際には(たる)が並び、下に置かれた受け皿にはなにやら怪しい黒い液体が、ぴちゃ、ぴちゃと一滴ずつたれていた。


 リビングの五倍ほどの広さがあって、天井もかなり高い。

 異様な光景だが、これだけならただのごちゃごちゃした物置だ。


 仮にも魔王たるイヴが蒼白な顔をする理由は別にあった。

 彼女の視線は、部屋の隅に置かれた棚に釘付けだ。

 曇ったガラス戸の向こうには、壊れた懐中時計や薄汚れた本、ガラクタにしか見えない代物がいくつも押し込まれていた。


「ちょっとあんたぁっ!?」

「ぐおっ」


 そこで、イヴが勢いよくハルトの胸ぐらをつかんでくる。


「いったいどういうこと!? あ、あそこにあるのって全部……一級か、特級の神遺物(アーティファクト)ばかりじゃない!」

「あ、やっぱりわかるのか」

「当たり前でしょ! 絶望的にヤバい気配がビンビン伝わってくるんですもの……! っていうかあれ! あの隅っこにある時計! あれって、まさか……!」

「《時忘れの雫(ソウル・オーバー)》だけど?」

「伝説級の神遺物(アーティファクト)じゃない!」


 イヴが裏返った悲鳴を上げる。


「数百年前に所在不明になったっていう! なんでこんなところにあるのよ!」

「いやー、ちょっと欲しくなったから、世界中を探し回ったんだよ。なかなか苦労したなあ」

「そんな軽い理由で探し出されてたまるか! あれは大魔神様がお作りになった品なのよ!? 今も多くの魔王がその行方を追っていたっていうのに!」

「えっ、でも三ヶ月くらいで見つかったぞ?」

「三ヶ月ぅ!?」


 ひときわ大きく叫んでから、肩で息をしてぐったりするイヴだった。どうやらツッコミ疲れたらしい。


 イヴの言うとおり。

 ここにあるのは、どれもランクの高い神遺物(アーティファクト)ばかりだ。

 イヴの角に巻き付く《神縛の結び目(スターク・バインド)》のような一級神遺物(アーティファクト)はもちろんのこと、特級神遺物(アーティファクト)も存在する。

 

 特級というのは、一級よりもさらに上。国家間のパワーバランスどころか、世界の命運すらゆがめてしまいかねないとされる代物だ。

 そのほとんどが伝説とされていて、詳しい文献が残っていないものも多い。


 イヴはげんなりしつつ、ハルトの胸ぐらを放してみせる。


「かなりの数の神遺物(アーティファクト)を集めているとは聞いてたけど、まさかこれほどのものだったなんて……いっそもう怖いわよ」

「あはは。おかげで裏社会じゃ《狂蒐集家(ハイ・コレクター)》なんて呼ばれてたりするんだぜ。まあ、ここにあるのはコレクションのほんの一部なんだけど」

「待って。ますます頭が痛くなってきたわ」


 イヴは苦々しそうに吐き捨てて、両手で顔を覆ってしまう。

 しかしその指の隙間から向けるのは、伺うような鋭い視線だ。


「こんなに神遺物(アーティファクト)を揃えて、いったいなにを考えているの……? 世界征服でもしようっていうわけ?」

「バカを言え。俺の野望はもっと大きなものだ」


 すこしムッと顔をしかめてから、ハルトは小さく咳払いをする。

 表向き平静を(よそお)ってはいたものの、心臓はいつもよりうるさい鼓動を刻んでいた。

 なにしろ、この話を誰かにするは初めてなのだ。

 ゆったりしたペースを心がけ、ハルトは語る。


「俺がこの世界に生まれたのは、今から十七年前のことだ」


 前世の記憶を取り戻したのは、三歳の時。


 地球と呼ばれる星の片隅で、彼はひとりの男として生きていた。

 友も家族もなく、天涯孤独の身の上だった彼は、日々を家と会社の往復だけで生きていた。そんな孤独な男は、ある日の帰宅途中、車に()かれそうになった子供をかばって即死。

 それがなんの因果か、この世界に転生したのだ。


「さいわい今世の両親も、まわりの人も皆いい人ばかりだった。田舎でのんびり育った俺は、前世で得られなかった物をようやく得たんだ」


 家族、友人、そして安らぎ。

 前世と比べ、ハルトとしての人生はとても恵まれたものだった。


「だがこの世界には、あるもの(・・・・)が存在しなかった」


 それに気付いたとき、ハルトは今世で初めて絶望を覚えた。

 あれだけ満ち足りていたと思っていた人生は急に輝きをひそめ、かわりに暗い影がまとわりつくようになる。

 

 誰に聞いても知らないの一点張りだった。

 どんな書物を当たっても、一切の言及がなされていなかった。

 彼が前世であれだけ愛した物は、この世界で影も形も見当たらなかった。

 

「そ、その、あるものって……?」

「それはもちろん……」


 ごくり、とイヴが生唾を飲み込む音が、やけに大きく響く。

 ハルトは息を吸い込み、ありったけの思いを込めて叫ぶ。


「和食だ!」

「………………は?」


 イヴがぽかんと目を丸くする。

 おかげで、しばし重めの静寂があたりを支配した。

 地下研究所は窓がないため、外からの音が一切入ってこない。


 時間が凍り付いたような数十秒ののち、イヴはかすれた声を上げた。


「えっ、待って……和食? 和食って……お味噌汁とかお漬物とか、そういう日本料理のこと?」

「当たり前だろ。他になにがあるっていうんだ」

「いや、ないでしょうけど……たしかにこっちの世界って、ヨーロッパ的な食文化がほとんどだけど。絶望するほどのこと?」

「俺は死ぬほど絶望した」


 釈然としないとばかりに小首をかしげるイヴ。

 そんな彼女の疑問に、ハルトはきっぱり答えてみせた。


「さっき言ったとおり、この世界に和食文化は存在しない。醤油や味噌……そんな調味料ももちろん皆無だ。似たようなものはいくつかあったが、どれもあの味からはほど遠い代物だった……」

「つ、つまり全部試したってわけね……どんな執念よ」

「だが俺は諦めなかった! なにしろこの世界には、あらゆる不可能を可能にする切り札があったからだ!」

「っ! まさか、あなた……」


 そこでハルトの言わんとすることに気付いたのだろう。

 イヴは壁際のガラス棚――そこに並ぶ数々の神遺物(アーティファクト)凝視(ぎようし)する。


「和食を食べるためだけに、これだけの神遺物(アーティファクト)を集めたっていうの!?」

「そのとおり!」

「バッッッカじゃないの!?」


 イヴの大声で屋敷全体が大きく揺れた。

 天井からほこりがぱらぱらと落ちてくる。彼女はまなじりをつり上げて、震えた声でなおも叫ぶ。


「これだけの神遺物(アーティファクト)があれば、世界だって簡単に掌握できるわ! それなのに、言うに事欠いて和食のため、ですって……!? 天然記念物級のバカじゃないのよっ!」

「バカとはなんだバカとは! 俺の今世は和食のために費やしてきたと言っても過言じゃないんだぞ!」

 

 この世界に本当に和食がないのか調べるため、世界一の魔法学校に入学した。

 在学中は調べ物ついで、自分で醤油や味噌を造れないかとも研究した。

 さらには食材探しに役立つだろうと剣や魔法を真剣に学び……気付いたときには、飛び級かつ首席で名門校を卒業。


 あらゆる国や組織から引く手あまただったのを突っぱねて、世界放浪の旅に出た。

 それもこれも、和食を食べるという大きな目標があったからだ。


「断っておくが、けっしてこの世界の料理がマズいわけじゃない……! でもやっぱり、肉に塩と胡椒(こしよう)を振りかけて香草で包んで焼く……みたいな料理ばっかりじゃ、なんかこう、ちょっと物足りないっていうか! ふるさとの味が恋しいっていうかさあ!」

「いやいや! わかるけど!? たしかにあたしも、お味噌汁の味が恋しいなーって思ったこともあるけど……! ここまでする!?」

「はあああ!? なにを言ってやがるんだ! 日本人だぞ! 和食が食えなきゃ死ぬに決まってるじゃねーか! 血液の代わりに醤油が流れている種族なんだぞ!」

「血中塩分濃度高すぎで死ぬわ! っていうか、さっきから日本人日本人って言ってるけど……あたしたち、今はこの世界の住民でしょ!」

「うるせえ! 魂はまだまだ現役の日本人なんだよ!」


 イヴが言わんとするところはわかる。たしかにこの体はこの世界で生まれ育ったものだ。この世界の料理を愛する気持ちはもちろんある。

 だがしかし、ここで和食が食べられないと知ってから、ハルトの中ではずっと熱い思いがくすぶり続けていた。

 それは、もはや恋と呼んでも過言ではない慕情(ぼじよう)だ。

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