三十話 戦う理由はもちろん和食
「と、いうわけだ」
「ふーん」
ある日の夕暮れどき。
ハルトの屋敷の裏手には、珍しい人物がいた。
ヴァレリーだ。彼はいつも以上に難しい顔をして、夕暮れ空を見上げる。
疲れたような、はたまたこれから来たる厄介ごとにうんざりしているような……そんな顔だ。
彼の隣で、ハルトは書類の束に目を通していた。
ハイニック皇国の紋章が捺印されたその紙は、どれも『機密文書』という赤文字が躍っている。
おそらく外に漏れたら一大事。こんな屋外で読むべきものではないだろう。
だが、ハルトは気にすることもなく、ざっくりそれを読んでしまう。
そうして「なるほどねえ」と紙を投げた。
風がさらうより早く、紙は音もなく燃え上がり、細かな灰が舞い散った。
「つまり何だ、あっちこっちの魔王や国が結託して、熾天領とハイニック皇国を落とそうとしてる……ってことか?」
「そのとおり。まだ裏は取れていないがな」
「いいや、こんだけ突き詰めたら上場だろうよ」
「私一人ではこうはいかなかった。貴殿のおかげで、協力者が得られたおかげだ」
ヴァレリーは幾分、苦々しげにため息をこぼす。
協力者というのは、先日知り合った魚人族のネレウスだ。
熾天領とハイニック皇国を狙った、一連の同盟。
彼にもそのお呼びがかかったことがあるらしい。
どこにも与しないネレウスはこれを突っぱねたが、熾天領やハイニック皇国に警告することもしなかった。中立を貫いたのだ。
だが、ここに来て事態は一変。
ネレウスがハイニック皇国に、手を貸そうと申し出たのだ。
情報提供や海の監視などなど。彼はさまざまな協力を約束したという。
「あの御仁をいったいどうやって懐柔したのだ……『ハルトどのの滞在する国に害なす者は、我の敵だ!』などと息巻いていたぞ」
「あはは、おっちゃんにはまた今度お礼しないとな」
ハルトは朗らかに笑う。
あれから定期的に魚を送ってくれるし、ネレウスはとことん彼を気に入ってくれたらしい。
それにしても、なかなかヘビーな国家謀略案件だ。
今のところわかっているのは複数の国が絡んでいるということだけ。
首謀者の姿は、いぜん霧に包まれたままである。
「頭の検討はついてるのか?」
「生憎、そこまでは」
ヴァレリーはあっさりと首を横に振る。
彼はじろりとハルトをにらみつけて。
「そこを探るのも含め……引き受けてくれるのか。どうなんだ」
「もちろん返事はイエスだ」
ハルトは軽くうなずいてみせた。
まるで散歩に出るような気軽さだが、当人は本気だ。
魔剣エクセラもそれに応えるように、かすかな光を帯びる。
ヴァレリーはため息をこぼしつつ、かすかに笑う。
「貴殿に一任するのは少々不安だが……まあ、いたしかたない。私の方からも探りを入れよう」
「おっ、共同戦線ってわけだな。皇女様の兄上と手を組めるとは光栄だね」
「私など凡百の家臣にすぎん。それより……」
ヴァレリーはちらり、と屋敷の陰を見やる。
心底腑に落ちないとばかりに首をかしげて。
「いったいあれは何なんだ?」
「あー」
「っ……!」
ハルトが視線をやると、イヴがぴゃっと隠れてしまう。
しかし、しばらくするとゆーっくりと顔を出した。
頰がほんのり赤くて、目もうるうると潤んでいる。なんだかいっぱいいっぱいだ。
まるで追い詰められたネズミのよう。
そして、追い詰めたのはハルトだ。なぜか。
ハルトは頰をかきつつ、ヴァレリーに説明する。
「いや、最近イヴと俺が前世で知り合いだったことが判明してさ」
「ほう、それは数奇な。だが、それでどうしてああなる?」
「それがわかんねーんだよなあ……」
「何の説明にもなっていないぞ」
そう言われても。
前世で行きつけだった、定食屋・指宿庵。
イヴはそこの店主の孫娘、指宿真緒だった。
それが判明してハルトは喜びに喜んだ。
懐かしの再会だったのはもちろんのこと、彼女の料理の腕前はよーく知っている。
煮魚に肉じゃが、お味噌。基本的な和食の味は、店主の祖母に完璧に仕込まれていた。
そんな彼女がそばにいるとなれば、ハルトの和食道は勝ったも同然。
しかしあれから彼女はどこかおかしい。
いつものような憎まれ口を叩くことも、前世のような控えめな笑顔を振りまくこともない。
ただ遠巻きにハルトをじーーーーっと見つめるだけだ。
近付くと逃げてしまうので、理由は今日まで聞けずにいる。
しかしもうかれこれ三日はこの調子なので、どうにかしないとなー、とは思っていた。
そんなハルトに、ヴァレリーはすっと近付いて耳打ちする。
「この件、本当に熾天王には教えなくていいのか?」
「ああ、土壇場まで秘密でいいだろ」
「ふん。そのまま秘密裏に処理するつもりだな。話を受けたのも、熾天王のためか?」
「そんな大層なもんじゃないさ」
ハルトは肩をすくめてみせる。
イヴには、そんなくだらないことに心を悩ませてほしくなかった。なにしろ――。
「なんせ、イヴには毎日……俺の味噌汁を作ってもらわなきゃならないからな!」
「ぐぶっふ……!」
豆腐とわかめ。かぼちゃに白菜、魚介に豚肉。
飲みたい味噌汁はいくらでも思い浮かぶ。
イヴには和食を作ることだけに集中してもらいたいのた。
それなのに、なぜかイヴはダメージを受けたようにのけぞって、頭を抱えてうずくまってしまう。
(そんなに味噌汁が恋しいのか……真緒ちゃん……いや、イヴよ!)
ハルトは勝手にそう解釈して、うんうんうなずく。
ヴァレリーはその隣で「みそしる……?」と怪訝そうな顔をするばかりだった。
そんな折、イヴの後ろからアスギルが現れる。
苦しむ主君の背中を撫でながら、彼女はひどく苦い顔だ。
「魔王ちゃま……この前から変でちよ。いったいどうちたのでちか」
「だってだって! 普通思わないでしょ! 前世のお店の常連さんが……しかもあの、いつも私の料理、おいしいって食べてくれてたお兄さんがこっちに転生してるとか……! どんな顔して会えばいいかわかんないじゃないの!!」
「……よくわかんないでちけど、魔王ちゃま。あの男はやめといた方がいいと思うでちよ」
「私もそれはめちゃくちゃ思うけど……!!」
なにやら頭を抱えて叫ぶイヴだ。
「ばあちゃんがこっちに転生してたら、会いたいとは思ってたけど……なんでよりにもよってあの人なのよ……! ばあちゃん助けてー!!」
「前世のおばあちゃまでちか。そんな都合よく知り合いが転生してるとは限らないでちよ、魔王ちゃま」
「だってあの人は転生してたんだもの!!」
ついには混乱極まったように泣き崩れる始末。
情緒不安定だ。やっぱしばらく放っておこう。
そんなことをハルトが密かに決意したとき。
「ハルト様ー! なにやら物語の気配を嗅ぎつけ参上いたしましたわ! またいろいろお聞かせくださいませー!」
「ハルトくん! 今日もお魚持ってきたのー!」
「おお、いらっしゃい」
フレドリカ皇女とサリアのふたりが、そろって遊びに来たようだ。
ヴァレリーが眉をひそめてみせる。
「まったく。陛下も敵対勢力の件は存知のはずなのに。気楽に遊びまわらないでいただきたいものだ」
「大丈夫だって。俺がぱっぱと片付けるからさ」
「ほう……ずいぶんとやる気のようだな」
「当然だろ」
ハルトは魔剣エクセラを抜き放つ。
太陽に剣先をかざしてみせれば、目のくらむほどの輝きが刃に宿る。
ハルトはにやりと笑って――。
「平和な世界で和食を食うためなら……俺はこの力、容赦なく使うって決めてるんでね」
「はっ、頼もしいかぎりだな」
和食とやらはわからんが、とヴァレリーは投げやりに相槌を打ってみせた。




