二十九話 勝負の行方と意外な再会
「あっ、つっても前世の話だぞ? 今世の両親はちゃーんと健在で、今ごろ田舎でのんびり畑でも耕してるよ」
「で、でも……無神経なことを聞いてしまったの……ごめんなさいなの」
「いいっていいって、気にすんな。母の味、ってのはあんま間違ってないしな」
「お母さんがいなかったのにでちか?」
「似たようなものがあったんだよ」
ハルトは目を細め、かすかに笑う。
育った施設ではそれなりに大事にしてもらえたし、特に食事に困った覚えもない。
だがしかし、これといって印象深い食事の思い出もなかった。
おかげで施設を出て働き出してからは、腹が膨れればいいと考えて、コンビニ飯や牛丼チェーンの世話になりっぱなしだった。
食には一切のこだわりが持てなかったのだ。
そう告げると、アスギルが目を丸くする。
「それがなんでこんな醤油バカになったのでちか?」
「ま、きっかけなんか簡単さ。とある店に出会っちまったんだ」
それは、一軒の食堂だった。
さびれた商店街の一角にたたずむ、こじんまりとした外観。
それが仕事の帰り道に、たまたま目についた。
灯りに誘われるようにして、なんとはなしに暖簾をくぐり……それが、前世の人生を変えたのだ。
「そこは、おばあさんと孫のふたりで切り盛りするような、小さな店でさ。客もまばらで、こりゃ失敗したかって最初はちょっと悔やんだよ」
とはいえ出て行くわけにもいかず、おすすめと書かれていた煮魚定食を頼んだ。
やがて白米と漬物、味噌汁に煮魚というシンプルな一膳が運ばれてくる。
「見た目も盛り付けもふつうでさ。だからそんなに期待せずに食べてみたんだ。そしたら……」
「それが、すっごくおいしかったのでちか?」
「いんや。そこまでじゃなかった。やっぱりふつうの煮魚だったよ」
「はあ……?」
「でも、なんでか安心しちゃったんだよなあ」
ぼんやりと、あのときの衝撃を思い起こす。
本当にふつうの煮魚だった。とりたてて芸術的な盛り付けというわけもなく、味もショウガがよく利いているくらいで、食べやすい素朴なもの。実にありきたりな一品だ。
それなのに、その『ふつう』が彼の心に深く突き刺さった。
気付いたときにはボロボロと涙をこぼしながら、夢中でその一膳を平らげていた。
「でもなんか……あったかい味だったんだよな。それまで感じたことがないくらいにさ」
「はあ、なんとも庶民的な思い出でちね」
「わ、わたしは素敵だと思うの」
「あはは、ありがとな。それでまあ、その店が行きつけになったんだ」
初日に大泣きして心配をかけたためか、店主の老婆や、孫の女子高生とも適度に会話を交わすほどの仲となった。
暖かい店と、厨房から聞こえる鍋や包丁の音。
お冷やを注いでもらうときのささやかな会話も楽しかったし、ほかに客がいないときなどは三人並んで食事を取った。
家と職場の往復で終わっていたはずの人生にできた、ちょっとした彩り。
その大切な習慣は、事故で命を落とす前日まで続いて――。
(また、あそこの和食を食えたらなあ……)
ハルトはぼんやりと、そんなことを思う。
だが、それは叶わぬ願いだ。
今のところ、地球に行けるような神遺物は見つかっていないし、行けたところで、あの食堂が健在かはわからない。
はかない願いを振り払うようにして、ハルトは軽くかぶりを振ってから笑う。
「ま、そんな感じで和食が好きになったんだよな」
「何の話?」
そこでちょうど、エプロンをつけたイヴが戻ってきた。
抱えていた大きな鍋を、でんっとテーブルに置く。
「おお! できたのか!」
「まーね。っていうか、本当にみりんも料理酒も、お酢まであったし……もう大抵の和食は作れちゃうじゃない」
「いや、まだ足りない。納豆とぬか床なんかも作らなきゃいけないからな」
「探求が果てしないわねえ……まあいいわ。はい、どーぞ」
ぱかっと鍋を開いてみせれば、真っ白な湯気とともに、芳しい香りが溢れ出る。
中に入っていたのは、つやつやと輝く魚の切り身だ。
崩れることも皮が剥がれることもなく、琥珀色の煮汁の中で気持ちよさそうに泳いでいる。
料理本に煮魚の見本として載りそうなほど、まさに完璧な見た目だった。
「お、おお……なかなかやるじゃねえか」
「やっぱり醤油の色なのでち……」
「きれいな色なの。つやつやしてる!」
アスギルとサリアも、興味深そうに鍋の中をのぞきこむ。
その間に、イヴはもうひとつの鍋を持ってくる。
「アスギルたちは無理しなくていいわよ。ちゃんとこっちの世界のお料理も作ってあるから。ほら、お魚たっぷりのトマトスープ」
「わあ! おいしそうなのでち!」
そちらの鍋には、真っ赤なスープが満ちていた。
魚やイカ、貝などがふんだんに入っており、酸味のある香りが食欲をそそる。
アスギルがごくりと喉を鳴らすが、ぷるぷると首を横に振る。
険しい山に挑むような顔で見つめるのは、煮魚の鍋だ。
「で、でも、こっちも魔王ちゃまが作ってくれたお料理でち。心していただくのでち」
「そう? だったらまあ、一口くらい試してみなさいな」
「それにしても、イヴさんはすごいの。これだけのお料理、ひとりで作っちゃうなんて」
「そこまで言うほどじゃないわよ。なんせ前世ぶりだし……味の方がちょっと不安なのよねえ」
イヴは頬に手を当てて、ため息をこぼす。
「ちゃーんと霜降りもしたし、臭みはないはずだけど」
「は? 肉じゃあるまいし、魚に霜なんかあるのか?」
「お肉の脂のことじゃないわよ。魚を熱湯につけて、血とかぬめりを取るやり方のこと」
「へ、へえ……あっ、ひょっとして《智者の窓》で検索したな?」
「それくらい調べなくても日本人なら常識でしょ」
「……そうかなあ?」
少なくとも、ハルトは今しがた知ったばかりだ。
前世は食べる専門だったし、調理など冷凍食品やカップ麺どまりだった。おもわずイヴの顔をじーっと見つめてしまう。
「おまえ……前世でけっこう料理してた方なのか?」
「ま、家の手伝いとかでね。いいから早く食べなさいな」
イヴは手際よく煮魚をよそってくれる。切り身の上にはショウガのスライスがちょんっと乗って、いいアクセントになっていた。
見た目は完璧である。おもわずごくりと喉が鳴った。
「う、うん。悪くなさそうじゃねえか」
「それはよかったわ。さてと、アスギルたちにも小さいのをよそってあげるわねー。食べやすいように身も分けてあげる」
「わーい! 至れり尽くせりなのでち!」
ハルトを雑にあしらって、イヴは鍋にかかりっきりになった。
わいわい盛り上がる女性陣を尻目に、ハルトはしずかに両手を合わせる。
「……いただきます」
そうして煮魚に箸をつけた。焼き魚のときとは違い、皮のぱりっと感はない。かわりに箸から伝わるのは、どこまでも沈むようなやわらかさだ。
よく煮汁のしみこんだ部分をより分け、口へと運ぶ。
舌で丁重に出迎え、ゆっくりと噛んだ瞬間――。
(………………は?)
うまいとか、まずいとか。
そんな感想を抱くよりも先に、ハルトはぴしりと固まってしまう。
一方、女性陣の盛り上がりは続いていた。
アスギルが煮魚をもぐもぐと丁寧に咀嚼して、ごくりと飲み込む。サリアも同様だ。
じっくり味わって、ふたりで顔を見合わせる。
「うーん……甘いような、しょっぱいような……」
「……不思議なお味なの」
「うーん。やっぱりこの世界の人のお口には合わないのかもね」
「で、でも決してマズいわけじゃないのでち! どっちかっていうと、食べやすい味なのでち」
「うん。もうすこしチャレンジしてみるの」
「あはは、そう言ってもらえるとうれしいわ」
ぼちぼちと煮魚を食べる彼女らを見て、イヴは相好を崩す。
反応が上々でほっと胸をなで下ろしたらしい。
「で、あなたはどう……って?」
ハルトに目をやって、眉をひそめる。
「なによ、一口食べたきりじゃない。そんなに気に食わなかったわけ?」
「いや…………うまかった」
「あ、あらそう……?」
目をしばたたかせるイヴである。
煮魚の感想は先の言葉通りだ。
うまい。これ以外に言いようはない。
ふんわりやわらかな身に、甘辛い煮汁がほどよくからむ。
これだけでご飯が何杯でもいけるだろう。シンプルな味付けだからこそ、ショウガの風味がたまらなく合う。
臭みもないし、見た目も味も完璧。
だがしかし……それはあまりにも、ハルトが求めていた味だった。
なんとか上記の感想を伝えれば、イヴはますます眉を寄せた。
「だったらなんで食べないのよ。ひょっとしてお世辞とか? あなたに限ってそんな気の利いたことできるとは思えないけど」
「うん……ちょっとな」
ハルトは箸を置き、ごくりと生唾を飲み込んだ。
食欲のためではなく、己に活を入れるためだった。
イヴの顔をじっと見つめて――かすれた声で問いかける。
「まさか………………真緒ちゃんなのか?」
「は?」
そこでイヴはきょとんと目を丸くした。
小首をかしげて彼女はぼやく。
「……前世の名前、あなたに教えたことあったっけ?」
続きは明日更新します。
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