二話 トラブルメーカー
3.トラブルメーカー=魔王
「……もともとこの事態は、ひどく小さな事件がきっかけだった」
ヴァレリーはため息交じりに語る。
ハイニック皇国と魔族の領土――熾天領は、隣接した国同士だ。
これまではつかず離れずの関係を築いていたが、その関係が一変する。
半年ほど前、両国の境界付近で、とある商人の一団が襲われたのだ。
さいわいにして死者こそ出なかったが、彼らはみな魔族に襲撃されたと証言。
王家にも出入りしていた商人たちであったため、ハイニック皇国が熾天領に調査を依頼する。
しかし向こうは『身に覚えがない』の一点張りで……両国の関係は、こうして悪化することになった。
「ここまでならよくある話だ。だが、ここで問題をややこしくしたのが……熾天領の魔王、イヴの存在だ」
つい十年ほど前に魔王を継承したという彼女は、前代の魔王をしのぐほどの実力者だともっぱらの評判だった。
その力は計り知れず、非常に好戦的な性格だとも言われていた。
「評判通り、やつは短気な性分だった。こちらからの話し合いを蹴った挙げ句、『こうなったら戦争しかないわ!』と果たし状を送りつけて……境界線上に陣まで敷き始める始末」
「ああ、うん。めちゃくちゃ言いそうだな、あいつ」
「こちらは穏便な解決を望んでいたというのに、おかげで我が国は非常に切迫した状況に立たされた」
熾天王と、ハイニック皇国が揉めている。
その噂は国どころか世界中に広がって、来訪者が減少した。
夏の観光シーズンを前にして、あちこちの店で閑古鳥が鳴き始め、ハイニック皇国はおおいに頭を抱えた。このままでは主要産業に痛手を受けかねないばかりか、したくもない戦争を起こされかねない。
しかし、そんな最悪の状況が、ある日突然に解決する。
「でも、それを解決したのが俺ってわけだ」
「ええ。ハルト様には大いに感謝しております。なにしろ、あの魔王イヴを鎮圧してくださったのですから!」
「もちろん私も貴殿の働きは認めている。認めてはしているのだが……」
ヴァレリーは平板に、慇懃に語る。
感謝を口にしつつも、ハルトを見つめる目は抜き身のナイフのような鈍い光をたたえていた。
「私たちが貴殿に頼んだのは、熾天王を鎮めることだ。トラブルの元にしかならない暴れ馬をわざわざ連れて来いなどとは、一言も言っていないのだが?」
「あー、えーっと、その……本当に成り行きとしか言いようがないんだけどさ。今は俺が見張ってるから暴れさせやしないって」
「どうだかな。おまけに貴殿に貸し与え、熾天王を幽閉している屋敷からは、ときおり異臭や怪しい煙が報告されているようだが……いったい何をやっているんだ?」
「何ってそりゃ……ふつうに料理してるだけなんだけど?」
「ふつうの料理で、近隣一帯の家から苦情が来るような騒ぎが頻繁に起こるものか?」
「ぐっ……それもいろいろ事情があってさあ……!」
「ふん、意地でも本心を語らないというわけか。ならば……いいだろう」
ヴァレリーはハルトにまっすぐ人差し指を突きつける。
彼は、ただ淡々と――。
「いいか、ランバード。いったい何を企んでいるかは知らんが、肝に銘じておけ。私の目が黒いうちは……貴殿の思い通りにはさせぬからな」
「ヴァレリー! 我が国の恩人に、なんと失礼なことを……!」
「いやいや、かまわねえよ。俺が怪しいのは本当だからな」
慌てるフレドリカに、ハルトは苦笑を向ける。
ヴァレリーにはそのかわりとばかり、右手を差し伸べるのだ。
「ま、しばらく厄介になることだし、信頼はこれから勝ち取るさ。どうぞよろしく?」
「ふん……その化けの皮、剥がれるときが楽しみだな」
ヴァレリーは握手に応じることなく、ただ眼鏡の奥から冷たい眼差しを向けるばかりだった。
おかげでフレドリカ皇女はすっかり肩を落としてしまう。
「申し訳ございません、ハルト様……ヴァレリーはすこし気難しいところがありまして」
「いいっていいって。これも国や皇女様を思うが故だろ。いい家臣の証拠じゃねーか」
「……そう言っていただけると助かります」
フレデリカ皇女は困ったように笑い、眉を寄せてみせる。
「でも、本当によろしいのですか? いくらハルト様でも、熾天王の監視だなんて危険すぎると思うのですが……」
「なあに、平気だって」
心配そうなフレドリカ皇女に、ハルトは笑いかける。
「魔王だろうとなんだろうと、あいつは今や捕虜の身だ。話し合いの席が始まるまでは大人しくしているのがベストだって、嫌でもわかるだろ」
「そうでしょうか……」
「もちろん。それにあいつ、けっこう俺にぞっこんみたいでさ。家に帰るといの一番に駆けつけて、熱い歓迎をかましてくるんだぜ。いやー、困った困った」
「まあ! 仲良きことはけっこうですわね! ひとつ屋根の下でかつての宿敵同士が暮らして生まれる感情……ドラマが生まれる気配がします!」
「胡散臭いな……」
目を輝かせるフレドリカ皇女と、ジト目を向けてくるヴァレリー。
そんなふたりに、ハルトはどんっと胸を叩いてみせる。
「つーわけで心配ご無用。《智者の窓》も熾天王も、まとめて俺に預けといてくれって」
長くなったので分割更新。次は06/13(木)更新予定です。