二十六話 人魚姫の叫び
「どりゃあああああ!」
ズドォン!!
イヴの回し蹴りが炸裂し、怪物は海底に叩きつけられる。
その衝撃は凄まじく、あたり一帯にうねりが襲った。
怪物は岩礁にめり込んだままもがくばかり。
触手はほとんどが千切れかけており、回復も間に合わないらしい。
こぼれ出る鳴き声もどこか弱々しい。
「さあ、これでとどめよ。熾天にまたたく星々よ……」
イヴが厳かな声で呪文をつむぐ。
両手を軽く広げれば、そこに生じるのはまばゆいばかりの光である。
やがてその光は明確な形を成す。刃が彼女の背丈ほどもある――巨大な鎌だ。
それを軽々と振って、ぴたりと狙いをすませる。
「またまた出たでちー! 魔王ちゃまの伝家の宝刀! 代々の熾天王に受け継がれてきた、特級神遺物・銀月でち!」
「銀月……それは、いったい」
「超強力な武器なのでち! あの刃はどんな硬いものも、プリンのよーに切り裂いてちまうのでち!」
「なんと……!」
「解説ありがと、アスギル! それじゃあ銀月の威力……その身でとくと味わいなさい!」
刃が黒い光を帯びはじめ、周囲の海水がぶくぶくと音を立てて沸騰していく。
とてつもないエネルギーをまとったそれを、イヴは怪物にめがけて容赦なく振り下ろし――。
「熾天――」
「はーい、ちょっと失礼」
「は……!?」
そこで、一筋の光が奔った。
光はイヴの鎌にまとわりついて、ぐっと締めあげる。
刹那、鎌は光の粒子と化して消えてしまった。
呆気にとられるイヴをよそに、光は素早く岩礁の上に立つ、ハルトの手元に戻ってくる。
魔剣エクセラの刃である。
「よしよし。今日も絶好調だな」
「なっ……あなた一体なにしてくれてんのよ!」
「あー。すまんすまん。手元が狂った」
「嘘つけ! 絶対わざとでしょ!?」
殺気全開で睨みつけるイヴである。
一方、王宮の方からは戸惑いの声が上がった。
「い、今のはなんでちか……? 魔王ちゃまの銀月をどうちたのでち!?」
「ああ、そっか。こないだは本調子が出せなかったもんなあ」
アスギルの奥の手――神遺物の力を封じる結界。
そのせいで先日彼女と戦った際は、ハルトの剣技一本であしらったのだ。
今回はそうはいかない。エクセラを軽くかかげて、にやりと笑う。
「おまえの切り札と似たようなもんさ。こいつの正式名称は、特級神遺物《暴君権限》。神遺物を取り込んで……己の力として利用することができるんだ」
「知ってるわよ! それでこないだ負けたんだし! いいからあたしの銀月を返しなさいよ!!」
「はいはい、ちょっと使わせてもらったらすぐ返すって。だからしばらく大人しくしとけよ」
「ちょっ……!?」
怒り心頭で殴りかかってくるイヴに、ぽいっと縄を投げる。
自動で相手を緊縛してくれる神遺物だ。おかげでイヴは一瞬で身動きを奪われてしまう。
「勝負でこれは卑怯でしょ!? 早くほどきなさいよ!」
「いやあ、俺もちょっと運動したくなってさあ」
ハルトは肩をぐるぐる回し、ホームラン宣言さながら、びしっと魔剣を怪物へと向ける。
「これでこの剣は、銀月の力を得た。それに加えて俺の技術が合わさったら……」
そこでハルトは言葉を切って、王宮の方をちらりと見やる。
咳払いをして、やや声を大きめに――。
「そりゃもー、ものすごい一撃が出るんだろうなー。怪物なんてひとたまりもないだろうなー」
「は……あなたなに言ってんの?」
「くらったらさぞかし痛いんだろうなー!」
声を張り上げて独り言を叫ぶハルトに、イヴは怪訝な目を向ける。
だが、王宮から聞こえてくるのは歓声ばかりだ。
ネレウスが興奮を隠すこともなく檄を飛ばす。
「頼むぞ、ハルトどの! ひと思いにやってくれ!」
「おうよ! 一撃でチリすら残さず消し去ってやらあ!」
「ちょっ……それはダメでしょ! あとで美味しくいただくんでしょ!?」
「あー、そこはあれだ。気が変わったんだよ。さーやるぞー、俺はやるって言ったらやるんだからなー!」
「……なんの振り?」
イヴの問いかけには答えることなく、ついにハルトは魔剣を振り上げる。
その剣先に宿るのは黒い光――吸収した銀月の力だ。
莫大なエネルギーがほとばしり、彼を中心として渦潮が発生する。
轟々とうなりを上げる剣先。
それを、ハルトは容赦なく怪物へと振り下ろし――。
「いくぞ、デカブツ!」
「だっ……!!」
そこで、背後から熾烈な気配が生まれた。
「ダメええええええええ!!」
ぱしゅっ。
水の波動がハルトの剣を弾き飛ばす。
投げた小石がぶつかったような、ほんの小さな衝撃。
だがしかし、それでも狙いがそれるには十分だった。
ハルトが薄く笑うと同時に、莫大なエネルギーはあらぬ方向へと打ち出されて――。
天を、まばゆい光が撃ち抜いた。
「あーあ。狙いがそれちまった」
ハルトは剣を下ろして、頭上を見上げる。
海面が見えるはずのそこには、突き抜けるような青空が広がっていた。
巨大な円柱状に海が消え失せ、ぽっかりと穴が空いている。
断面は滝のように水が流れ落ち、飛び出た魚が地面をぴちぴち跳ねる。
怪物は岩礁にめりこんだまま、うねうねと触手をくねらせるばかりだった。
「今の攻撃って、いったい……って?」
イヴが怪訝な顔をする。
すぐそばを猛スピードですり抜ける人影があったからだ。
王宮の方からは悲鳴が上がる。
「さ、サリア!? 戻ってくるんだ! サリア!!」
サリアは脇目も振らずに泳ぐ。
そのまま海の空洞に飛び出して、尻尾をひきずるようにして懸命に海底を這った。
やがて彼女は怪物のそばへとたどり着く。
弱々しく触手を伸ばす怪物に、イヴが血相を変えた。
「なっ……なにやってんのよ、あの子! 今すぐ助けなきゃ!」
「いやいや、大丈夫だろ。見てろって」
「なにを呑気なこと、を……?」
そこでイヴが目を丸くする。
それどころか、王宮の方からも息を呑む気配が伝わってきた。
無理もない。
なにしろサリアが怪物を背にかばうようにして、立ちはだかったからだ。
目に大粒の涙をためて、顔は真っ赤。
小さな肩を震わせながらも、彼女はおおきく息を吸い込んで――叫ぶ。
「わたしの大事な友達を……これ以上、いじめないでほしいの!」
それから三日後。
「ほ、ほんとに……ご、ご、ごめんなさいでした!」
ハルトの屋敷に、切羽詰まった声が響く。
サリアだ。応接間のソファに腰掛けて、ぺこぺこと頭を下げ続ける。
仕立てのいいワンピース姿で、足もちゃんと人間のものである。
人魚族に伝わる擬態の魔法で、こうしていると普通の少女だ。
恐縮しっぱなしのサリアに、対面のハルトは鷹揚に笑う。
「いやいや、済んだことだし気にすんなって」
「で、でも……たくさんご迷惑をおかけしたの……」
「へーきへーき。あれくらい迷惑でもなんでもないさ」
「ハルトさん……」
サリアはうるんだ瞳をこちらに向ける。
そこで、おずおずと声が上がった。
「あのー……ちょっと聞いてもいいかしら」
イヴである。ハルトの後ろで、ソファの背もたれに肘をつきながら、じーっとサリアのことを凝視している。
「こないだちゃんと説明してもらったけど……本当にあれってサリアのペットなの?」
「ぺ、ペットじゃないの。にょろ太はわたしの大切なお友達、なの」
「にょろ太でちかー……」
イヴの隣で、アスギルが遠い目をする。
あの怪物のビジュアルにさんざん怯えていたため、コミカルな名前が釈然としないらしい。
サリアはつっかえながらも、懸命に言葉をつむいでいく。
「あの子を見つけたのは、今から一年くらい前なの。群れからはぐれたみたいで……あのときは、まだこれくらいの大きさだったの」
これくらい、と手で示すのは仔猫くらいのサイズだ。
それが岩礁の隙間に隠れるようにして、たった一匹で怯えていたのだという。
「だから、わたしがお世話しようって決めたの……にょろ太もわたしに懐いてくれたし、どんどん大きくなっていったの。それは嬉しかったんだけど……」
「デカく育ちすぎたと」
「うん……」
サリアはしゅんと小さくなってしまう。
にょろ太が大きくなりすぎて、サリアもさすがに困り果てたらしい。
だから領海の隅の洞窟で、にょろ太を隠そうとしたのだが……それがサリア恋しさのあまり、人魚族の集落にやってきてしまったのが運の尽きだった。
「にょろ太はね、いつも触手でわたしのことをぎゅーってして甘えてくるの。あのときも、みんなの前でわたしに抱きついてきたんだけど……」
「夢に見るビジュアルよね」
「父親からしたら卒倒間違いなしなのでち」
「うん……お父様、血相変えてにょろ太を追い払ったの……」
その後、彼女は父親ににょろ太のことを説明しようとした。
しかし全く取り合ってもらえず、そればかりかにょろ太は何度も集落にやってきて『姫を狙う魔物』として集落中に広まってしまった。おかげでますます言い出せなくなったという。
何度もこっそり王宮を抜け出していたのも、魔物に己の身を捧げるためではなく、餌をやったり、もっと大きな隠れ家を探してやるためだったらしい。
続きは7/5更新予定です。




