二十五話 海の中の死闘
「あと、あのへんはクラゲっぽいし、酢の物にすると最高じゃね?」
「いいわね、キュウリとワカメを添えて……っていうか、あのトゲってウニっぽいし。ひょっとして中身も美味しいんじゃ……」
「ワンチャンあるな……そうなるとウニ丼かあ……」
「わさび醤油がほしいところね……いっそもう丸ごとお鍋にしてもいいんじゃない?」
「ほう……いい出汁が出そうじゃねえか……」
ごくり。
ふたり同時に喉を鳴らす。それは決して、強敵を前にした緊張感からではない。
純粋な食欲からくる衝動だった。
「くっ、ものども! であえであえ!!」
威勢のいい掛け声とともに、人魚たちが怪物に突っ込んでいく。
槍を構えて高速で水を切るさまは、まるでカジキのようだった。しかし――。
ぺしっ。
「ぎゃああああああ!?」
怪物の触手が、あっさり人魚たちを打ち据えて、海底へと沈めていく。
巨大な目玉はそちらを見もしない。
まっすぐこちらを――王宮を目指して、ふよふよと泳いでくる。
「ちっ……! こうなったら……!」
ネレウスが槍を振るう。その先端から放たれるのはバリバリと唸りを上げる稲光だ。
それが海水を切り裂いて怪物へと突き刺さる。しかし――。
ぺしっ。
怪物の触手が、あっさりそれを弾き飛ばした。
「ぐぬぬぬ……! ついに我が雷槍でさえ通さぬか……! こうなっては娘を連れて……ハルトどの?」
たじろぐネレウスにおかまいなしで、ハルトとイヴはすっと前に出る。
「なあ、勝負のこと覚えてるか?」
「もちろん。これで決めようって言いたいわけ?」
「ああ。食いでのある獲物だろ。文字通り煮てよし、焼いてよしだ」
「いいじゃない。腕が鳴るってものよ」
指をポキポキ鳴らしたり、ぐいーっと柔軟運動をしてみせたり。
やる気満々のふたりを見て、アスギルの顔からますます血の気が引いていった。
「えっ、待ってくだちゃい。まさか、あれを食べるとか言いだしまちぇんよね……」
「もちろん食うに決まってんだろ。海産物はな、グロければグロいほどうまいって相場は決まってるからな」
「たこ焼きなら任せておきなさいな、アスギル! あたしの巧みな返し技、見せてあげるんだからね!」
「いやいやいやいや!? 正気でちか!? あんなグロいの、全力で遠慮するでちからね!? 見逃してくだちゃいなのでちーー!!」
怪物を目の当たりにしたとき以上に怯えはじめるアスギルだった。
震えて命乞いまで始める彼女を放って、ふたりはもう目前に迫った敵をまっすぐ見つめる。
「ネレウスさんよ、あいつの始末は俺たちに任せてくれ」
「なっ……勝機があるというのか!」
「もちろん! どーんと大船に乗ったつもりで見ていてくれよ!」
イヴが胸を叩いてみせれば、ネレウスの顔がぱっと明るくなる。
しかし、すぐに渋面を作ってうなるのだ。
「だ、だが……我が領土の問題を客人に解決してもらったとなっては、体面が……」
「おいおい、そんなくだらないことを気にしてる場合か?」
「なっ……くだらないことだと!?」
「だってそうだろうよ」
気色ばむ彼に、ハルトは飄々と肩をすくめてみせる。
「今がどういう状況なのかよーく考えなって。国の一大事かつ、愛娘の危機だ。体面なんか気にしてるようじゃ、守れるものも守れないぞ」
「っ……!」
ネレウスが目を丸くしてから、ぎこちなく笑う。
「まさか他種族に……しかも、人間に諭されてしまうとは思わなんだ。だが、貴殿の言う通りかもしれんな」
「だろ? おっさんは大人しくほかの人魚たちを守ってやってくれりゃいいの。それ以外は気にしなさんなって」
「あなたはもうちょっと口の利き方ってものに気をつけた方がいいけどね……?」
「はは、かまわんかまわん」
冷や汗をかくイヴをなだめるようにして、ネレウスは小さくかぶりを振る。
そうして重々しくうなずき……槍で例の怪物を指し示した。
「では、頼むぞ。ハルトどの、熾天王どの。あの怪物めを……どうか征伐せしめてくれ!」
「おうよ! 情け容赦なくぶつ切りにして――」
「あ、あの……!」
「うん?」
そこでサリアが慌てたように声を上げた。
震える唇でなにか続けようとするのだが、ネレウスがそんな彼女の肩をそっと叩く。
「サリア。おまえはなにも心配するな。この方々を信じるのだ」
「で、でも……」
「さあ! おふたりとも、よければこれを使ってくれ!」
「おっと」
ネレウスが投げてよこすのは、雫の形をした水晶だ。親指の爪ほどの大きさで、光を反射して七色に輝いている。
「これってひょっとして、神遺物か……?」
「さよう。身につけておけば、水の中でも息ができ、自由に動けるようになる。貴殿らに預けよう」
「おお、超便利じゃん! ありがとよ、そんじゃさっそく――」
「先手必勝! お先に失礼!」
「あっ、こら待て! 卑怯だぞ!?」
同じものを受け取ったイヴが、その場を一目散に飛び出していった。
王宮のドアを開き、ざぶんと海に飛び込む。その先に広がっているのは水深およそ百メートルの蒼海だが、イヴは勢いを殺さぬまま海底をひた走る。
「水の抵抗もなさそうね! これなら……いける!」
イヴの目がぎらりと鈍い光を帯びる。
そのころにもなれば、怪物はもう間近まで迫っていた。
ほかの人魚たち同様、イヴのことにも目もくれず、ただ雑にその触手を振り下ろす。
イヴの華奢な体ではひとたまりもないだろう。だが――。
「《輝ける熾天の――」
イヴは海底を蹴りつけ飛び上がる。
体を弓のようにしならせ振りかぶる右手は、まばゆい光を放っていた。
それを容赦なく――迫り来る触手めがけて叩きつける!
「――鉄槌》!」
「ッッッッ!?!?!?!?」
瞬間、触手が半ばから消失した。その断面は弧を描き、つるりとしたもの。
一拍遅れてそこから灰色の体液が吹き出して、怪物が絶叫を上げる。
生き物の発するものとは思えない、ガラスを引っ掻いたような怪音が海一帯に響き渡った。
「はえ……!? で、出たでち! あれこそが魔王ちゃまの必殺技!」
怯えて泣いていたアスギルが、涙をぐいっとぬぐって叫ぶ。
「魔王ちゃまはその有り余る魔力を、すべて腕力に変換することができるのでち! あの技を使ったが最後……魔王ちゃまのこぶしは、山さえ砕く超絶パワーを秘めるのでちー!」
「お、おお! さすがは熾天王どのだ! だが注意してくれ! そやつの触手は何度でも再生する!」
「ええ……どうやらそうみたいですね」
イヴが見守るなか、触手の断面が膨れ上がり、瞬く間もなく元どおりの形を作り上げる。
かくして怪物はやっとイヴを見た。
その巨大な一つ目は、まるで濁ったガラス玉だ。
どんな感情もうがいしれない。
だがしかし、機械のような冷徹さでイヴを捉えて離さない。
どうやら排斥すべき敵と認識したらしい。
イヴはにたりと口の端を持ち上げる。
「いいじゃない。だったら……再生する暇も与えず、ちぎり尽くしてやるのみよ!!」
イヴは吼え、さらに拳を振るう。シンプルな強打。
抉るような刺突。肘鉄に膝蹴り。
凄まじい攻撃の連打を受けながらも、怪物は体を震わせながら触手を振るう。
おかげで王宮からは歓声が上がった。
「おおっ! 素晴らしい!」
「ふっふーん、さすがは魔王ちゃまなのでち!」
「ええい、イヴのやつ好き勝手やりやがって……だったら俺も――」
ハルトは舌打ちし、腰の剣を抜こうとする。
しかし――。
「……おっと?」
そこでふと、気になることができた。
続きは7/4更新予定。
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