二十一話 そして衝突
「で、魚から取ったスープに味噌を溶いたものが味噌汁だ」
具材はいろいろ。白菜や大根といった野菜から、ワカメや卵など。
変わり種ではトマトなども入れるらしいが、やっぱり定番といえば――。
「定番の具は、やっぱ豆腐と油揚げなんだよなあ」
「それってつまり……全部、豆じゃないでちか!?」
「うん。そうだけど? なにを当たり前のことを言ってんだ」
「いやいやいや!? 豆で豆を煮込むってことでちよね!? 豆を食べないと死ぬとしても……そんな回りくどい食べ方なんてありまちゅか!?」
「まあ、改めて言われてみると豆ばっかだなとは思うけど。ちなみに、味噌汁とご飯と納豆っていう食品の三点で、完璧な朝食メニューになるんだけど」
「なっとー……? これもまた嫌な予感でち」
「臭いのきつーい、ねばねばした……豆だ」
「また豆!? しかもねばねばってそれ、腐っていまちぇんか!?」
「腐敗じゃなくて発酵だっつーの。ちなみに、納豆には醤油をかけるとさらに美味しくなって――」
「いやーーーーーっ! ホラーでち! 豆のヘンタイ民族なのでちーーー!」
頭を抱えてぷるぷる震えるアスギルだ。
あまりに反応がいいので、ちょっと遊んでしまった。
しかし嘘はひとつも言っていない。
懐から《智者の窓》を取り出して、大豆加工食品を検索してみる。
「その程度で怖がってもらっちゃ困るな。豆腐の食べ方だけでも、ほら。こんなにずらっと名前が並ぶくらいあるんだぞ。たとえば高野豆腐っていう料理は、豆腐を乾燥させてそれを煮込むんだけど」
「いったいなんの意味が!? き、聞けば聞くほどヘンタイとしか思えないのでち……魔王ちゃま、悪いことは言わないでち。そんなおかしな前世の故郷なんて忘れて、この世界をしっかり生きるのでちゅよ!」
「アスギル……」
アスギルは真面目な顔で、ぎゅっとイヴの手を握る。
道を踏み外しかけた主君を諭すような目だ。
イヴはその目にまっすぐ射貫かれて、ぐっと言葉を詰まらせる。
しかし、すぐに目をそらしつつ、ぼそぼそと言うことには――。
「たしかに日本の食文化は独特よ。異世界人のあなたからしてみれば、余計におかしなものに見えるはず……でも、素材をどう美味しく食べるかへの情熱だとか、季節ごとの豊富なメニューだとか、いいところもたくさんあって……」
「ま、魔王ちゃま……?」
「ごめん、アスギル。やっぱりあたし……」
そこで小さく喉を鳴らし、イヴは震える手を伸ばす。
箸で刺身をつまんだかと思えば、そっと醤油に漬けて――。
「お醤油やお味噌を……日本料理を裏切ることなんてできないわ! あむっ!」
「魔王ちゃまあ!?」
「ふっ、ようやく認めたか」
ハルトは口の端を持ち上げて、不敵に笑う。
勝利を確信して、イヴへとびしっと人差し指を突きつけた。
「さあ、観念して言うんだ! 和食は世界一うまいってな!」
「そ、それは……」
しかしイヴは唇をかみしめて、箸をにぎる手に力を込めた。
苦しげに眉をよせて、こぼすことには――。
「たしかにあたしの魂は、まだ和食の味を求めてる。お造りを食べるだけで、こんなに胸があったかくなるんですもの。この気持ちにはあらがえない。でも……」
「でも、なんなんだよ」
「それを言ったら、あなたの思うツボな気がして死ぬほど癪っていうか……これの同類になるのかーって思うと心が死ぬっていうか……」
「そんなくだんねー理由かよ!? おまえどんだけ俺のこと嫌いなの!?」
「はあ? 逆に聞かせてもらうけど、好かれる要素があると思って?」
目をつり上げて、イヴは真っ向からハルトをにらむ。
「勝手に城に乗り込んできて、あたしをさらって力を封じて、散々振り回してくれたでしょ。好感度なんか最初からマイナスに振り切ってるんだから」
「ぐっ……それでも美味い飯を食わせてやっただろうが!!」
「その程度で埋め合わせできると思わないでちょうだい! プラマイゼロにはほど遠いのよ!」
「こんなに食っておいてそれを言うの!? あといい加減に食うのやめろよ! 俺の分がなくなるだろうが!」
「ああっ! あたしのお造りになにすんのよ!」
「俺が釣ったんだから俺のだっつーの!」
「なによケチ!」
「うるせえ! いいから『美味い』って言えよ頑固者!」
ふたりは罵り合いながら、刺身をむさぼり合った。
あっという間に皿には骨だけが残されて、最後の一切れは……。
「もらったわ!」
「あっ、こら!?」
一筋の光が奔る。
その刹那、刺身は消えて、イヴの口の中へと消えていった。
まるで達人が揮う刀のような箸捌きだ。
つける醤油の量も完璧で、一滴たりとも跳ねたりしなかった。
じっくりその一口をかみしめて、イヴは顔をほころばせる。
目尻はとろんと落ち、頬にはうっすら紅が咲いた。
「ん~~~~! 百年ぶりに食べたけど、やっぱり新鮮なお造りは最高よね!」
「く、くそぉ……だったら言えよ! 美味いって!」
「あら、ちゃんと言うわよ。心の中で」
「てめええええ……」
ハルトがにらみつけても、相手はどこ吹く風である。
ちゃんと両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言えるのは偉いが、もう少し素直になってもいいと思う。
(くそっ……ここまで来たら、何が何でも絶対に『美味い』って言わせてみせるからな!)
ますます闘志の炎を燃え上がらせるハルトだった。
そんなやり取りを、アスギルは遠巻きに見つめている。
その顔色には色濃い疲れがうかんでいた。
「はあ……魔王ちゃまが遠いところに行ってしまったのでち……史上最年少で魔王の座についた才女だというのに……」
大皿に残った魚の骨をつんつん突き、盛大なため息をこぼす。
「まったくどこがいいのでちかねえ。火を使うことも知らない、野蛮なお食事なんて」
「……なに?」
ぴくり、と眉を寄せるハルトだ。
これまで散々日本食についてヘンタイだのなんだの言われてきたものの、こればかりは聞き捨てならならなかった。
「刺身だけで日本を分かった気になってもらっちゃ困るな。日本料理には、ちゃーんと火を使う料理だってあるんだぞ」
「そうよそうよ! たしかにお造りも美味しいけど、ちゃんと調理したお魚だって負けないくらい美味しいんだからね!」
「ええ……魔王ちゃままで抗議に加わるんでちか。というか、おさしみ? おつくり? ほんとの名前はどっちなのでちか?」
「あー、関西はお造りって言うんだっけ。やっぱおまえ、関西出身だろ」
「う、うるさいわね! そんなことはどうでもいいの!」
ぴしゃっと切り捨ててから、イヴは咳払いをひとつした。
そうしてハルトへにやりと不敵な笑みを向けてくる。
「日本食で魚といえば……代表的なお料理があるわよね」
「うんうん。もちろんだ」
ハルトも鷹揚にうなずき返し、ふたりは一斉に口を開く。
「焼き魚だよな!」
「煮魚よね!」
広い大海原に、ふたりの声が大きく響く。
それからしばし船の上を、重めの沈黙が支配した。
ざざーん、ざざーんと穏やかな波の音が、むなしく響く。
やがて、ふたりはゆっくりと首をかしげる。
「「……うん??」」
「おっと、雲行きが怪しくなってきたのでち」
アスギルがどうでもよさそうにつぶやいた。
だが、そちらにかまっている暇はない。
イヴとハルトは同時にごくりと喉を鳴らす。
「えっ、普通ここは焼き魚だろ? たとえばサンマだ。ぱりっと焼いた、脂たっぷりの身を箸でほぐしてさ、大根おろしに醤油を垂らして、白米と食うんだよ。これ以上の食い方があると思うか?」
「お言葉だけど、煮魚だって負けちゃいないわ。たとえばそう、金目鯛ね。薄くスライスしたショウガと一緒に、じっくりことこと煮込む。そうするとつやつやの身にしっかり味がしみこんで、お米とすっごく合うんだから」
「はあ? 日本人ならみんなが大好きな子持ちししゃもだって焼き魚なんだぞ」
「あら、お忘れかしら。サバの味噌煮も煮魚なんだけど」
「ああ言えばこう言う……! ウナギの蒲焼きだって焼き魚なんだぞ!?」
「高いからっていい気にならないでくれる!? イカナゴのくぎ煮っていう庶民の味だって煮魚なのよ!」
「い、いか……なに?」
「イカナゴのくぎ煮を知らないの!? こう、ちっちゃいお魚を甘辛く炊いた、ご飯のおとも!」
「それも多分、関西限定なんじゃないかなあ……あと、『炊く』のは米だろ。魚は『煮る』じゃね?」
「うるさいわね! こっちじゃ魚もおでんもぜーんぶ『炊く』ものなのよ!」
そのまま双方、焼き魚と煮魚のいいところを心ゆくまで論じ合った。
しかし議論は堂々巡り。両者一歩たりとも譲ることなく、肩で息をして互いの顔をじっと見つめる。
「い、いいじゃねーか。そっちがその気なら……」
「ええ。こうするしかないわよね……」
ばしっ!
どちらからともなく拳を突き出し、打ち付ける。
「焼き魚と煮魚、どっちが美味いか……勝負だ!」
「望むところよ!」
「もういいから帰りまちょーよぉ……」
続きは6/30更新予定。




