二十話 シリアスな話と刺身
逆ギレをかましてみせてから、イヴはごほんと咳払いをする。
ちょっと真面目な真顔を作ってみせて――。
「そもそもあたしがまだこの国にいるのは、大きな目的あってのことなのよ。あなたの道楽にこれ以上振り回されちゃたまらないわ」
「あー、真の敵を見極める云々っていう?」
「そう! それよ!」
我が意を得たりとばかりに、顔を明るくするイヴだった。
イヴの熾天領と、ハルトが現在世話になっているハイニック皇国。
両者の関係が悪化したのは、とある事件がきっかけだった。
ハイニック皇国の国境付近で、商団が魔物に襲われたのだ。
幸いにして死者こそ出なかったものの、この事件から両国の間は険悪なムードが漂い始める。
だが――。
「このまえ、その襲われたっていう商人さんに会いに行ってきたの。それでよーく話を聞いてみて分かったのよ。あの人たちを襲った魔物はちょっと特殊な種族で……うちにはひとりもいないの」
おまけに変化ができる魔物には、全員アリバイがあったという。
つまり、どこかの流れの魔物が起こした事件。もしくは――。
「おまえのとこの熾天領と、ハイニック皇国を衝突させたい何者かが仕組んだ罠……ってところか」
「その通りよ。バカでも物の道理はわかるようね」
イヴは鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべてみせる。
「だったらやることはひとつだわ。その何者かをなんとかしてあぶり出す。そのために、あたしはここにいるの」
敵が二国のどちらを狙っているのか、はたまた両者の共倒れを望んでいるのか、まるで分からないのが現状だ。
ゆえにフレドリカ皇女とイヴは秘密裏に手を結んだ。
イヴは表向きは捕虜として――実際のところは即座に動ける戦力として、この国に留まり続けることになった。
その方が意見の交換もしやすいし、有事の際にはすぐに連携が取れる。
「敵の狙いがなんであれ、二国の関係が変化したのなら何か行動を起こすはず。だから今は待ちの時なのよ。それくらい、あなたもわかってるはずでしょ」
「まあな。俺もいつの間にか、この国のおかかえ魔剣士なわけだし?」
これは熾天領とハイニック皇国の問題だ。
ゆえに、流れ者であるハルトには何の関係もない。
神遺物《智者の窓》を借りる分の仕事はすでにもう終わったはず。
それなのに――。
『あの別荘地……ハルト様がお住まいになってから、異臭騒ぎはもちろんのこと、おかしなうめき声や笑い声が聞こえるって噂が流れておりまして。おかげで地価が大暴落しているんですよね。はあ、どうしましょうか……我が国を代表する高級別荘地でしたのに……このままでは観光シーズンの集客に差し支えてしまいます……』
『す、すんません……』
先日お茶に誘われた際、フレドリカにため息をこぼされたことが、今思い返しても胃痛を招く。
そういうわけで、その責任を取るために、さらなるただ働きを約束させられたのだった。
「まあ、そのかわり地下室のことは不問になったし、俺としちゃ問題ないんだが……おまえはいいのかよ」
「あら、どうして?」
「だってこっちにいるってことは、自分の領土を放置するってことだろ? いざ問題が解決して帰ったら、そっくりそのまま国を盗られてた……なんてことにもなりかねないぞ」
「心配ご無用よ。このまえアスギルに頼んで伝言をしてもらったから。ね、アスギル」
「は、はいでち。いったん戻って『しばらく留守にするけど心配するな』とみんなに伝えまちたでち」
アスギルはいくぶん硬い面持ちで、こくこくとうなずく。
ぐっと親指を立ててみせて――。
「そのついで、謀反を起こしそうな奴ら全員に、凶悪な細菌を感染させてきたのでち。魔王ちゃまに反旗を翻したが最後、やつらは骨すら残らず溶けて消えるでちょう!」
「よろしい! それでこそあたしの右腕だわ!」
「物騒だけど的確な対処法だなあ」
「当然でしょ。あたしは誇り高い魔王のひとりなんだから。力も無事に取り戻したことだし、絶好調よ」
そう言って胸を張るイヴの角には、以前と同じ赤いリボンが巻かれている。
ハルトの所持していた神遺物――《神縛の結び目》。
相手の力を封じるこのリボンを用いて、彼女の力を九割方削っていた。
しかし、今はそのリボンからなんのオーラも感じられない。
この国と同盟を結んだ結果、晴れて封印解除の許可が下りたのだ。以前に
イヴはにたりと笑って海を見やる。
遙か遠方、南の方角にはハイニック皇国がうっすらと見える。
この近海もまた、あの国の領土なのだ。
「それにしても、うん。いい国よね、ここは。むぐもぐ。フレドリカも人間のくせに見る目があるし……あむ。面倒な小バエを片付けたら、もぐ、本気で盗りにきても、もぐもぐ、いいかもしれないわね」
「ふーーん」
あからさまな国盗り宣言に、ハルトは生返事をするしかない。アスギルでさえ「はあ」と曖昧な相づちを返すだけだった。なんと答えていいか考えあぐねているらしい。
なにしろ――。
「なあ、イヴ。シリアスな話がしたいなら……まず、その手を止めてくれないか?」
「へ」
ぽかんと目をみはるイヴだった。
そのまま彼女は己をゆっくりと見下ろす。
はたしてその手には箸がしっかりと握られていて――まさに今、刺身の一切れを醤油に浸しているところだった。
シリアスめいた話の最中、彼女はずーっと刺身をぱくついていたのだ。
おかげで大皿いっぱいに並んでいた切り身は、その半分以上が消えていた。
凍り付くイヴに、ハルトはにやりと笑う。
「あ、ひょっとして無意識だったか? いやー、そんなに美味そうに食ってくれるなら釣ったかいがあるってもんだわ」
「魔王ちゃま……そんなに食いしん坊キャラでちたっけ?」
「ぐうっ、ち、違うわよ! こいつが変な魔法でもかけたんでしょ!」
「んなことしねえよ。刺身への冒涜じゃねえか」
だいたい、魔法がかかっていればイヴ自身が気付くはず。
自分でも言いがかりだと分かるのか、イヴはぐうっと唸ってからは顔を真っ赤に染めて黙り込んでしまう。
それでも最後の一切れはしっかり口へと放り込み、よーく噛んでから飲み込んだ。
「魔王ちゃまと、そこのヘンタイの前世が同郷っていうのは理解しまちたけど……」
イヴとハルトを見やって、アスギルはため息をこぼす。
アスギルには先日、ふたりの前世のこを説明してあった。
こちらの世界では、輪廻転生は当たり前の概念だ。
宗教的な価値観というわけではなく、ただ『実際に存在する自然現象』として受け入れられている。
しかし、アスギルは納得ができないらしい。
醤油の溜まった小皿を手にして、くんくん匂いを嗅いで顔をしかめる。
「やっぱり変な匂いなのでち。甘いよーな、しょっぱいよーな……そんなに夢中になるほどのお料理とは思えまちぇん」
「ま、外国……いや、異世界人には馴染みのない匂いだろうけどさ。おまえにもいつか日本の味ってやつを分からせてやるからな!」
ハルトはアスギルにも宣戦布告をしておく。
和食はたしかに独特の味付けが多い。だがしかし、海外から多くの観光客が詰めかけて、天ぷらや蕎麦に舌鼓を打つ……なんてニュースは、前世でよく目にしていた。
(だからきっと、この味は異世界でも通用する!)
ハルトはそう信じているのだが、アスギルは顔をしかめて小皿を押しつけてくる。
「こんなの遠慮するでち。腐り豆汁なんて、いくらお腹が減ってもごめんなのでち」
「えー、そう言うなって。味噌もそろそろ完成するはずだし、もっといろんな和食を食わせて――」
「お、お味噌……!?」
イヴがガタッと腰を浮かせる。
そこに浮かんでいるのは、笑い泣きのような引きつった表情だ。
すがるような目をハルトに向けてくる。
「お味噌って……本当にあのお味噌なの?」
「あ、ああ。味噌もだいたい醤油と似た作り方みたいでさ。今は白味噌とか赤味噌とか、いろいろ試してるところなんだよな」
大豆や麦を蒸して、麹菌を加えて寝かせる。
醤油とほとんど同じ作り方だが、熟成期間や、豆を蒸すか煮出すかで、味噌は色や風味が変化する。
そのため、少しずつ最適解を模索している最中なのだ。
「お、お味噌……お味噌ができたら、本当にいろんなお料理が食べられるやん……お味噌汁やろ、味噌炊きやろ……あと味噌煮込みうどんなんかも……うわああああ」
ぶつぶつと呟いて、頭を抱えてしまうイヴである。
一方でアスギルの方はあからさまに『うへえ』という顔をする。
「それってあれでちよね。腐り豆のペースト、でちたっけ」
「そうそう。おまえ、名前は覚えねえくせに製法だけは覚えるんだな」
「当然でち。あたちが生み出した菌、どうやって使われるのかは気になりまちゅから。でも……そんなの、本当においちいのでちか?」
「当たり前だろ。さっきイヴが言ってた味噌汁なんて特に絶品だからな」
ハルトは遠い目をして、懐かしい味噌汁を思い起こす。
両手でお椀を持ち上げれば、手のひらに心地よいぬくもりが伝わる。
ふんわり香る、出汁と味噌のハーモニー。
そっとすすれば口の中いっぱいに旨味が広がり、体の芯まで温まる。
……鮮明に妄想した結果、あふれてきた唾をごくりと飲み込む。
「あー……早く食いてえなあ……そうなると豆腐の製造にも手を付けないとか。豆腐と油揚げの味噌汁とか最高じゃん? なあ、イヴ」
「うっ……お、おとーふに、あぶらあげ……!? そ、そんなことが許されていいの……!?」
「なんでちか……その食材たちは?」
「うーん、手短に説明するとだな」
豆腐も油揚げも、日本人にとってはなじみ深いものだ。
ゆえに説明も簡単だ。
「豆腐は、豆の汁を搾って固めたものだ」
「はあ。また豆でちか」
「そんで、その豆腐を薄く切って揚げると、油揚げになる」
「……うん?」