十九話 刺身in異世界
イヴは顔を真っ赤にして、びしっと人差し指を突きつけてくる。
「ともかくあなたと手を組むなんて、意地でも認めないんだから!」
「ふっ、いいさ。そんな口が叩けるのも今のうちだ」
ハルトはそれに真っ向から立ち向かう。
ふたりの間に見えない火花がバチバチと散って、穏やかなはずの海上にかすかな緊迫感が漂った。
(まあ……こいつに味見をさせるって目的は、完全に達成できてるわけだけど?)
そもそもイヴを引き入れようと思ったのは、『正しい和食が作れているか確認するため』である。
ひとりより、ふたりで味見した方がより正確な味に近づける。
よって、イヴに和食を――卵かけご飯を食べさせた時点で、ハルトの勝利だった。
なにしろ彼女、嘘がつけない素直な性格だ。
ちょっと煽ればハルトの用意した料理を食べてくれるし、味の感想はすぐ顔に出る。
今の喧嘩腰でも、味見要員にはまるで問題がない。
しかし――。
(ここまできたら、なにがなんでも素直に美味いって言わせたいだろ……!)
そう。あの卵かけご飯の宴でも、結局イヴの口から『美味しい』という言葉を引き出せないまま終わっていた。
これはプライドを賭けた戦いなのだ。
ハルトはにやりと笑いつつ、小皿に醤油を注ぐ。
ついでに箸で皿の一切れをつまめば、もちっとした弾力が伝わってくる。
「この刺身を食べたが最後、泣いて俺におかわりを願うことになるだろうからな……! それじゃ早速……いただいまーす!」
「あっ……!」
ちょいっと醤油を付けて、ぱくっと口へ放り込む。
イヴが悲鳴のような声を上げるが、かまってなどいられない。
なにしろ一度噛んだ瞬間に、口の中いっぱいに幸せが広がったからだ。
ぷりぷりした白身は脂っこくなく淡泊で、噛めば噛むほど甘みがにじみ出る。
その甘みを引き立てるのは醤油の塩気だ。
甘さと塩気がこれほど調和するものだということを、今の今まで忘れていた。
こちらの世界では『甘じょっぱい』という味の概念はあまりないからだ。
味も弾力も抜群だし、なにより鼻から抜ける潮の香りもたまらない。
ビールや日本酒が恋しいところだが、あいにくまだハルトは未成年だ。後の楽しみに、ここはぐっと我慢しておく。
「かーーーっ! やっぱ刺身はうめーな……って、なにやってんだよ! アスギル!」
「はい?」
きょとんと小首をかしげるアスギルだ。
彼女はあろうことかフォークで切り身を刺して、魔法の炎でじわじわと炙っていた。
切り身は次第に丸まっていき、しみ出した油が雫となって床に落ちる。
これはこれで美味しそうだが、素焼きなど店でも食べられる。
そう抗議するのだが、アスギルは心底いやーーーな顔で。
「たとえ虫唾の走る相手だろうと、出された食事はいただくのがマナーでち。だから嫌々いただいてやりまちゅが……生は遠慮したいのでち」
「えー、生の魚料理くらいこの世界にもあるだろうに」
「あるにはありまちゅ。でちが、あたちは菌に造詣が深い分、そういうものへの警戒心が人一倍強いのでち」
「まあたしかに、雑菌とか寄生虫とかいろいろあるけどさ」
フグのように毒を持つ魚もいることだし、警戒しすぎるくらいがちょうどいいのかもしれない。
とはいえここは魔法の存在する世界だ。解毒の手段はいくつも存在する。
アスギルが不満なのは、どうやらそれだけではないらしい。
じとーっとした目を向けるのは、小皿に溜まった醤油である。
「おまけに、またその腐り豆汁でちか……いったいなにがいいのやら」
「腐り豆汁じゃなくて醤油だって何回言えば覚えるんだよ」
「うるちゃいでちゅ! か、カビで作ったしょっぱい液体なんて、ぜーーーったい口にしないでちゅからね!」
敵意むき出しに叫んでみせて、魚の切り身にかぶりつくアスギルだった。
彼女がこの国に攻めてきたのが半月ほど前のこと。
醤油造りが一段落してからもその身柄はハルトのもとに預けられることとなり、今でも同じ屋敷で暮らす仲である。
見た目だけなら美少女だし、ゆったりした衣装で隠れがちだがスタイルも良好。
そんな相手と同居となると、ちょっとエッチめのハプニングが起こってしかるべきなのだが、今のところ一切そんな気配はなかった。
なにしろアスギル当人が、いまだにハルトへ敵意むき出しなのだ。
「はあ……来る日も来る日も腐り豆汁ばかりでち……いい加減に、もっと人道的な食事を要求するのでち!」
「いやでも、おまえはともかくとして、イヴは困るんじゃないかな?」
「はあ!? そんなわけ――」
そっとハルトが指さす方を見て、アスギルが言葉を失った。
イヴが大皿の前で、せっせと箸を動かしていたからだ。
眉根にしわを寄せた神妙な顔をしつつも、素早く刺身を口へ放り込み続けている。
「あー……これは紛れもなくお造りだわ……脂が少なめでさっぱりしたお味だし、ヒラメとかイサキに似たお魚ね……身はぷりぷりしてるし、臭みもないし、やっぱ新鮮だとこうも違――っ!」
そこで注視されていることに気付いたのだろう。
イヴはハッと肩を震わせて、ぶんぶん首を横に振る。
「ち、違うからね!? これはその……そう! あなたのことは気に入らないけど、お料理に罪はないから! 早く食べないと傷んじゃうでしょ! 別にそんな……お造りの味が懐かしくておもわず、とかそんなんじゃないから!」
「めっちゃ早口じゃん」
「魔王ちゃま……」
「ええい、そんな目で見るな!」




