一話 最強魔剣士の偉大なる野望
ハイニック皇国は、大陸の北西に位置する大国だ。
広大な国土は大きな山脈を有し、さらに海に面している。
おかげでさまざまな産業が盛んで、とくに有名なのは観光業だ。
あちこちで温泉が湧き出るうえに、冬場の銀雪をいただくハイニック王城は世界絶景百選にも選ばれるほどの人気スポットとなっている。
王都には大きな港があるため交易も活発だ。
さまざまな種族が入り乱れて商売を行うため、秘境の奥地でしか手に入らないような激レア魔法アイテムが、ここではそのあたりの露天で投げ売りされていたりもする。
商人にとっても夢のある場所だし、魔法を学ぶ者にとっても天国のような場所だ。
観光、商売、研究、腕試し…………多種多様な目的を持った者たちが、この国に集まってくる。
誰が呼んだか世界のへそ。
千年にも及ぶ歴史を誇る、世界有数の大国だ。
ハイニック皇国の王都――グラッドストン。
その都の中心にそびえる巨大な王宮にて、本日は英雄をたたえる式典が執り行われていた。
居並ぶ兵士たちが見守る中で、荘厳な鐘の音が響く。
「静粛に! フレドリカ皇女のおなりである!」
その場の者たちが、一糸乱れぬ動きでひざまずく。
やがて侍女に付き添われて、ひとりの少女が現れた。
フレドリカ・ヴォルテール=ハイニック皇女。
まだ十代半ばの少女だ。肩のあたりで切りそろえた銀の髪は活発そうな印象を与えるが、新緑色の瞳には深い知性をたたえている。
王座の前に立ち、彼女はにこりと微笑んだ。
その視線の先に立っているのは、黒髪黒目の青年――ハルトだ。
「この度はありがとうございました。ハルト様」
「いやいや、当然のことをしたまでさ」
ハルトは膝をつくこともなく、軽い調子でへらりと笑う。
一国の君主相手に取るべき態度ではない。つまみ出されても文句が言えないが、誰ひとりとして咎めようとする者はいなかった。
もちろん、フレドリカ皇女も笑みを崩さない。
玉座にかけてから、彼女はあらためて切り出した。
「あなた様にお声をかけて正解でした。今はまだ後始末が残っておりますが……ゆくゆくは熾天領とも、以前よりも良好な関係を築いていけるはずでしょう」
「あーうん、それはよかった」
「でもハルト様には驚かされましたわ。まさかお話を受けていただいた次の日には、熾天王を撃破してしまうなんて」
フレドリカ皇女はうっとりと頬を染める。
「さすがは名高い魔剣士、ハルト様です。実はわたくし、あなた様のお噂はかねがね伺っておりまして」
そうして彼女が語るのは、ハルトの打ち立てた伝説の数々だ。
最強と名高い魔王――愚天王に認められた唯一の人間だとか。
生身で竜を撃破しただとか。
世界各地に現地妻がいるとか。
そんな九割真実の噂を熱く語り上げ、フレドリカ皇女は興奮を抑えることもなく、きらきらと輝く眼差しを送ってくる。
「いつかお目にかかりたいと思っておりましたが……まさか、ここまでお強いなんて驚きです」
「あはは、そりゃどうも」
「ぜひとも此度の戦いや、そのほかの武勇伝をお聞かせくださいませ。あっ、できれば後でサインもいただければ――」
「あー、でもその前にひとつ」
ハルトはおずおずと片手をあげて、皇女の言葉を遮った。
兵士や侍女たちがさすがに顔をしかめるが、おかまいなしだ。
「その……皇女さん? けっして急かすわけじゃないんだが、例の件はどうなったかな」
「もちろん用意しておりますとも。にい……いえ、ヴァレリー。ここに」
「……はっ」
彼女が手を叩けば、ひとりの男がやってくる。
銀縁眼鏡をかけた青年だ。くすんだ灰色の髪を一つくくりにしており、年はハルトよりすこし上くらい。それでもその眉間には、年不相応なほどの深いしわが刻まれている。
彼が手にしていたのは、一抱えほどもある小箱だった。
きらびやかな宝石がちりばめられた、小箱の蓋を開けば――。
「こちらが我が国が保有する三級神遺物。《智者の窓》だ」
「こ、これが……」
中に収まっていたのは、薄い石版だった。
凹凸のないのっぺりとした白い石で、大きさは広げたノートくらい。子供が文字の練習に使うくらいしか、用途を見出せないような代物だ。
それでもその石版を前にして、ハルトはごくりと生唾を飲み込んだ。
フレドリカ皇女はにっこりと笑う。
「約束通り。今回の報酬として、一年の間その品をあなた様にお預けいたします。ですが、貸与の条件として――」
「ああ、もちろんわかってるって」
石版を見つめたまま、ハルトは生返事をする。
「この石版を借りている間は、ここハイニック皇国にとどまれっていうんだろ。どうせ俺は根無し草の流れ者だ。それくらいお安いご用だよ」
「申し訳ございません。等級が低いとはいえ、そちらはまぎれもなく我が王家の宝。いくら英雄のハルト様とはいえ、無条件で貸与できるものではないのです」
「いやいや、全然かまわねーよ。家も貸してもらったことだし、むしろ願ったり叶ったりだ」
「ありがとうございます。ではヴァレリー、ハルト様にそちらを」
「……承知いたしました」
ヴァレリーと呼ばれた青年が、うやうやしく石版を差し出してくる。
ハルトは手汗を拭ってそれを受け取った。
《智者の窓》と呼ばれた石版は見た目以上に軽く、これまで触れたどんな材質とも異なる手触りだった。しかし指先から伝わるのは、底知れぬ濃度の魔力だ。
かつてこの世界を治めていたという、古き神々。
そんな彼らが作ったとされる不可思議な道具こそが、神遺物と呼ばれるものだ。
世界のあちこちに無数に散らばる品々のなかには、世界を揺るがすほどの力を秘めたものもあれば、ちょっと便利な日常道具といったレベルのものまで存在する。
ハルトが今手にしている石版も、そのうちのひとつだ。
(ようやく、これが手に入った……!)
ハルトは石版をつかむ手に、ぐっと力を込める。
こんな場所でなければ、おもわず快活を叫んでいたことだろう。
なにしろこの神異物は、ハルトがずっと探し求めていた代物で――。
「解せんな」
そこで冷え切った声が、ハルトの鼓膜に突き刺さった。
おもわず顔を上げれば、例の青年――ヴァレリーが険しい視線を向けていた。
「な、なにが解せないって?」
「貴殿のような者が、なぜこんな代物を欲するのだろうと思ってな」
ヴァレリーは眼鏡を直し、ハルトを値踏みするようにじろじろと見つめてくる。
体温を感じさせないその目は、蛇を思わせるものだった。しかも毒を持つ種ではなく、じわじわとその身で締め殺すタイプの――。
彼は瞬きもせず、淡々と言葉を紡ぐ。
「その《智者の窓》は、異世界の知識を示す代物だ」
「あ、ああ。そうみたいだな」
彼の言うとおり。
この石版は、こことは別の世界の知識を教えてくれる。
それだけなら利用手段はいくらでも存在するはずなのだが……ひとつ、致命的な問題があった。
「《智者の窓》が映し出す知識には限りがある。
異世界の魔法や科学技術、戦術に軍略……そうした悪用されやすい知識は、軒並み覗けない仕様になっている」
「まあ、当然だろうな。さすがに神様たちもそんなやべー情報、俺たちに見せたくないだろうし」
もしも異世界の軍事技術などが流入してしまえば、この世界はきっと大混乱に陥るだろう。
そのためかこの石版は、世界の平穏を乱すような知識を一切シャットアウトしてしまうのだ。
「ゆえに、その板から得られる知識にはろくなものがない。せいぜいが異世界の娯楽や食文化など……外国の生活を記した素人旅行記、といった程度の価値しかない代物だ」
「じ、自国の宝に散々な言い草だな……」
「お許しください、ハルト様。ヴァレリーはいつもこうなのです」
フレドリカ皇女は頬に手を当てて、軽いため息をこぼす。
どうやら彼女にとって気の置けない臣下というやつらしい。呆れはしても、咎める気はさらさらないようだ。
それどころか、彼女自身も目を輝かせてハルトに探りを入れてくる。
「でも、わたくしも気になっていたんです。ハルト様はいくつもの神遺物を所持していると聞きますわ。なかには特級や禁級もあるといいますし……そんなものを手にしていながら、なぜ《智者の窓》などが必要なんですか?」
「うーん……話してもいいんだけどな。たぶん、信じてもらえないと思うし」
ハルトは苦笑するしかない。
「でもこれだけは確実に言える。俺の夢を叶えるためには、この石版がどうしても必要なんだ」
「まあ、夢ですか! ロマンですね、わくわくしちゃいます! そういうことでしたらこのフレドリカ、全力でハルト様の夢を応援いたしますわ!」
「軽々しい発言はお控えください、陛下。あなたの言葉は、そのままこの国の総意となってしまうのですよ」
彼女に釘を刺してから、ヴァレリーはあらためてハルトをにらむ。
「……わからないことは他にもある。なぜわざわざ、あの熾天王を捕虜として連れてきた」
「うーん、成り行きかな」
ハルトはへらへらと笑うだけだ。
次回は6/13(木)更新予定です。




