十七話 転生魔王も和食を食べる
ハルトはあっという間に、その一膳を平らげてしまった。
べたついた口元を拭うことも忘れ、ほうっと吐息をこぼす。
「うん……やっぱ俺、日本人だわ」
紛れもなく、ハルトはこの世界に生まれた人間だ。
だが醤油の味だけでこれだけ幸せになれるなら、日本人を名乗ったってバチは当たらないだろう。
「あー、美味かった。イヴはどう……イヴ?」
「…………」
箸を持ったまま、イヴは完全に固まっていた。
茶碗の中身は減っておらず、どうやら一口目を口にふくんだ状態のままらしい。
(えっ、ひょっとして気に入らなかったのか……いや……違う?)
イヴの表情が、すべてを物語っていた。
目元は完全に潤んでいて、かすかに開いた唇からは熱い吐息がこぼれ出る。
まるで恋する少女のようだ。
そんなぽーっとした表情のまま、固まっている。
理由なんてひとつしか考えられなかった。
「ひょっとして……美味すぎてフリーズしてる?」
「っ…………そ、そんなわけないでしょ!」
弾かれたように、イヴが箸を動かし始める。
「むぐむ、た、たしかにこれはお醤油の味だわ。間違いない。卵もお米も美味しいけど。でも、だからってねえ……!」
そのまま最後までかきこんで、どんっ、と茶碗を置いてみせる。
米粒ひとつ残らない、綺麗なものだ。
口のまわりをハルト同様べたべたにしつつ、それでも彼女はぷるぷる震える人差し指を突きつける。
「この程度で、あたしを籠絡できるなんて思わないことね!」
「ふっ……いいぜ、そうこなくっちゃな」
ハルトは薄く笑うだけだった。
相手の装甲はもはや紙一枚。あと一押しで完全に堕とせる。
そして、もちろんその仕込みも万全だ。
「実はさ、今回用意したものはこれだけじゃないんだよな」
ハルトは調合台の棚をあさり、ガラスケースを取り出す。
ひとかかえほどもあるその蓋を開けば――大量の醤油の中に、つやつや輝くルビーのようなものが、いくつもいくつも浮かんでいた。
それを見てイヴがひゅっと小さく息を呑む。
「ま、まさかそれって……卵黄の醤油漬け!? そんなことしていいの!?」
「もちろんだ! なんせ今日は特別だからな! そしてこれを、あたらしくよそった熱々のご飯に……そっと乗せる!」
「ひっ……や、やめなさい! そんなことしちゃ、引き返せなく――」
「おまけにあらかじめメレンゲにしておいた卵白も投入! そしてこれを……おもいっきり混ぜる!!」
「はわああああああああああ……!!」
最後には頬を染め、身もだえるイヴだった。
己の体をぎゅっと抱きしめ、瞳にはハートマークが色濃く浮かべている。完堕ちだった。
醤油漬けの卵は、箸を突き立てても崩れることはない。
まるでバターのように濃厚なペーストが米と箸とに絡みついた。
そこにメレンゲを加えれば、とろとろ&ふわふわのハーモニーが実現する。
仕上げに垂らすのはもちろん醤油だ。
それを一気にかきこめば、マシュマロのような食感が口いっぱいに広がった。
次いで、先ほどより一体感を強めた醤油と黄身が襲来する。
組み合わせはまったく同じものなのに、一度にふたつの食感が楽しめる。
「かーっ! ちょっとの工夫でこんなに違うなんて……やっぱ俺、日本人でよかったわ!」
「ちょっ……あたしにもそれを試させなさいよ!? 厳正な審査を下すんだから!」
「ふっ、そう慌てるなって。ほかにもいろいろ用意してあるんだ」
「なっ……まだあるの!?」
そこからハルトは次々とケースを取り出す。
卵と同じ牧場で買い求めた粉チーズ。
常温に戻したバター。
高山で採れた岩塩。
ごまから絞ったゴマ油。
塩胡椒で味付けした鶏肉。
じっくり鍋で煮出した鶏ガラスープ。
さらに、この世界にしかない調味料や食材あった。
山ほどもある巨大怪鳥、グリフィンの卵。
毒抜きに何十年という時間がかかるものの、珍味と名高い魔炎茸のスライス……などなど。
あっという間に調合台は色とりどりの具材が並び、宴会のような様相を呈してしまう。
「小休止に野菜の浅漬けもあるし、自家製の緑茶も入れてやろう。もちろん、米はでかい釜で炊いたから、いくらでも食べていいぞ」
「…………い」
「うん?」
俯いたまま、イヴが声を絞り出す。
首をかしげるハルトだが、彼女はすぐにずいっと茶碗を突き出してみせて――にたりと笑う。
爛々と輝くその目は、獣のような衝動をはらんでいた。
「だったら全部試してやろうじゃない! ほら! 早くご飯のおかわりちょうだい!」
「もちろんだ! うまい組み合わせが見つかったら報告するんだぞ!」
「それはこっちの台詞よ! はあああ……醤油とチーズとか……ほんと……発酵食品はだいたい仲良しに決まってるじゃない……!」
「わっかるー! ちなみに今度、味噌とか納豆にも挑戦するつもりだから、そこんとこよろしくな!」
「ふ、ふん! いいじゃない! そ、そんな純和食コンビの誘惑なんかに……あたしは屈したりしないんだからねっ……!」
かくして暴飲暴食という言葉すら生ぬるい、卵かけご飯パーティの幕が開けた。
ここまでで一章完。
続きは6/26更新予定です。




