十三話 一筋の光明
そこで、小脇に抱えたままだったイヴがこぼす。
「あの帽子は二等神遺物……《腐朽宴杯》よ」
「《腐朽宴杯》ぁ? 聞いたことないな」
「当然よ。長年、熾天領の宝物庫で埃をかぶってたような神遺物ですもの。で……いい加減におろしてくれる?」
「おっと、すまんすまん」
屋根の上におろしてやれば、イヴは目をすがめて地表を――アスギルを見据える。
「元々はいろんな毒を生み出せる神遺物だったんだけど……あの子が改良を重ねた結果、細菌やら病原菌まで作れるようになっちゃったのよねえ」
「つ、つまりは目に見えぬ攻撃というわけですか!?」
「そういうこと。風は鉄も食べちゃうバクテリアの塊だし、あのナイフだって細菌まみれよ。ちょっとの傷を負うだけでも、菌が全身に広がってずぶずぶに腐っちゃうんだから」
「ひええ……! そ、そんなの危険ぎます!」
震え上がるフレドリカ。
しかし、すぐにその目には新しい決意の光が宿る。
「住民は避難しておりますが、風に乗って広がらないとも限りません……! ハルト様! 厳しい戦いかもしれませんが、どうかお力を……ハルト様?」
「ちょっと待ってくれ」
フレドリカの言葉を遮って、ハルトはまっすぐイヴに向き直る。
聞き捨てならない単語が聞こえたからだ。
心臓が今にも口から出そうなほどに、うるさい鼓動を刻み始める。ごくりと生唾を飲み込んでから、かすれた声で問いかけた。
「あいつが新種の細菌を作り出せる、って……本当なのか?」
「えっ、ええ。そうだけど……あっ」
はっと気付いたように、イヴが口をつぐむ。
そして、ハルトはそれだけ聞ければ十分だった。
四肢に力がみなぎっていく。流れで戦うはめにはなったが、これで明確な動機が生まれたからだろう。
新種の細菌を作り出せる。
つまりは……麹菌のような菌も作れるかもしれない。
行き詰まったはずの醤油造りに、光明が差し込んだ。
「よーっしっ! ここは俺に任せとけ! 五秒でケリを付けてやる!!」
「あーあ……そう来たかあ……」
「あらら? ハルト様、突然やる気を出されましたね?」
不思議そうに首をかしげるフレドリカ。
そんな彼女をよそに、イヴは苦々しげに眉をひそめるのだが――。
「いやでも、あなたに借りを作るのは癪だわ! ここはあたしがなんとか……って、きゃあ!?」
「ぐっ……!」
ビシィッ!
大きな音を立てて、光の障壁にひびが入った。
ヴァレリーが脂汗を浮かべながら耐え忍んでいるものの、このままではもうあと数十秒と持たないだろう。
「くそっ……ランバード! せめて陛下だけでも連れて逃げろ!」
「なっ、そんなこと許しません! にい……あなたを見捨てられるわけないじゃないですか!」
「なにを呑気なことを……! あなたの肩には一国の運命がかかっているのですよ!?」
「あーもう! 背に腹は代えられないか……!」
イヴは観念したようにため息をこぼしてから、ハルトに告げる。
「お願い……! あの子を、アスギルを止めてちょうだい!」
「はっ、言われなくても!」
それを合図に、ハルトは勢いよく駆けだした。
屋根から身を躍らせれば、大量の真紅の刃が眼前めがけて飛んでくる。
「えええっ!? そのまま行きましたよ!? 大丈夫なのですか!?」
「神遺物は封じられているはずだろう……策はあるのか?」
「あら、知らないの?」
あわてるふたりを尻目に、イヴは軽く肩をすくめるだけだ。
神遺物を封じられた人間が魔族に挑む。
自殺志願と評されてもなんら言い訳が立たないほどに、無謀な行為だ。
だがしかし、この場合――挑む人間がハルトとなると、話が大きく変わってくる。
イヴは額を押さえて、ため息をこぼす。
「ただ神遺物をいっぱい持ってるだけの人間なら……あたしは三秒足らずで、あいつを挽き肉にできていたわ」
「えっ」
「ひゃっはー! 霧が菌ならやることはひとつだ!」
真紅の刃がハルトを貫く、その寸前。
魔剣に片手を添えて、薄氷のような切っ先を――ひと息に揮う!
「絶星一刀!」
瞬間、光が一帯を駆け抜けた。
光は赤いナイフをかすめ、緑の風を切り裂いて、あらゆる害なすものを音もなく撫で斬った。
そして、その刹那ののち――。
バゴォッッ!!
「なああっ!?」
アスギルの素っ頓狂な悲鳴が上がる。
すべてのナイフが、中空で突然砕け散ったのだ。緑の霧も小さな音を立てて弾けてしまい、あとには清涼な空気だけが残される。
「よっと」
真紅の欠片が降り注ぐただ中に、ハルトは難なく着地する。
アスギルはあんぐりと口を開いてわなわなと震えるばかりだ。
「い、いったいどういうことなのでち!? なぜその剣が使えるのでちか!? 神遺物の力は、きっちり封じているはず……!」
「まあ、たしかに本来の力は発揮できないけど」
魔剣エクセラ剣は、相も変わらずうんともすんとも言わない。こうなってみれば神遺物の異名は地に落ち、ただの普通の剣である。
「だからって戦えないわけじゃないんだよな」
「ぐぬぬっ、なにを訳の分からないことを……!」
アスギルがヤケクソのように叫んで帽子を大きく振る。
そこからだばあと流れ出てくるのは巨大な緑スライムだ。先ほどアスギルのそばにいたものの、何十倍もの背丈がある。山のようにそびえるその巨体が、天に轟く雄叫びを上げた。
「だったら物量で押し勝つのみ、でち!!」