十話 死風のアスギル
写真機はわりと世界中でもメジャーな道具だ。
地球のカメラとは違うところといえば、魔法を用いるところだろうか。
簡単な魔力機構で、専用の用紙に風景を転写する。
ずいぶん簡素な作りだが、世界中のあちこちで売られている代物だ。
ただし、フレドリカが持つような手のひらサイズのものは珍しい。
それを胸に抱いたまま、彼女はくるくると回る。
「ふふふ、なにしろ剣星のハルト様ですもの! さぞかし華麗な戦いを見せてくださるはず! そう思って、ヴァレリーに手配を頼んだのです!」
「いやいや……自国の危機を娯楽にするんじゃねーよ」
「もちろん、ハルト様なら被害を最小限で食い止めてくださると思ってのこと! わたくしはそれを監督、監視するというていで参上したのです!」
「やっぱり清々しいまでの職権乱用じゃねえか」
「事態が丸く収まれば大丈夫です! なにしろ最終的に公的な書類に残すのは結果だけですからね!」
「……今の発言はいろいろと聞かなかったことにしておきますが」
はしゃぐフレドリカを前に、ヴァレリーはため息をこぼしてみせた。
ハルトを顎で示し、皮肉げに口の端を持ち上げる。
「此奴はどうもやる気がない様子で。陛下が特別目をかけてやっている温情も忘れ、この態度。とんだ恩知らずというわけですよ」
「ええ、聞いておりましたよ。でも、それはそれで強者っぽいというか……『俺を動かしたかったら、もっと面白い敵を用意するんだな』的な……うん! 大丈夫です! 解釈に合います!」
「いい加減にしてくださいませんと、月々の書籍代を減らしますよ」
「なっ、横暴です! ほかの仕事はちゃーんと真面目にこなしているじゃないですか!」
ぷーっと頬を膨らませて抗議するフレドリカだった。
そんな中、渦中のハルトはぽんと手を打つ。
「ははーん、さては皇女様、俺に惚れたな?」
「はい?」
「だから俺の活躍が見たいっていうんだろ。違うか?」
強い男はモテる。当然の摂理だ。
これまでも世界中を冒険して回った末、女性に思いを寄せられた経験が少なからずある。
野望があるからとそのすべてを丁重に断ってきたものの、種族の壁を越えて様々な美女に熱烈な愛をささやかれた。
前世では女っ気のひとつもない人生ではあったが、今世は文句の付けようがないモテ期だ。
ゆえに、彼女様もそのパターンなのだろうとほくそ笑むのだが――。
「いえ、そういうわけではございません」
「えっ?」
フレドリカはばっさり、あっさりとその推理を切り捨てる。
祈るようにカメラを胸に抱いて、ぽーっと頬を染めて言うことには。
「わたくしはただ、推しを推すだけ。第三者の目線でハルト様をじっくり見守り、ハラハラドキドキしたいだけなのです。壁や天井、はては観葉植物などのポジションこそが理想。わたくしをヒロインに数えるハルト様は解釈違いっていうか、ただ大量にアルバムを作ってニヤニヤしたいだけっていうか……」
「おいこらヴァレリーさんよ!? おたくの皇女様、なんかちょっと怖いんだけどぉ!?」
「失礼なことを言うな! たしかに少々嗜好に難はあるが……これでもれっきとした我が国の王なのだぞ!」
「解釈違いかー……そういう概念ってこっちの世界でもあるのねえ」
どこか懐かしそうにしみじみするイヴだった。
そういう概念とは何だろう。ツッコミを入れる前に、イヴはふんっと鼻を鳴らす。
「揉めてるところ悪いけど、こいつが出るまでもないわ。あたしが行って、止めさせる。それで全部解決でしょ」
「ええ……それではハルト様のご活躍が見られません」
「でも、こいつはやる気がないんでしょ。そもそもこれはあたしの部下の不始末よ。あたしが片付けるのが道理ってものだわ」
「熾天王の肩を持つわけではございませんが、ここは任せるのが最良かと思われます」
ヴァレリーもうなずき、なおも騒ぎ続ける一団を見やる。
取り囲む兵士たちは真面目に武器を構えて牽制しているものの、その顔には戸惑いの色がにじみ始めていた。
「彼らをこれ以上無為に働かせるわけにもいきませんし。何卒ご決断くださいませ、陛下」
「むう……たしかに。では、ここはイヴ様に一任するということで――」
「いやいや、ちょっと待ってくれ」
まとまりかけていた話の腰を、ハルトが片手を挙げてぽきっと折った。
全員の注目を集める中、彼は少し言いよどんでからイヴを見やる。
「その……なんだ。悪いことは言わない。おまえが出て行くのはやめといた方がいいと思うぞ」
「はあ? なによそれ」
イヴはムッとしたように眉をつり上げる。
「あなたの指図は受けないわ。口出ししないでちょうだい」
「いや、あいつは危険っていうかさ。おまえが出るくらいなら俺が出てって追い返すよ。だから――」
「危険なのは当然でしょ、あの子は熾天領でもトップレベルの実力者なんだから。それでもあたしが魔王になる前から、ずーっとそばで支えてくれてる腹心なの。ちょっと言ったら大人しく帰るんだから」
「いや、たぶんあいつの目的は、って、こら!」
ハルトの説得もむなしく――むしろ徒になった形で――イヴはすたすたと歩き出してしまう。
家屋の影から飛び出すやいなや、すーっと息を吸い込んで……叫ぶ。
「こらーっ! アスギル!」
「ま、魔王ちゃま……!」
ピエロの少女――アスギルが素早く振り返る。
イヴの姿を認めるやいなや、彼女は目をキラキラ輝かせて身もだえた。ほかのスライムたちもぽよぽよ飛び跳ねはじめ、喜びらしきものを表現する。
「ご無事でなによりでち! 魔王ちゃま! この数日間、あたちがどれだけ心配していたことか……!」
「そ、それは有り難いんだけど……」
イヴはもごもごしつつも、最後にはきりっとした顔を作ってみせる。
王というよりも、わがままな妹を叱る姉のそれだ。
「無関係な人に迷惑をかけちゃ駄目でしょ! さっさと熾天領に戻りなさい! あたしは自分でなんとかするから!」
「いいえ、そういうわけにはいきまちぇん」
アスギルはゆるゆるとかぶりを振る。
「なにしろ、あたちの目的は……」
そこで彼女は、ばっと両手を振り上げる。
長い袖がめくれ上がり、その指先があらわになった。
指と指との間にはさまるのは、銀に輝く無数のナイフ。
「魔王様のお命なのでちからねっっ!」
「へっ!?」
ドガァッ!
アスギルが飛ばしたナイフは、空を切り裂いてまっすぐイヴを襲った。魔力をまとった刃は爆弾のような威力を発揮して、色濃い砂塵を上げさせる。
おかげで周囲の兵士たちがどよめいた。
突然現れた魔族の少女が襲われたのだ。当然、誰もが最悪の展開を想像した。
続きは06/21更新予定。




