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その1

放課後旧校舎裏。

 「てめぇコラッ!」

不良の鉄拳が俺のみぞおちにめり込む。

 「ぐふっ」

苦しそうに呼吸をする俺を見て不良が満足そうに笑う。

 「ひょー、やっぱストレス解消にはこれだぜ!」

俺を背後でホールドしているもうひとりの奴が言った。

 「なぁ、俺にもやらしてくれよ。」

 「しょうがねぇな。」

ホールドを解かれた俺は地面に膝をつく。さっき俺を殴った不良が俺を立たせようとする。

 「手間かけさせんな。お前も早く終わったほうがいいだろ。」

もうひとりの不良は自分の手のひらに拳を打ち付けている。殴る準備は万全のようだ。俺は羽交い締めにされ抱え上げられた。

そのとき。

 「きゃー!だれかー!」

女の悲鳴がした。

 「やべっ!」

不良たちは俺をほったらかしにして一目散に去っていった。俺ははだけたシャツを直した。一番上のボタンが取れてしまっている。少女が駆け寄ってきた。

 「烈!大丈夫!?」

静花ジンファだ。

 「ああ。まあ。みぞおちをちょっとくすぐられただけだ。」

 「馬鹿言ってないで、服ボロボロじゃない…」

ジンファが俺の襟を正そうとする。俺はそれを振り払った。

 「やめろよ。くすぐったい。」

 「何照れてるのよ。ボタン取れてるじゃない。帰りに家に寄ってってよ。直してあげるから。」

 「……気にすんな。」

俺は不良に足蹴にされて茂みの中に飛ばされていたカバンを拾いに行った。背後からジンファが言う。

 「お祖父様、もう意識がないのよ。だから…」

ジンファは言いよどんだ。俺にはジンファの言いたいことが分かった。

 「だから道場に足を踏み入れていいって?冗談。俺は破門されたんだ。」

カバンを拾い上げるとジンファの元に戻った。ジンファは黙って俺のシャツの袖口を見つめている。正確にはその隙間から見える手首だ。

 「やり返さないのは、やっぱりそのせいなのね。」

俺は袖を捲った。俺の左右の手首には入れ墨のようなものが刻印されている。舌を伸ばしたカエルの文様だ。舌は螺旋を描くように手首を一周すると自分の後ろ足に巻き付いている。

やっかいなことにこれはただの入れ墨ではない。

 「手を失いたくはないからな。」

俺は努めて明るい調子で言ったが、ジンファの表情は悲しげだった。

 「私のせいで…」

ジンファが瞳を潤ませる。

 「いいんだよ。もう何回も言ったろ。言わない約束だって。さ、帰ろうぜ。」

俺は袖を戻すとジンファと共に帰路についた。ジンファとは他愛のない話をした。最近の道場のこととか、師匠の容態とか。

ジンファの家はある拳法の道場だ。

そこの師範であるジンファの父親に俺は弟子入りしていた。ジンファの父親は中国から渡ってきてある特殊な拳法を習得していた。

俺はそれを身につけていったのである。そして免許皆伝間近というところまできた。

しかし、ある事件を起こしてしまった俺は破門された。

もう2年前のことになる。ジンファの話ではそのあとすぐに師匠は原因不明の病に伏してしまったようだ。

 「ねぇ聞いてる?」

横を歩くジンファが俺の顔を覗き込んだ。

 「ん、聞いてるよ。門下生が減ったんだって?」

 「門下生は減ったんじゃなくてゼロなの!って、やっぱり聞いてないじゃない!」

ジンファは明らかに不機嫌になった。俺は慌てて謝った。

 「すまんすまん。なんの話だったっけ?」

 「留学生の話よ。うちのクラスに来た。」

 「あー、なんかうちのクラスの連中も騒いでたな。確か…韓国から?」

 「うん。日本語もペラペラじゃないけど、結構喋れてて、女子からはキャーキャー言われてた。」

 「…へぇ」

 「それでやっぱあっちの子って体鍛えてるんだって、格闘技もやってるって話よ。」

 「テコンドーか?」

 「ううん。違うみたい。なんとか道って武道だったかな。」

 「そうか。」

俺は留学生に興味を引かれなかった。ちょうど公園の前を通りかかった。並んで歩いていたジンファが立ち止まった。

 「ね、この公園ネモフィラが咲いてるんだって。見ていかない?」

 「…いや、いい。また今度にするよ。」

俺は再び歩き始めた。ジンファが小走りで追いついて横にならんだ。

 「ほんっと、風情とかないわよね。」

拗ねているようだ。10分ほど歩くと住宅地から外れた木々の生い茂る場所に出た。

茂みの間からは石段が覗いている。この上のにジンファの家、つまり道場はある。

こちらは裏口で遠回りになるはずだが、ジンファは俺に気を使ってくれたに違いない。

 「じゃ、私はここで。」

 「おう。」

ジンファが黙って俺を見つめる。

 「なんだよ?」

 「…ちょっとだけでもさ、寄っていってよ。おじいちゃんもきっと喜ぶ…」

ジンファは目を伏せた。思い返せば、破門されてからジンファには気を遣わせつづけさせてしまっていた。

今断れば、これからもジンファは俺に気を遣いつづけるだろう。それなら…

 「今回だけ、お邪魔するよ。」

ジンファの表情が明るくなった。石段を早足で駆け上っていく。

 「早く!烈!」

 「おーい待ってくれよ!」

俺も続いて石段を駆け上った。いつ以来だろうか、もう物心ついたころからずっとこの階段を登り続けてきた。

あの事件が起こるまでは。師匠に関する記憶は掟を破った俺を叱責し破門を言い渡すときの激怒した顔だった。

それから病に伏したと聞いてからは心配だったが訪ねる勇気が無かった。

あれから2年。もしかしたら許しがもらえるのではないか、という期待が心の中に一点のシミのように湧いた。


石段を駆け上ると見慣れた風景が広がっていた。道場の前の広場、そして母屋の裏口だ。その広場に誰かがいる。

一人はジンファだ。もう一人は見たことがない。全身赤色の服に身を包んでいる。ジンファに詰め寄っていいるように見える。

ただ事ではない雰囲気を察した。俺はジンファに近づいて行った。ジンファが俺に気づいた。

 「あ、ああ烈」

 「どうしたんだ?」

ジンファは俺の顔を見るとホッとしたようだった。

 「この人が…」

ジンファは対峙している赤い服の男を指さした。よく見ると赤い学ランである。髪はおかっぱで、眼は光のない闇に満ちていた。

 「サア ハヤク ワタスノデス」

赤い男は片言にそう言うと手のひらをこちらに差し出した。何かを要求しているらしい。

 「ジンファ、こいつは誰だ?」 

 「この人が留学生の人」

ジンファは明らかに怯えている。

 「サア ハヤク」

男は苛ついているのかさっきより声に怒りが込められていた。

 「こいつの名前は?」

 「パク ハクブツ よ。」

 「おいパク!なんだてめぇ!」

パクは遂にしびれを切らしたのかこめかみに血管を浮き立たせて震え始めた。

 「シカタガアリマセン チカラズク デ モラウ」

パクは両腕を顔の前で交差させてから、空をXの字に切るように高速で広げた。

 パちっ

小さな音が聞こえた。嫌な予感がした俺は、反射的にジンファをパクと反対側に突き飛ばした。

ジンファが目をパチクリとさせているのがスローモーションのように感じられた。

 パちっ パちっ

パクの方から2つ3つと何かが弾けるような音がする。俺はすかさず防御の構えを取ろうとした。

構え終わるか終わらないうちに眩い光が視界を覆った。

次に視界が暗転した。目を開けるとピントが合わず景色がぼやける。

ふっ飛ばされたのだと分かったのは砂利が頬に食い込んでチクチク痛いからだった。

同時に、焦げた匂いが鼻孔をついた。キーンと耳鳴りがする。

子供がカメラを乱暴に調整して遊ぶように、ピントが合ったかと思えばまたぼやける。

ぼやけた赤い服の男。パクがこちらに歩いてくる。

砂利が頬に強く食い込む。パクは俺の頭を足で踏みつけたようだ。

何かを話しているようだが、耳鳴りのせいでほとんど聞こえない。

ますます砂利が頬に食い込む。相当に怒っているのが足の動きからも分かる。

そして、一瞬、俺の頭にかかる圧が無くなったかと思うと間髪入れず強い衝撃が降ってきた。

何度も何度も。意識がもうろうとしてくる。視界は相変わらずいろんなところにピントが合ってはぼやけてを繰り返している。

衝撃がピタリと止んだ。ぼやけた赤い服が俺から距離をとった。どうやら俺の頭の後ろに何かがいるらしい。

俺は立ち上がろうと足に力を入れてみる。しかし、手足はまるで統率が取れておらずバラバラで、少し持ちあがった体は無残に地面に崩れ落ちた。

突如、強い力で引っ張り上げられた。そしてそのまま道場の外壁へもたれかけさせられた。

耳鳴りも収まってきた。パクの声がする。

 「ハヤク! ワタズ ノデス オマエモ ソコ ナリタイカっ!」

パクが俺を指さした。

 「たわけ。そうなるのはおまえじゃ。」

さっき俺を持ち上げた男。師匠が言った。師匠の姿を見るのは2年ぶりだった。細身だが、締まっている筋肉、

後ろで束ねた銀髪、一切の油断のない鋭い眼光

昔と何も変わっていない。いや、心なしか背中が小さくなったような気もする。

 「し、師匠・・・」

師匠は俺の呼びかけを無視してパクの方に向き直り構えをとった。

右腕で相手を指し、左手の甲を右肘にくっつけているような独特な構えだ。

 「ソレガ ハッパケン ダナ」

パクの声に少し慎重さが混じったような気がする。

 「秘伝書が欲しければ、正式に立ち会いをしなければならない。それが掟じゃ。異国の人。お前も知らぬわけではあるまい。」

師匠が言った。パクはしばらく黙っていた。攻撃的な気配が無くなった。

「ツカイテ ハ イナクナッタ ソウ キイテイタ」

パクの声には先ほどまでとは打って変わって理性的な響きがあった。師匠は笑った。

 「現にこうしてお前の前に立っているではないか。異国の人。」

 「ワカッタ ワタシハ ライシュウ マデ コノ クニ イル」

 「国に帰る前夜に寄っていけ、異国の人。」

師匠とパクは黙って向き合っていた。パクが静かに言った。

 「ワタシハ シニン ヲ イタブル シュミハ ナイ ライシュウ コウサン スルコトダ」

パクは踵を返して去っていった。

パクの姿が見えなくなると、師匠は構えを解いた。そして糸を切られた操り人形のように膝をついた。

 「おじいちゃん!」

へたり込んでいたジンファが師匠に駆け寄る。

 「ふっ、ふっ、ふっ」

師匠は肩を大きく上下して息をしている。ジンファが師匠の肩を支える。師匠は一度うめき声を上げると白目を向いてジンファにもたれた。

どうやら意識を失ったようだ。俺はなんとか立ち上がり足を引きずりながらジンファに近づいた。

 「ジンファ、怪我はないか?」

ジンファはハッとした顔で俺を見た。

 「烈!動いて大丈夫なの!?」

俺は払うように腕を振った。

 「俺は大丈夫だ。ジンファは……師匠は」

ジンファは眼に涙を浮かべた。

 「私は大丈夫。でも、でもおじいちゃんが……」

ジンファの肩にもたれかかっている師匠は完全に意識を失っていて、まるでこと切れてしまっているかのようだ。

 「おじいちゃんはいつもこういう状態なの。時々意識が戻るんだけど……まさか戦おうとするなんて……」

ジンファの瞳から大粒の涙が頬を伝って地面に落ちた。俺は師匠の体をジンファから預かった。

 「一旦家に入ろう。」


 師匠を寝床に寝かせると、ジンファと俺は道場へ足を運んだ。道場には備え付けの救急箱がある。ジンファは俺の手当をしてくれていた。

 「って」

首元の切り傷に消毒液が染みた。

 「あ、痛かった?」

ジンファが手を止めた。

 「いや、大丈夫だ。」

俺がそう言うと、ジンファは消毒を再開した。俺の顔の近くにジンファの顔がある。ジンファは俺の手当に熱中している。

ジンファの顔をまじまじと見ると、気づかなかったが、大人っぽくなっている。

元々、母親譲りの大きな眼が活動的な可愛い少女という印象を与えていた。そこに気づけば綺麗さが同居している。

 「な、なに?」

いつのまにかジンファが俺を見ていた。

 「い、いや。」

俺は慌てて視線をそらした。沈黙が訪れた。傷口に当てられる消毒液の染み込んだ綿の動きがさっきよりぎこちなくなった気がする。

俺は話すべきことがあったことを思い出した。

 「そういえばパクとか言ったかな。あの男。」

 「え?ええ。あの人も発破拳の使い手だったのね。同門なのにどうしてこんな酷いことを……」

ジンファは目を伏せた。

 「いや、あいつの構えは発破拳じゃ無かった。発破拳では気が主体だ。あの火力、なにか裏があるはずだ。」

 「烈が不意打ちをくらうなんて、かなりの使い手ね。」

ジンファは険しい顔になった。傷口に綿が強く押し付けられる。

 「いてっ!俺はもう2年も修行してないんだ。なまりきってる。」

 「あっ、ごめんっ!……でも私のこと助けてくれたよね……ありがとう。」

ジンファが頬を赤らめた。ますます綿が押し込まれる。

 「だから痛いって!……せめて俺が発破拳を使えれば。」

 「やっぱり使えないの?」

 「これがあるからな。」

俺は両手首を胸の前に掲げて見せた。ジンファも手を止めて俺の手首に刻まれた特異な文様を見つめる。

舌を伸ばしたカエルの文様だ。見つめ返してくるカエルの目は俺を小馬鹿にしているような気がする。

 「もし発破拳を使えば……」

ジンファはそれ以上は言わなかった。もし発破拳を使えば、螺旋状に手首を一周しているカエルの舌が導火線のように働き

手首から先がぽろりと落ちる。

 「烈」

背後から声がした。道場の入り口に師匠が立っている。

 「おじいちゃん!」

ジンファが驚きの声を上げる。

 「烈、ワシの部屋に来い。話がある。」

師匠はそれだけ言うと廊下のほうに消えた。

ジンファは驚きの表情を浮かべたままだ。

 「おじいちゃん、1日に2回も意識が戻るなんて……」



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